天の巻 2 (天七代 床酒の文)。 古史古伝といわれその真偽は未だ多くの議論を呼んでいるホツマツタヱ。天神七代(アメナナヨ)、すなわち神代のクニトコタチからイサナギ・イサナミまでの七代の話、「床御酒」「三月三日桃の節句」についてアマテルカミの話したこととして書かれている。
ホツマツタエは、古代文字(神代文字)で書かれ、大和ことばで綴られた壮大な叙事詩です。前半天の巻・地の巻をクシミカタマ(神武時代の右大臣)が、後半人の巻をオオタタネコ(景行天皇時代)が、編纂、筆録と記されています。
この記事においてはヲシテ文字はあえて記載せず、読み音(ひらがな)と漢字表記併用で書かせていただきます。(下段には、全体のまとめの話を書き足しておきました。)
天七代 床酒の文(あめななよとこみきのあや)
ヒナ祭りと桃の花 −男雛・女雛
このときは みこおしひとの この時は 皇子オシヒトの (皇子オシヒトが)
とつきまえ たかきかみきの とつぎ前 タカギが酒の (結婚する前、タカキネは床神酒の)
あやこえは かみのをしゑは 謂 乞えば 神の教えは
(オシヒトの婚儀の前、タカギ(タカキネ)が婚儀の酒の儀式について謂れを問うと、アマテル大御神は答えた)
いにしえの あめつちうひの いにしえの 天・地・泥の (遥か遠い昔すべてが混じり合っていた頃)
きはなきに きさしわかるる 際無きに 兆し分かるる (混じり合っていたものがやがて分離し始め)
あうのめを をはあめとなり アウの陰陽 陽は天となり (アメミオヤから生まれた、陽:ヲ天となり日輪なり)
ひのわなる めはくにとなり 日輪成る 陰は地となり (陰:メは地となり月となる)
つきとなる 月と成る
(混沌から天と地が分かれる時、清く軽く巡れるものは左巻に廻り陽(ヲ・男)となって、日輪(天)となり、太陽が生まれました。重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、このクニタマ(地)となり、月を生みました。)
かみそのなかに 神その中に
(それらすべてが、アメノミナカヌシという神:天常立)
あれまして くにとこたちの 生れまして クニトコタチの
とこよくに トコヨ国
(アメノミナカヌシは、実態を持つクニトコタチの神:国常立となり、常世国:永遠に平和な国をつくった)
やもやくたりの みこうみて 八方八下りの 御子生みて (8つの州(くに)にトホカミヱヒタメ:8人の皇子を生み)
みなそのくにお をさめしむ 皆その国を 治めしむ (それぞれの国を治めさせた)
これくにきみの はしめなり これ国君の 初めなり (この8つの州(くに)がはじまりとなった)
よつきのかみは くにさつち 代嗣の尊は クニサツチ (世継ぎの国神をクニサツチという)
さきりのみちお うけされは サキリの道を 受けざれば (統一王として一人を選ぶ事ができず)
さつちにをさむ やみこかみ サツチに治む 八御子尊 (8人にそれぞれの国を治めさせた)
おのおのみこお ゐたりうむ 各々御子を 五人生む
(最初の実態の神はクニトコタチであった、クニトコタチはトコヨクニを作り、そこでヤモヤクダリノミコ(八御子尊)を生んだ。この八御子尊は、ト.ホ.カ.ミ.ヱ.ヒ.タ.メの8カ国を治めて、これが各国の君主の最初となった。
世嗣のミコト(尊)はクニサツチと呼ばれた。はじめは一人の統治者で治めようとしたが叶わず、8人の御子尊がそれぞれの国を任されて治めた。また、八御子尊(八王子)は各々5人の子を儲けた)
やものよつきは とよくんぬ 八方の代嗣は トヨクンヌ
あめよりみつの わさおわけ 天より三つの 業を分け
きみとみたみの みくたりの 君・臣・民の 三くだりの
かみはもふその みこありて 尊は百二十の 御子ありて
あめなるみちは めもあらす 陽陰和る道は 女もあらず
みつよをさまる 三代納まる
三月三日の桃の節句
まさかきの うゑつきゐもに 真榊の 植え継ぎ五百に
みつるころ よつきのをかみ 満つる頃 代嗣の男尊
(年代の数え方:真榊の成長と寿命は一本6万年、500本の植え継ぎで計3000万年に相当)
うひちにの すひちおいるる ウビチニの スヒヂを入るる
さいあひの そのもとおりは 最愛の その基は
こしくにの ひなるのたけの 越国の 鄙るの岳の
かんみやに きのみおもちて 尊宮に 木の実を持ちて
あれませは にわにうゑおく 生れませば 庭に植えおく
みとせのち やよいのみかに 三年後 三月の三日に
はなもみも ももなるゆえに 花も実も 百成る故に
もものはな ふたかみのなも 百の木 二尊の名も
ももひなき ももひなみなり 百雛木 百雛実なり
ひなはまた ひとなるまえよ 雛はまだ 人成る前よ
(ひ:1 から、な:7 まで。1から10までで、ひ・と となり、成熟した人のことです。 ヒフミヨイムナヤコトで完結)
きみはその きのみによりて 君はその 木の実によりて
をかみはき めかみはみとそ 男尊は “キ“ 女尊は “ミ” とぞ
なつきます 名付きます
ひとなるのちに 人成る後に
やよいみか みきつくりそめ 三月三日 酒 造り初め
たてまつる ももとにくめる 奉る 桃下に酌める
みきにつき うつりすすむる 酒に月 映り進むる
三月三日の夜、月夜の元で酒を酌み交わし後に 床にはいる)
めかみまつ のみてすすむる 女尊まず 飲みて進むる
のちをかみ のみてましわる 後 男尊 飲みて交わる
とこのみき 床の酒
( 男は、陽・天・大・空:うつほ・火:ほ・風:かせ 女は、陰・地・小・水:みつ・埴(はに:土)とされる。)
みあつけれはや 身 熱ければや
あすみあさ さむかわあひる 明三朝 冷む川浴びる
そてひちて うすのにこころ 袖 浸ぢて 大小(うす)の和心
(袖が水にまみれすっかりと 男女(うす)が和合の心にあること)
う(ウヒジニ):大の意、冠と袴姿の形から す(スヒジニ):小の意、小袖と上被衣姿の形から
またきとて なもうひちにと 全きとて 名もウビチニと
すひちかみ スヒヂ尊
これもうひにる これも泥和る
ふることや おおきすくなき 振言や 多き少なき
うすのなも ウスの名も
このひなかたの この雛形の
めはこそて うはかつきなり 女は小袖 上被衣なり
このときに みなつまいれて この時に 皆 妻入れて
やそつつき もろたみもみな 八十続き 諸民も皆 (臣や民たちも妻をめとるようになる)
つまさたむ あめなるみちの 妻定む 陽陰和る道の
そなわりて たくひなるより 具わりて 類成るより
としかそえ ゐもつきあまの 年数え 五百継ぎ天の
まさかきや 真榊や
(このように、子を生むという男女が結合し子を設けるようになったのは、「陽陰和る道あめなるみち」が起って霊魂を地に下ろすようになってから三千万年後のことです)
五代目の天君
ゐつよのかみは 五代の尊は (五代目の天君)
おおとのち おおとまえなり オオトノチ オオトマエなり (大殿内 大門前)
つのくゐは おおとのにゐて ツノクヰは 大殿に居て
いくくいお とまえにあひみ イククイを 門前に会ひ見 (大殿の門前で出会い)
つまとなす かれをはとのそ 妻となす 故 男は “殿” ぞ
めはまえと やもつつきまて 女は “前” と 八百続き 全て
六代目の天君
むよのつき おもたるのかみ 六代の嗣 オモタルの尊 (六代目の天君)
かしこねと やもおめくりて カシコネと 八方を恵りて
たみおたす 民を治す
(男は殿、女は前(御前)といい、「オモタル・カシコネの尊」は、八つの州:くにを末永く平和な治世とした)
をうみあつみの ヲウミ安曇の (近江の安曇野)
なかはしら ひかしはやまと 中柱 東はヤマト (本州・東北)
ひたかみも にしはつきすみ ヒタカミも 西はツキスミ
あしはらも みなみあわそさ 治原も 南 阿波・ソサ
きたはねの やまとほそほこ 北は根の ヤマトホソホコ
ちたるまて およへともよほ チタルまで 及べど百万年
つきこなく みちおとろひて 嗣子なく 道 衰ひて
わいためな 弁別 無
( 「オモタル・カシコネの尊」 の代では世継ぎに恵まれず、国も少しずつ乱れていった )
七代目の天君
ときにあめより 時に天より (時に先代より)
ふたかみに つほはあしはら 二尊に ツボは朝原
ちゐもあき いましもちひて 千五百秋 汝 用ひて
しらせとて ととほこたまふ 領せとて 経と矛 賜ふ
(イサナギ・イサナミ、中原を治めよとめいぜられる)
ふたかみは うきはしのゑに 二尊は うきはしの上に
さくりうる ほこのしつくの さくり得る 祝の滴の
おのころに みやとのつくり オノコロに 宮殿造り (八紘殿:ヤヒロ殿)
おおやまと よろものうみて 央ヤマト 万物生みて
ひとくさの みけもこかひも 人草の 食も衣交ひも
みちなして わいためさたむ 道 成して 弁別定む
いさおしや 功や
あめのかみよの 天の尊治の ( 中央政府の君の治めの)
ななよめお つくいとくちは 七代目を 継ぐ糸口は
とこよかみ きのみひかしに トコヨ尊 木の実 東に (キ:木で東の意)
うゑてうむ はこくにのかみ 植えて生む ハコクニの尊
ひたかみの たかまにまつる ヒタカミの タカマに纏る
みなかぬし 御中主
たちはなうゑて タチハナ植えて
うむみこの たかみむすひお 生む御子の タカミムスビを
もろたたゆ きのとこたちや 諸 称ゆ 東のトコタチや
そのみこは あめかかみかみ その御子は アメカカミ尊
つくしたす ツクシ治す
うひちにもうく ウヒチニ儲く (ウヒチニが貰い受ける)
このみこは あめよろつかみ この御子は アメヨロツ尊
そあさたし あわさくうめは ソアサ治し アワ・サク生めば (アワナギ・サクナギ)
あわなきは ねのしらやまと アワナギは 北の白山麓
ちたるまて のりもとほれは チタルまで 法も通れば
うむみこの いみなたかひと 生む御子の 斎名タカヒト (イサナキの齋名:いみな)
かみろきや カミロキや
たかみむすひの タカミムスビの
ゐつよかみ いみなたまきね 五代尊 斎名タマキネ (五代目の尊)
とようけの ひめのいさこと トヨウケの 姫のイサコと (イサナミの齋名:いみな)
うきはしお はやたまのをか うきはしを ハヤタマノヲが
わたしても とけぬおもむき 渡しても 融けぬ趣き
ときむすふ ことさかのをそ 融き結ぶ コトサカノヲぞ
けたつほの つさのつくはの ケタツボの 西南のツクバの
いさみやに うなつきあみて イサ宮に 頷き 編みて
いさなきと いさなみとなる イサナキと イサナミとなる
ふたかみの ましわるときに 二尊の 交わる時に
とこみきや とこはとほこに 融酒や 融は経矛に (床酒 融和は法と戒を得て)
こおもとむ 子をもとむ (子孫繁栄を招く)
ささけはとこよ ササケはトコヨ
ゐのくちの すくなみかみの ヰノクチの スクナミ守の (三笠文:イノクチ山陰)
たけかふに すすめかもみお 竹株に 雀が籾を
いるおみて みきつくりそめ 入るを見て 酒造り初め
すすめけり 進めけり
ももひなきより 百雛木より
ささなみと なおたまふより ササナミと 名を賜ふより
なもささけ そのかみいまに 名もササケ その神 今に
ささけやま ササケ山
ここのくみとは 九の酌度は
やよいみか さかつきうめる 三月三日 さかつき生める
かみのなも ひなかたけとそ 尊の名も 雛が岳とぞ (称え名)
たたゆなりける 称ゆなりける
全体をまとめてみましょう。
アマテル大御神の皇子オシホミミとタクハタチチ姫(トヨケ大神の玄孫)の婚儀を間近にひかえて、宮中は支度に追われていました。
その頃、皇子オシホミミはタカの国府(こふ、現在の多賀城市)のツボワカミヤ(壷若宮)に坐して、ヒタカミノ国(日高見国)を治めていました。
ある日、タクハタチチ姫(真名スズカ姫)の兄タカギが、天君に質問をしました。
「結婚式の時、神前で新郎新婦が交す三三九度のお神酒(みき)には、一体どんな言われがあるのでしょうか」と。
これを聞いた君は微笑えみながら臣や司を始め大勢の諸神・諸民を前に、天地の始まりからお話をされました。
「それは遠い遠い昔のこと、まだこの高天原(空も地も)が生まれるずっと前のこと、天も地も未だ分かれず太陽も月も星も生まれていない前のことです。このウツホ(宇宙)の闇を支配していたのは、混沌としたアワ、ウビ(泥のような)のようなもので、それは限りなく巡り漂って煮えたぎり、姿も形もありませんでした。
永い時を経て、このウツホの闇が陰(メ)と陽(ヲ)に分かれる兆しが現われ初めました。
やがてその中にアメミヲヤ神(天祖神)がお生まれになり、神が最初(うい)の一息(ひといき)をウビ煮えたぎるウツホに吹き込むと、宇宙は静かにまどかに巡り始めて(渦となる)、その中心に天御柱(あめのみはしら)が立ち昇り、混沌(宇宙)はやっと姿を現わし始めました。
清く軽く巡れるものは陽(ヲ・男)となって、左巻に廻り天となり太陽が生まれました。重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、このクニタマ(地球)となり、後に月を生みました。
(フトマニ図の中心部:アウワの神)
さてこの地(地球)に最初にお生まれになられた神のお名前を、クニトコタチと申し、花タチバナの木を植えて理想郷トコヨの国を建国しました。
クニトコタチは八人の御子を産んで、その御子達を世界の八方に派遣し、それぞれの国を建てて治めさせたので、この八人をヤモヤクダリ(八面八降)の御子といいます。後にこのヤミコ(八御子)はそれぞれの国の国王の先祖となりました。
この二代目の世嗣(よつぎ)の八御子を総称して「クニサッチ」といいます。
そのいわれは、クニトコタチは始め自分同様サギリ(治世)の道を以て全世界を一人のクニサツチに統治させようとしましたが、各々譲り合いお互いを立てたのでなかなか決まらず、やむなくサッチ(分割)の道で国を与え治めさせました。
ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八御子の名は、各々クニサッチの神の頭文字を表わし、「トのクニサッチ」、「ホのクニサッチ」、「カのクニサッチ」・・・のように呼ばれました。
このようなわけで、この国では八(ヤ)という言葉にはたいへん尊い意味があり、ヤモトカミ(八元神)とも言い、世界の大元はこの八柱により支えられています。
(フトマニ図の中心から二番目の八柱の神で、広がり・外側に向いています。)
後にこのトホカミエヒタメの八神は、各々五人ずつ御子をもうけました。
次に、この八面(ヤモ・世界)を嗣いで治めた三代目の神の名をトヨクンヌといいます。トヨクンヌは天命を受けて、神の子孫を君、臣、民(きみ、とみ、たみ)のミクダリ(三降・三階級)に分けて各々の役割を定めて国を治めました。
この神の弟君にウケモチノ神(保食神)がいました。ウケモチの神は、何とか民を豊かに繁栄させるべく、アメミオヤ神に一心に祈ったところ、御心が通じて天からヒヨウル種(太陽と月の精気を含んだ種)が落ちてきました。
この種を水辺に蒔いたところ、ウル田(水田)のゾ苗(水稲・うるち)となって、八月一日(旧暦)には稲穂もあつく実って大豊作となりました。ウケモチはこの悦びを先ず兄トヨクンヌに報告して、八房(やふさ)に実った稲を献上しました。
大変喜んだトヨクンヌはこの稲穂をアメミオヤ神とアメミナカヌシ神に捧げて感謝のお祭をし、各々県主(あがたぬし)にも分け与えて国に籾(もみ)を持ち帰らせました、それを民に分け与えて広めたので、稔りの秋祭を皆が楽しめるようになったのです。
これで民の暮しも豊かになり国の平和が永く続きました。
諸民は、ウケモチの神を称えて後の世まで感謝の心を伝えました、これにより八月一日には親しい人を招いてご馳走をふるまったり贈り物をする「風習が始まりました。これを八朔(はっさく・八月一日)の祝といいます。ウケモチの神はイナリ神(稲荷)と称えられたのです。
ところが、トヨクンヌは男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっておらず、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。
そして、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。
四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神を妻としました。
この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、臣や民もそれに倣い男女の結婚制度が始まりました。」
天君はここまでお話になられ、一息つかれました。そして・・
「昔、コシの国(越前)のヒナルノ岳(日野山)の神の宮(日野神社)で、木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。
その種を庭に植えておいたところ、三年目の三月(やよい)の三日に、百(もも:たくさん)の美しい花が咲いて初夏になると香りの良い実がたくさんなりました。花も果も百(モモ)に付いたので、この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。
この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、男神の名を「モモヒナキ」と名付け、女神の名は「モモヒナミ」と名付けました。
ヒナとは、一(ヒ)から七(ナ)までで、まだ人(ひとは成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことで、君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで男女を意味し、この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。
モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことです。
この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。
このお酒を造ったのはイノクチという所のスクナミ神です。
庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見て閃き、籾を醸してにごり酒を造り、桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。
このササナミ神は後にササケ山に祀られ、それが「サケ」の語源となりました。
この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(おみき)と名付けました。
桃の花の下で盃に酒を注ぎ、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、逆さに写った月をそおっと飲み、後に男神が飲んでお二人は床に入られ交わりました。これを、トコミキ(床神酒)と言います。
三日目の朝姿を現わし、たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと寒川(さむかわ・氷川)を浴び、両神の情熱は昇華していきました。その折に、袖を大そう濡らしてしまわれたのが男神:冠と袴の形、少々濡らされたのが女神:小袖と上被衣(うわかつぎ)の形から、男神の名をウヒチニ(大きく)、女神をスヒチニ(小さく)と名付けました。
二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、末永く伝えられ、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まったのです。
そして、三年後の弥生(三月)の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。
花の下でお神酒を酌み交わした盃に写り映える逆さの月を飲みほしたところから盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれ、人々はこの両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」
ホツマツタヱ全文紹介! 天の巻 序/①。 原文ひらがなと漢字読み。
ホツマツタヱ全文紹介! 天の巻 ③。一姫三男生む殿の文(ひひめみをうむとののあや) 原文ひらがなと漢字読み
ひとこと
ヒナ・ヒト、日本語の意味は漢字で考えてしまうと多くの誤解を生じてしまいます。え?単なる語呂合わせだ・・と思われるかもしれませんが、その「語呂」が大切なんですね。漢字表記は後付けだということを頭の片隅に置いておく必要があります。桃の節句の謂れについても、一部の方たちにとっては今の日本を貶す材料にされていますが、真意を考えてほしいものです。
ホツマツタヱは、かなりの文量となりますので、すこしずつお話していきたいと思います。時間はかかりますが、定期的に書き加えていきたいと思います。
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