ヤマト:建国の理念! クニトコタチの「ト」の教えと八人の皇子。

ホツマツタヱとアワのうた

クニトコタチ様の精神「アメナルミチ」と「ト」の教えを受け継いだ八人の皇子たち(ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ) から、天神六代までの神による国創り。

 

神代の「天津神」時代

 

フトマニ図

中心に坐しますモトアケ神、「ウ」のひと言(一音)で宇宙が誕生し、その上下に配置されている天(あめ)と地(つち)に分かれ、 地(つち) によってクニタマをつくったとされる、天御祖神(アメミヲヤカミ)。古事記などでは、天御中主神とされる。

 

初代天君:クニトコタチ

初代クニトコタチはアメナルミチを示しその 理念に基づき、クニタマ(地上世界)に「トコヨクニ:常世国」をつくりました。

建国の理念をあらわすシンボルとして、「ト」のヲシテ文字の形を掲げました(写真参照)。空に向かって両手を広げ(Vの形)、太陽の恵みを受け取り、大地(□の形)へとつながって(縦棒)生きる エネルギーの循環 。それが「ノヲシテ」(トの教え)の基本です。

そして、次代の八柱の皇子神に教えを継承し天上へと還られました。

 

トコヨノクニ

中心のモトアケ神を取り囲んで、八方向に坐すのが、八柱の皇子神 「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」のヤモト神(八元神)です。

第二代天君:ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ

ホツマツタヱによると、

二番目(第二代天君)のトホカミエヒタメ八柱の皇子神から選ばれた「タ」「ヱ」カミは人の魂(タマ:精神・心)の緒を地上に吹き降ろし魄(シイ:肉体)と結び合わせて体の要素成しました。

初めて諸国を建国した国常立神(クニトコタチ)の八御子(ヤミコ・八面八降ヤモヤクダリの神)の頭文字・・とあります。

 

クニトコタチの八人の皇子たちの呼び名は、それらの神の名の頭文字をとって、 「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」 と各一字で表されます。

八人の皇子は 総称として世継ぎのカミ(統治者)を意味する「クニサツチ」と呼ばれ、各々を「ヱのクニサツチ、ヒのクニサツチ、、、」といいます。

八人の皇子たちは八洲(やしまのくに:八つに分割された国土)に散らばり、それぞれの州(くに)の統治者となります。

フトマニ図では、下記の方位に配置されています。

ト・南、 ホ・東北、 カ・西、 ミ・東南 

ヱ・北、 ヒ・西南、 タ・東、 メ・西北

父クニトコタチが創ったのはトコヨクニ(常世国)でした。

トコヨクニとは、「アメナルミチ」の理念に基づき「トの教え」の実践によって創られた理想の国家のことです。

「アメナルミチ 」とは、 創造と調和の精神を表し、天の心理を知る指導者のあるべき姿を説いたものです。 天津神として知っておくべき最も大切な真の帝王学のことです。

 

「トの教え」建国の理念は、 ア・ワのうたを通してこの世の理(ことわり)を知り、地(形としてそこに在るもの)すべてのものが融合・安定し調和のとれた状態を成すこと。 私欲をもたず国と民の安寧のためにつくし、トミ(臣:天君の傍で仕える者)も、タミ(国民)も法(のり:神の教え)を守る正しき行いを説いたものです。

 

八人の皇子たちは父クニトコタチの教えを受け継ぎ、その精神のもと、清らかな場所を選び、それぞれの国を治めました。

そして、それぞれ五人の御子をもうけます。

さきりのみち( トの教え )を うけされは(父クニトコタチから受けて) さつちにをさむ(清禍:さか もなく安らかに国を治めた)

やみこかみ(八人の皇子)は、おのおのみこ(それぞれ御子)を いたりうむ(五人もうけた)。

八柱の皇子神ですが、詳細が分かっているのはそのうちの四柱の神です。

ヱのミコト、タのミコト、トのミコト、カのミコト

ヱのミコトは父クニトコタチがいたヲウミ州(クニ:近江国)
タのミコトはヒタカミ州(東北地方)
トのミコトはホツマ州(富士山、蓬莱山周辺)
カのミコトは中国(西日本)へ行ったと言われています。

クニトコタチの跡を継いで最初にアマカミ(指導者)となったのはヱのミコト(兄)です。

八柱の皇子神は、ヱのミコトから順番にアマ神としての統治を行いました。

この順番が、それぞれの方位と季節を表しています。

・ヒ・タ・メ :おおよそ、一月から六月(冬至から夏至まで)

・ホ・カ・ミ :おおよそ、七月から十二月(夏至から冬至まで)

このひと巡りで1年という訳ですが、この頃のツキヨミ歴では 一月から六月(冬至から夏至まで)で一年、 七月から十二月(夏至から冬至まで)で一年としていました。

二年で季節をひと巡りするわけです。 今でも、6月には「夏越の祓」を行い、12月には「年越の祓」 をそれぞれ一年の締めくくりとして祭祀を行います。

因みに、ここから「ヱト」という言葉が生まれ、のちに干支(えと:十干、十二支)の漢字が充てられました。

  

八柱の皇子神は「三種の大祓(みくさのおおはらへ)」にも登場する。

この八皇子の文字、実は「三種の大祓(みくさのおおはらへ)」という祝詞にもでてきます。

吐普加身依身多女(トホカミヱミタメ)
寒言神尊利根陀見(カンゴンシンソンリコンダケン)
祓ひ玉ひ清め給ふ(ハラヒタマヒキヨメタマフ)

この「ト・ホ・カ・ミ・エ・ミ・タ・メ」の本来の意味は一般的にハッキリしないとしながらも、「遠つ御祖の神、微笑み給え:とほつみおやのかみ、ほほえみたまえ」ではないかともいわれますが、詳細はわかりません。

ホツマツタヱにもそれについての記述はありません。

・ホツマツタヱ「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・・タ・メ」
・三種の大祓 「ト・ホ・カ・ミ・エ・・タ・メ」

一文字だけ違い、「ヒ」と「ミ」の部分です。

 

漢字の意味にこだわってはいけない。

使われている漢字の持つ意味にはこだわらないでください、何故なら現在読まれている神道の祝詞でも仏教の経典でも漢字は後からあてたものであって、必ずしも正確に本来の意味を成しているとは限らないのです。

もともと言葉(音)が大切なのであって、「あかはなま~・・」 のアワのうた48音とそれらに対応した48のヲシテ文字(神代文字)からなる言葉に後の時代に漢字をあてただけなのです。

漢字が伝来する以前は、一部で神代文字などが限定的に使われていたようです。

おそらく、祭祀を継承し執り行う一族ののみであったと推察されます。

これは、竹内文書にも記されているようです。(第七三世武内宿禰である、竹内睦奏氏談)

神代文字が使われなくなって以降は、本来の意味を取り違えることがないようにひらがな又はカタカナを使った訳です。

仏経典も同じで、サンスクリット語の発音に合わせて文字(漢字)をあてて使っているだけなんです。

 

ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メと読む理由。

この八柱の皇子神の生まれた順番は、「ヱ・ヒ・タ・メ・ト・ホ・カ・ミ」と言われています。一月から十二月の一年でした。

ひのいずる かしらはひかし(日が出る頭は東) 
たけのぼる みなみるみなみ(たけ登る日はみな見る南)
ひのおつる にしはにしつむ(日の落ちる西は丹(に)沈む)

 

これは、日が昇るは東、皆(みな)が見(み)る「南」と言い、日の落ちる (に)沈む「西」 ということを説明しているんですね。

南向き真上は太陽が一番高く上る場所なので大切にされた方角です、新緑の七月であり、「ト」 の神が治めた ホツマ州(くに)が最も実りが多く豊かな国の中心的存在であった。

東方にあった 「タ」の神ハコクニ様が治める「ヒタカミの州(くに)」もまた、立派な基盤を築いており、初代タカミムスヒとして 「ト」のクニサツチの建国事業に協力しこれを支えていたのです。

豊かで実り多いこの地に、クニトコタチ様の象徴でもある 「トコヨノ花(橘:たちばな)」をハラミに山に植え、名を「カグヤマ(富士山)」と改めました。ここが、ハラミの宮となったわけです。

トのミコトはヱのミコトの跡を継ぎ、タカミムスヒの協力を得て父クニトコタチの教えである「トの教え」を実践し国を豊かにし、子・トヨクンヌに三代目アマカミを引き継いでゆきます。

 

それは「三種の大祓」という日本最古と言われる祝詞の中で受け継がれてきました。

フトマニ図については、別記事で詳細をご覧ください。

ホツマツタヱに見る、フトマニ図をわかりやすく解説。フトマニと和歌。

 

古代東北地方「ヒタカミの国」。

ヒタカミとは古代東北地方一帯のことで、クニトコタチの八人の皇子の1人、「タ」のミコトが向かった場所です。

タのミコトには別の名があります。

「タカミムスビ」
「キノトコタチ」
「ハコクニ」

実は、神名のタカミムスビは継承名なんですね。

つまり、タのミコトは初代タカミムスヒということになります。

また、古代には3つの「ツボ」と呼ばれる場所がありました。

・ケタツボ
・ハラミツボ
・オキツボ

「ツボ」とは政(まつりごと)を行う中心地のこと。

このうちケタツボがヒタカミにあたり、タカミムスビの宮は仙台にある多賀城あたりではないかと考えられています。

 

ホツマツタヱには、このように書かれています。

トコヨ神(クニトコタチ)が、木の実を東に植えて子を儲け、ハコクニの神(タカミムスヒ)と名付け、ヒタカミ(東北)の政庁においてミナカヌシを祭り、橘を植えたので、クニトコタチ様の子、初代タカミムスビを皆がキ(東)のトコタチ様と讃えたのです。

※補足
ミナカヌシ・・・アメノミナカヌシ(天御中主)、宇宙の創造神であるアメミヲヤと同一のアモト神。
・橘(たちばな)・・・「トの教え」のシンボルを表しています。
・「トの教え」・・・無私の精神で民のために国創りを行うというアマカミ(天神)の心構えのこと。
東西南北・・・キツサネ(東はキ)。

ハコクニ・・・父クニトコタチがタのミコトをハコクニ神と名付けた。

キノトコタチ・・・ヒタカミの政庁でミナカヌシを祀り、「トの教え」のシンボルの橘を植えたというのは、ヒタカミが国として認められたという証。

クニトコタチの都は近江。そこよりキ(東)にあるヒタカミで、クニトコタチを継ぐ者として皆が認めたのでキ(東)のクニトコタチ⇒キノトコタチと呼ばれた。

そして、豊かな実りと平和な国に民の暮しも豊かで安寧を得たのでした。

そこで尊敬の念を込めて、第五代タカミムスヒを、豊受大神(トヨケノ神:斎名(いみな)タマキネ と称えられました。

天上の高間殿に、フトマニに描かれた モトアケ神、アモト神、アナミ神、ミソフ神 をお祀りする形態を確立されたのも トヨケノ神 でした。( ユキ殿 スキ殿 を祀る)
そして、ヒタカミはその後も代を重ねながら繁栄を続けます。

ユキ殿:アウワのモトアケ神、 アモト神、アナミ神  をお祀りする。

スキ殿: ミソフ神   をお祀りする。

ア から ワ の一巡を示しています。 これらは、ユキ殿・スキ殿と呼ばれ、現在も皇居の中にあり重要な祭祀で使われています。

  タのミコトが父クニトコタチからも民からも認められた素晴らしいクニサツチ(指導者)だったということです。

第三代トヨクンヌ神

第三代トヨクンヌ神までは、アメナルミチに則った国造りは陰りもなくうまく収められていましたが、豊かであった国にも時代が下りごとに陰りがみえてきます。

 

アメナルミチ継承の危機。

第4代ウイジニ・スイジニ (夫婦神)

幼き頃に、越の州・ヒナルノタケの宮にて知り合った二人の御子は、互いに木の実を持ち寄り植えられました。

3年たった三月三日には、たくさん(百)の花が咲き実を付けたので、「百(もも)の花」と名付け、お二人に名もまた モモヒナキ・モモヒナミ と名付けられました。

ヒナ(雛:未成人)は、ヒト(成人)になる前のことです、キとミは木(男性)と実(女性)のことではそれぞれの文字が名前に付けられています。

ヒ・ナは、一から七までを意味します。(ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ までの成長段階)

ヒ・トは、一から十 までを意味します。 (ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・トすべてせいちょうしたもの)

成長したふたりの皇子は、三月三日に結婚の契りを交わしお神酒を交わしたことで、結婚の儀が広く執り行われるようになりました。

 

第5代オオトノチ・オオトノマエ (夫婦神)

ツノクヰ様 と イククイ が、大殿(おおとの:中央の宮)の扉の前で出会われたことから、オオトノチ・オオトノマエ と呼ばれるようになりました。

この二神も清禍(さいか)なく過ごされています。

 

6代目オモタル・カシコネ (夫婦神)

オモタル・カシコネの 両神(ふたかみ)は、ヲウミを拠点に全国を巡られ隅々までを統治していましたが、世継ぎに恵まれず、世の中が乱れ始めてしまうのです。

 

オモタル・カシコネ(夫婦神)の両神(ふたかみ)は、国の秩序が乱れた結果収穫は減り、盗み、喧嘩などが起きはじめました。

そこでお二人はやむなくサカホコ(矛)をもって民を罰して国の秩序を守ろうとしました。

( サカホコ は、剣の元・原型といわれ、アメナルミチと共に皇統を継ぐ者が代々受け継いできた神宝のひとつ。)

おそるゝは なつみどきれは
こたねたつ げにつゝしめよ

恐れるべきは、無罪人(なつみと)を斬るようなことがあれば、子種が断たれるので、げに慎むことです。

オモタル・カシコネのお二人は、秩序が乱れた国を治める心労のせいか、アマカミを継ぐ人がいない、つまりお世継ぎに恵まれることがありませんでした。

ここで、皇統の断絶の危機を救ったのがヒタカミを治めていたトヨケ神です。

 

高間殿にて、諸神による会議。

タのミコトにはお二人の皇子がいました、2代目タカミムスビアメカガミという神です。

2代目タカミムスビの系統は3代、4代を経て5代目タカミムスビとしてトヨケカミが登場します。そのトヨケカミの娘イサコ様(イサナミ(伊弉冉尊・イザナミノミコト)です。

そして、

アメカガミの系統はアメヨロズ、アワナギを経て、登場するのがカミロキ様(イサナギ(伊邪那岐尊・イザナギノミコト)です。

伊邪那岐尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)はご存知の方も多いのではないでしょうか。
ホツマツタヱではイサナキイサナミという名で記されています。

このお二人はヒタカミ(タのミコトの皇統)の血筋を引いていたということですね。

トヨケカミの提案で、この御二人をご夫婦とし、新たなアマカミ(第7代目)とすることで国の危機を救おうとしたのです。

 

ここに、第6代アマカミ オモタル・カシコネ(トのミコト)から第7代アマカミ イサナキ・イサナミ(タのミコト)は皇統が引き継がれました。

 

この御二人は古事記、日本書紀でも国生みをした神様としても有名ですが、ホツマツタヱにおいては、そこに至るまでの事が以上のように詳細に語られています。

伊勢神宮の外宮にお祀りされている豊受大神(トヨケカミ)と内宮にお祀りされている天照大御神(アマテルカミ)の関係がどのようなものだったのか、大体予想がついてきますね。

 

第七代アマカミのイサナギ・イサナミの御代、「ヤマト」という国号が起きます、そして「ヤマト」の「ト」も「トノヲシテ」の「ト」なのです。

ホツマツタヱ23章に「ヰヤマトトフル ヤマトクニ」とあります。「ヤマト」は「ヰヤ(弥)マ(真)ト」、すなわち、大いなる真(まこと)の「ト」の意味です。

日の時代に漢字が渡来したおり、大いなる和を以て国となすことから、「大和」の字が当てられたのだと考えられています。

 

 倭国(やまとのくに)の文字は、魏の国において勝手につけられたもので、ある意味差別(蔑視)された呼び方であって本来の意味を成していません。

 また、「ヤマト」のほかに「ヒノモト」の国号も使われました。同章に「マトノヲシヱハ ノホルヒノ モトナルユエニ ヒノモトヤ」とあります。

真(まこと)の「ト」の教えは、昇る太陽の下(もと)なるゆえに「ヒノモト」である。その意味するところは、「ヤマト」のヲシテ文字を見ればよく分かります。「ヤ」は日が昇る形、そして、「マ」は日が沈む形をしています。

 

謎が多い豊受大神(とようけのおおかみ)

トヨケカミは伊勢神宮の外宮にお祀りされている豊受大神(とようけのおおかみ)のことです。

古事記は登場しますが、日本書紀には登場していませんが、伊勢神宮の外宮にお祀りされているほどの神様であることは、ホツマツタヱを読み進めると理解ができるのです。

 

トヨケカミ(豊受大神)はアマテルカミ(天照大御神)の祖父。

アマテル神(天照大神)を語るうえで欠かせないのがトヨケカミ(豊受大神)です。

そして、よく知られている 三貴神について・・。 これも古事記などによる記述とは随分違った内容となっています。

 

次回は、イサナキとイサナミの両神による国生み(国家再建)とアマテル神の誕生について書いていきたいと思います。

 

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