法華経に見る量子物理。②

法華経の宇宙観

科学と宗教の求める根源は同一。仏教の経典や古神道の祝詞・ウタヒなどには、空間そして命の成り立ちなどが当時の言葉で表現されている。現代科学だけを信奉している人たちによって眉唾扱いされているこれらの事実に目を向け、その内容を真摯に受け止めなければならない。

 

 十如是 とは(妙法蓮華経方便品第二 )

 

所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因  如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等。( しょいしょほう にょぜそう にょぜしょう にょぜたい にょぜりき にょぜさ にょぜいん にょぜえん にょぜか にょぜほう にょぜほんまつくきょうとう )

諸法実相、現宇宙(私たちが知覚する現象世界)の全てのものは、どのようにして創造され、変化しているのか、その妙理法則を説いたのが、 十の諸法 「十如是」です。

 

如是」とは、法則にかなうありのまま 。

・如是 : 全ての存在の、すがた・形

・如是 : 生まれもっている性質

・如是 : 相と性も一体

・如是 : 潜在的・本質的な能力

・如是 : 作用・はたらき

・如是 : 相と性 を成す直接的原因

・如是 : 相と性 に影響している 間接的条件

・如是 : 因と縁によって生じた結果

・如是 : 結果がもたらす具現的状況

・如是本末究竟等 : 相(本)から報(末)までが究極的に一貫し等しく影響し作用していく流れ、循環の様子を示している。

星(恒星や惑星、銀河などすべて)の生成・形成・成長・消滅 の循環プロセスも、一つの命のとしての 循環プロセスも 根源は同じであると考えます。

 

消滅と生成を繰り返し絶えず相互に変化している 素粒子の世界に 一体どのような意味があるのだろうか。永遠に 定常的なものは 存在していない この世界(素粒子空間)。

そこに目的や必要性があるのだろうか、そうなるとそこに ” 在る命 ” も一体どんな意味があるのだろうか、それこそが ” 空 ” なのではないのだろうか。

物質と物質の間に空間があり、物質が時間を生む。それらすべてが ” 空 ” なのだ。

 

十界互具の妙法

「十界」とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。

存在する森羅万象を大別すると、「十界」といわれますが、全て因果の法則によって、生かされている存在で「十法界」又は、略して「十界」と呼んでいます。この十界の一界ごとに、他の九界を具えているから「百界」となります。そしてその百界の一つ一つに、「十如是」を具えていますので、「千如是」となります。更に千如是の一つ一つに、五蘊世間・衆生世間・国土世間という三種の世間を具えていますから、「三千世界」とよびます。

 

 

肉体を離れ、世俗のしがらみなく良くも悪くも純粋な魂となった時に、それぞれのエネルギーレベル(一般的的に波長が合う)者同士がグループ化してきます。

そのグループが一つの世界を形成し、結果的に 無数のグループ(世界)が出来上がることになります。

 

異世界への扉

 

共に穏やかな世界、相争う世界、個々の認識しかない無関心な世界、堕落し収拾のつかない世界 など様々で、これらは自らが好んで入っていく世界であり、決して誰か(何か)に強要されているわけではありません。

原子核の不安定な放射性同位体が、α線やγ・β線を放出しながら安定物質へと変化していくのと同様に、魂が安定状態(無我)になるまでは、自身や外部に対し何らかの影響をもたらしながら輪廻・転生して生きてゆくわけです。

 

地獄界 菩薩界 修羅界  とは、人が解釈しやすい言葉で表現した呼び名でありすべては 十如是による 因果応報 なのです。

 

仏教における 「有」の世界(輪廻の影響する世界)は、次の3つの世界から成っていると言われている。

「有」の世界

欲界、つまり私たちの通常感じることのできる3次元世界で、肉体の中。

色界、肉体を離れ現世の束縛(肉体)の無い世界で、 良い意味でも悪い意味でも ある意味 魂の本性が剥き出しの状態、現世から引きずった想念の影響が現れる4次元

無色界、 現世から引きずった 想念 や 物質 の影響がない 純粋な精神エネルギーのみの世界 ここからが、5次元と考えられる。

無色界 の ” 四空 ”

空無辺処定 : 無色界の(下から数えて)第1天 。一切の作意のない、形のあるこの肉体を厭い、大空は無限であることを達観すること。無色界には空間的な場所はない

識無辺処定 : 無色界の(下から数えて)第2天。 外の虚空の相を厭い、内なる識を観じて、識が無辺であると達観すること。

無所有処定 : 無色界の(下から数えて)第3天。 何も存在しないと観察し達観する事。

非想非非想定: 無色界の、最上位 。しかし、 思考は残っているので煩悩を完全に捨て去った訳ではない。 この世界であっても涅槃ではない、解脱の世界ではない。)

・・と段階的に移っていく。しかし、ここまではまだ ” 六道輪廻 ” を離れてはいない。 生成流転の一部です。

この世界には高次の生命が存在し、人を導き救済する菩薩や八百万(やおよろず)の神々・精霊などがいます。

 

涅槃

 

宇宙一体

 

「有」の世界 をすべて超越し、悟りの状態。その高次のエネルギーはもはや何の作用も受けることなく 完全なる ” 無我の我 ” としての存在となる。6次元以上であって、そのエネルギーレベル(振動状態・波長)によりどの次元に同調・定着できるかが決まる・・・と考えられる。

一般に、言葉では言い表せない世界と言われているので、何とも言い難い。

所謂仏教では、人という因果から無量無辺の 涅槃の世界「滅尽定」に達する(解脱する)までの道のりを説いたものです。
滅尽定に入ると、身体の素粒子レベルから一切の活動が停止してしまうといわれますが、これもまたわかりません。

エネルギー現象意思・存在による作用 との境界はよくわからない。

超弦理論や不確定性原理を前提に考えると、あらゆる次元でも その振動が止まることは考えていないようなので、こうなると想像の域を超えています。

 

如来寿量品第十六にある無限の過去

” 方便品第二 ” と共に、法華経の中で重要な内容とされるのが ” 如来寿量品第十六 ” 。

自我得佛來 所經諸劫數 無量百千萬 憶載阿僧祇 (じがとくぶつらい しょうきょうしょうこつしゅ むりょうひゃくせんまん おくさいあそぎ )

「私 (久遠実成の仏陀) が仏になって以来、 無量百千萬 憶載阿僧祇 (数えきれないほどの永い永い歳月)が経っている。」

(久遠実成の仏陀) は、無限の過去?に成仏し(過去永劫)未来永劫 と無限の生命を持つ 如来である。

常説法教化 無數億衆生 令入於佛道 爾來無量劫 (じょうせつぽうきょうけ むしゅおくしゅじょう りょうにゅうおぶつどう にらいむりょうこう )

われは常にこの娑婆世界にありて、過去永劫にわたり無数の衆生を仏道に導き教化してきた。

また、

壽命無數劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑(じゅみょうむしゅこう くしゅごうしょとく にょとううちしゃ もっとししょうぎ)

私の寿命は無数劫の永きにわたるものであり、それは私が永く久しいあいだ修行を積んで得た結果である。汝ら智慧のある者はこれを疑ってはならない。

仏の宇宙観では、過去も未来も永劫であるとしていること。

これでは、(原因は一切不明で、なぜかそれにこだわらない)ビッグバンで極小点(量子ゆらぎ?)から宇宙が始まり膨張しているとする今時の常識的物理とあわない。

膨張をさかのぼれば、 極小点 に戻る訳で  インフレーションの時、久遠実成の仏陀はどこにいたのだろうか。

 

「膨張宇宙説」の中には、膨張と収縮を繰り返しているという考え方もあるようで、それを以て無限のループと解釈するのかもしれない。

また、古神道などでは、解脱への道というより世界(宇宙)すべての成り立ち(始まりの理:ことわり)から 神々の誕生 、人への変遷 や相互の関わりとそのあるべき形が説かれています。

素粒子の持つ 二重性 や転移などについても謳われており、その多くは洋の東西を問わず ” 歌や詩 ” といった形で残されています。

それらについては、おいおい書き足していきたいと思います。

 

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