古文書に見る日本の歴史! ⑴ 竹内文書は本当に偽書なのか?古事記解説編 その2

正統竹内文書

古神道・竹内文書を読み解いていくと、消えた日本の歴史が見えてくる。 竹内文書(帝皇日嗣)で見る 国生みと神生み。天と地が分かれ地球創成が始まる。

宇宙の神が顕現し地球を含む惑星があちらこちらに誕生した。さあ、地球に神が降り立つ天孫降臨によっていよいよ惑星環境がつくられていきます。

 

イザナギとイザナミ

私たちにとって、最も馴染み深いイザナギとイザナミについて正統竹内文書(帝皇日嗣)を基に纏めてみたいと思います。

先ず、前提として頭の隅に置いておきたいのは、イザナギとイザナミという神は世襲名であってそれぞれが唯一神だという訳ではありません。

高天原より降り立った ” 天神 ” としての イザナギとイザナミ 二柱の神の初仕事から、人間という種族の中で統治をおこなう 現人神(あらひとかみ)のイザナギとイザナミ がいるのです。何代にもわたって世襲されていると竹内睦奏氏は著書の中で語っています。

この イザナギとイザナミ に限らず、スサノ、アマテラス、ツキヨミなど幾柱の神は、そうやって人へと引き継がれているのです。

 

降臨した、イザナギとイザナミが生み出した大八島と八百万の神!

不遇の子蛭子神

 

皇記・帝皇日嗣

 

第十八代、不遇の子  ” 蛭子神(ひるこのかみ) ”

 

国つくりの段階で、イザナギの神とイザナミの神が天の御柱の周りをぐるりと回り、イザナミの神からの声掛けにより誕生した島が「淡島」つまり、蛭子神(ひるこのかみ)だった。

「女人(をみな)まづ言えるは不良し(さがなし)」   女性が先に声掛けするのは、良くないしるしだ、とイザナギは思った。

 

儀式の手順として、女性から男性に声かけをすることはタブーとされていたため、 ヒルコ神は障害を持った不遇の子として生まれた。そして葦船に乗せられ流されたと古事記には記されている。

淡島誕生は失敗に終わり消えたということですが、帝皇日嗣では第十八代の神としている。たとえ障害を持って生まれても、差別なく神として数えていたことになります。

後にこのヒルコ神は、恵比寿様となったという説もあります。

(ヒルコ神については、下の「三貴神」で少しお話しています。)

この失敗をどうすればよいのか、 イザナギとイザナミ は高天原の神たちに相談します。 天神たちは、太占によって やはり声掛けの順序を正しくやり直す事との結論を出しました。

 

自凝島

 

第十九代、淡道之穂之狭別嶋神

 

もう一度、おのころ島に戻ったイザナギとイザナミは、天之御柱の周りを回り、今度はイザナギからの声掛けで誕生したのが、淡路島の神でした。

神の名は、淡道之穂之狭別嶋神(あわじのほのさわけのしまのかみ) といいます。

この淡路島は、竹内宿禰の口伝では、日本の子宮である近江の国(淡海:あうみ)の琵琶湖をグルグルとかき回し落ちた滴で作られたと言われ、淡路島と琵琶湖は双子とされている。(ならば、本州はその前にできていたのかということになる。竹内睦奏氏談。)  この辺りは、口伝の中でも異なった伝承が混在しているそうです。

 

第二十代、  伊予二名島(いよのふたなのしま)

 

二番目に、四国が誕生しますが、日本書紀では、本州(大日本豊秋津島:おおやまととよあきつしま)が先になっています。これは上記古神道の奥義を隠すためだということである。

これは、死から生への再生を意味する古神道の奥義であるとされており、それを隠すためだと竹内睦奏氏は語っています。 四国の名の由来は、死国なのです。

 

参考: 熊本の阿蘇神社から大分の宇佐神宮を通り住吉大社・伊勢神宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮を通る地脈(地震帯)があります。古神道では、地龍と言い途中四国の剣山を通っています。 詳細は省きますが、剣山には聖櫃(アーク)が隠されているという話を聞いたことのある方は多いと思います。 これらの危険なエネルギーラインと熊本の阿蘇が結ばれています。そしてそのエネルギーラインの謎を解くカギは幣立神宮の石碑と国東の石碑の古代文字にあると考えます。

これ以降、 記紀によって順序は変わりますが次々と日本の島々が誕生します。

神皇祈によると、三十七代までに 陸土・海・山野・河川・風雨・家屋などを統べる 二十四尊 が誕生したとなっています。

第37代 両児島(ふたごのしま):別名天両屋神(あめのふたやのかみ)(これは五島列島を指します)まで国生みは続き、日本全体を 「大八島国」 といいます。

ここで一旦、国生み(国土の神)は終了となり次に神生み(地上の生活圏全体の神)が始まります。

第十代、第十一代の角材神と活材神の頃に形作られ一つであった超大陸も少しずつ形を変えてゆき分断していきます。

最終的にその形は、日本列島をそのまま拡大したような相似形となっている。 これは神の意思であり、このことは 竹内文献・口伝でも残されており、「内八洲 外八洲観」と言われています。

 

世界5大陸と日本列島の関係

 

八百万の神々の誕生

 

第三十八代、 大事忍男命

 

ここからは、国土を形成しそれぞれの場所を司る神としてじつに多くの神々が生まれてきます。

山、谷、峯、沢、河口、砂利や砂・石ころや土、水、泡、風、雲、霧、etc

すべてのものや状態の違い、例えば二方向に分かれるような場所には、二俣の神といった具合にあらゆるものが神として生み出されるのです。

八百万(やおよろず)の神と言われる由縁ですね。

六十八代鳥石楠船神(とりいわくすふねのかみ) 別名:天鳥船神:あめのとりふねのかみ)空をとんだと言われる船の神で、ここまでは順調に運んでいました。

 

六十九代、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)

 

「火之迦具土神と謂ふ 此の子を生み給いしに因りて ミホト灸かえて病み臥せり」

火之迦具土神と いうこの神は、燃える火の神であったため イザナミの神は、ホト(陰所)を焼かれて煩い床についてしまった。

この状況が何を意味しているのかは諸説あり、詳細は不明です。 それほど出産というのは、壮絶であると云うことなのでしょうか。

苦しみの余り垂れ流した汚物などからも神は生まれています。

埴山彦命(はにやまひこのみこと)大便より生まれる男神。

埴山姫命 (はにやまひめのみこと)同じく、女神。

水波姫命(みずはのめのみこと)尿より生まれる女神。

古事記ではそれぞれ、波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)、 波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ) 、弥都波能売神(みつはのめのかみ) と書かれています。

古事記での神名は後付けされたもので、これら糞尿の神は一体どのような神にあたるのだろうか‥という考えにより、水の神、土の神を当てたのだと云うことです。

 

綺麗も汚いもなく、万物に神は宿るとされ、糞尿も農業に利用され役立つことをあらわしていると言います。  スサノオが天界で乱暴狼藉を働いたとき、田畑に糞尿をまき散らしたとされていますが、これも同じことを示していると云うことです。

帝皇日嗣では、命を落としたイザナミは、出雲の国(島根)と伯伎(ほうき)の国(鳥取)の境にある比婆(ひば)の山にイザナギによって埋葬されたとあります。 悲嘆にくれたイザナギは・・

「是に伊弉諾の命 御佩(みは)かせる十拳(とつか)の剣を抜き その子 火之迦具土神 の頸(くび)を斬り給ふ」

イザナギが、身につけていた剣(天之尾羽張という霊剣)で ” ひのかぐつちのかみ ” の首を切ると言うのは、実際に手にかけた訳ではありません。

神道では、「一霊四魂」という考え方があり、これは霊体には四つの魂が宿っていると考えられています。

1 和魂 (にぎたま) 優しさを表す。

2 幸魂 (さきたま) うれしさを表す。

3 奇魂 (くしたま) 個性を表す。

4 荒魂 (あらたま) 怒りなどの荒々しさを表す。

イザナギは、火之迦具土神 の荒魂を斬り落としたのでした、残りの三つの魂は須佐之男命へと降りていく事になります。

霊体が切られたところからもいくつかの神が生まれ、人の形に降ろしたと言われます。 これは、人の形の中には多くの神がいて、それぞれの神による作用が働いていると云うことを伝えているのだそうです。

 

刀剣の三神( 火之迦具土神 の霊体より生まれた神)

 

石折り神(いわさくのかみ)、根折神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)

因みに、石筒之男神 は後の鎌倉時代、隕鉄で作られた ” 名刀正宗 ” に降りたとされています。(隕鉄には、神が宿り霊力があるとされていたのです)

 

黄泉の国(根堅洲国:ねのかたすくに)

 

イザナミが黄泉の国へと行ってしまったことを深く悲しみあきらめきれないイザナギは、そのあとを追い黄泉の国へと向かいます。

しかし、この世とあの世を隔てる石の扉 ” 殿の縢戸(とののとじど) ” で固く閉ざされていた為、その扉越しに 一緒に帰ろうとイザナミに声を掛けます。

 

しかし、イザナミは黄泉の国の不浄なもの(食物)を口にしてしまったため、このままでは戻ることはできません。 

黄泉神(よもつかみ)と相談するのでしばらく待ってほしいと言い残しその場を去りましたが、イザナギは待ちきれずに髪に差していた櫛の歯を折り、燈を灯して扉の奥を見てしまいました。

そこには、まさに腐れ爛れたイザナミの躰がありました。

「吾(われ)に辱(はじ)見せつ」 とイザナミはイザナギに言います。

恐ろしくなったイザナギは、その場を逃げ出してしまいました。

竹内睦奏氏によると、出産で苦しむ姿や死後の醜い躰など女性の恥ずかしい姿を見てはいけないと言う男性への戒めだとの事ですが、現代ではその考え方も変わってきているようです。

このあたりの件は、古事記も帝皇日嗣も同じようです。

黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げてきたイザナギは、 追いかけてくる醜女(しこめ:イザナミの手先)に 桃の実を投げつけ、イザナギは現世へとたどり着きました。

助けてくれた桃の実 に感謝をしたイザナギは、” 意富加牟豆美命(おかむずみのみこと) ” という名を与えます。 この桃の実は霊力を持っていました、古神道では桃の実に霊力を降ろしたのは ” 高皇産霊神 ” となっているそうです。

桃の実の霊力については、 古代中国の道教の影響だと言われますがそれは間違いだとの事で、古神道の考え方がその後中国に伝わったものだと云うことです。

黄泉比良坂 まで追ってきたイザナミに対し、イザナギは離婚をつきつけ、史上初の夫婦喧嘩となったわけです。  夫婦喧嘩の原因が男側に多いのもこれが原因なのでしょうか・・。

イザナギとイザナミの夫婦げんかについては、別記事(ホツマツタヱが語る古代日本②イザナミの死 とイザナギの禊)にてお話しします。

因みに、 帝皇日嗣では イザナミが黄泉の国へ降りた時の名前を、” 白山菊理媛 ” としています。

 

神から人への世襲

 

大祓詞にある、皇神 神漏岐・神漏美の命(すめらがむつ かむろぎ かむろみのみこと) とあるのは、固有の神を指すのではなく 男女対の神を象徴しているのだそうです。

高天原で引き継がれてきた伊弉諾・伊弉冉の神の最後の神が、ユーラシア大陸から日本列島が分離する頃に地上界のイザナギ・イザナミに神霊として肉体に天降り、人としての初代イザナギ・イザナミは国つくりを引き継いでいくと云うことです。

 

それが、一万六千年前の初代縄文人であり、紀元前五世紀くらいの弥生人辺りまで、その存在はあったとされています。

この男女対の天皇・皇后が、絶えることなく後の世まで続いているわけです。

口伝によると、高天原(天津神の宮)は空の上つまり宇宙を指していると言われ、天上界から地上に降り立ったとされるのは、地球外生命体が地球に入植したと思われるような内容となっていることから、人間の祖先は地球上で発生し進化を続けてきたという進化論は間違っていると 帝皇日嗣は語っています。

茨城竹内文書が、より具体的に 宇宙人飛来説を語っているのもそのためだと思われます。

現世に戻った イザナギは ” 日向の橘の小門の阿波岐原 ” で禊を行いながら諸々の神を産み出していきます。

川に入り汚れを落としながら脱ぎ捨てたものひとつひとつからも神が生まれます。(穢れが神格化した「禍神(まがつかみ)」もいます。)

禊の最後に生まれたのが、三貴子(三貴神:さんきしん)と言われる神です。

竹内家口伝では、すべてを語っておらず古事記・日本書紀に基づいた話の実を公表しています、真実は語れないとのことです。

しかし、もともと生れてきたのは四柱の神であり、ヒルコ神(ワカヒルメ)について多くを語らないのは何故なのかは不明です。

ヒルコ神(ワカヒルメ)については、ホツマツタヱで、詳しく書かれていますので、少しづつ記事にしていきたいと思います。

ホツマツタヱに見る、フトマニ図をわかりやすく解説。フトマニと和歌。(ワカヒルメの不遇)

 

三貴子は、三つの支族

 

黄泉の国から戻った伊邪那岐が、川に浸かり 左目を洗った時に生まれたのが 天照大御神

 

右目を洗った時に生まれたのが 月夜見命

 

最後に鼻を洗った時に生まれたのが 須佐之男命

 

古事記ではこのように描かれています。

しかし、帝皇日嗣では次のように書かれているようです。

地上に天降りた伊弉諾神が生み出した三貴子は、三つの支族の祖であったことを意味しています。

天照大御神は太陽の神官、 月夜見命は月の神官、 須佐之男命は海の神官で、伊弉諾神がそれらの氏族を統治していたと云うことです。

幾度かの天変地異や地殻変動、最後の大洪水を経て、1万2千年前頃の人類が文明を再興し、人口も増え始めたころ、この三支族の祖先は、日本の地を離れて世界へと出かけて行くことになります、当然、出張組と居残り組とに分かれていきます。

 

天皇家の十六弁菊花紋は、十六の方向へ、三族からの各族が散らばっていったことを表すものだと記されています。しかし実際はこの十六弁菊花紋は、太陽紋で支族を指すものだと言います。

この紋章を携えて、 出張組はそれぞれ別のルートで、陽の沈む方へと新天地を目指して長い旅路へと出かけて行きます。 天皇族(すめるぞく)として世界へと拡がっていったのです。

居残り組は原日本人として、隼人・クマソをはじめ飛鳥地方や諏訪・富山辺りなどあちらこちらに多様な民族がそれぞれに繁栄していたといいます。

 

内・外に向かう、十六菊花紋

 

世界文明の始祖

 

大陸に拡がったグループは二つありました。

一つは、朝鮮半島から大陸へ進み西へと進んでいった。

もう一つのグループは、東南アジアの島々を経由して海路を辿り西へと進んでいった。

この二つのスメル族は、長い時を経て途中その痕跡を残しながらメソポタミアの地で合流しシュメール文明を築きます、これが現在では遺跡として確認のできる最古の文明だとされています。

同じ頃の日本は、越の国(現在の富山辺り)を中心に、東アジア翡翠文化圏が形成されており、北アルプス立山のふもとの尖山(とがりやま)は東アジアの首都のような役割を持っていたと語られています。

シュメール最大の都市 ” スサ ” は、陸路を辿ったグループの王スサノオの名であり主に軍事を担当していた。

太陽信仰や古代神を祀り生きる術としていた彼らは、近隣民族との戦いに疲れ理想郷を見出すことができず砂漠の地に見切りをつけ、祖先が通ってきたルートを逆にたどり、再び自然豊かな祖国の地を目指して長い旅路へと出かけて行った。

陸路ルートをたどったグループは、大陸中央を通り朝鮮半島から本州・山陰地方へ上陸し出雲族となる。

陸路ルートをたどったグループは、 インドネシア東南アジアを経て九州に上陸し、日向の高千穂にて日向族となった。

紀元前5世紀ころの事だったと言います。

それまで、戦いなど知らず平和に暮らしていた縄文人(現日本人:居残り組)はたちまちのうちに両支族に征服され吸収されてしまった。

こうなると、必然的に出雲族と日向族の戦いへと発展してゆくことになる。

そしてもう一つ、ほとんど資料などは残っていないが、この両支族に征服されることなく生き残ってきた民族も僅かではあったが知られている。それは、「サンカ」と呼ばれた人たちではないかと考える研究者も多い。 

 

カテゴリー:古史古伝から学ぶ、真・日本古代史!

 

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