「大祓詞」とそこに登場する「四柱の神」。古事記・日本書紀では語られない神とは!

ホツマツタヱとアワのうた

「大祓詞」(おおはらえのことば)とは、魂を浄化し、四柱の神の御加護を得るための大いなる言霊。すべての邪気を払い浄化をする神とは、いったいどんな神なのか‥。 

「大祓詞」に登場する四柱の神とは

瀨織津比賣(せおりつひめ)

速都比賣( (はやあき つひめ)

氣吹戶主(いぶきどぬし)の神

速佐須良比賣(はやさすらひめ)

 

古事記・日本書紀においては、この四柱の神についてはほとんど記されていません。同時にこれらの神と深く関わっている「ハタレの動乱」についても同様です。

ハタレとは、根国を治めていた「クラキネ」に仕えていた、シラヒト・コクミの二人が国(アマテル大御神)を裏切り悪霊(愚霊:おろち)となり根国が乱れた時に同じように悪霊にとりつかれた多くの民や反政府軍団(中央政権に対し不満を持つ各地の豪族)のこと。

ホツマツタヱでは、天照大御神は男神であり、正后瀬織津姫と12人の妃(計13人)がいました。

この四柱の神は、ハタレの動乱において非常に重要な存在なのです。

記紀では真実を隠し設定を変えたり、神の名を隠したりといろいろな操作がされているのですが、ホツマツタヱを読んでいくと、この「大祓詞」の意味もよく理解できるのです。

大祓詞 全文(ひらがなよみ)

高天原(たかまのはら)に神留(かむづま)り(ま)す

(すめらが)(むつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)(も)ちて  八百萬神等(やおよろづのかみたち)を神集(かむつど)へに集へ賜ひ(つどへたまい) 神議(かむはか)りに議り賜ひて( はかりたまいて)

我が皇御孫命(あがすめみまのみこと)は 豐葦原(とよあしはらの)水穗國(みづほのくに)を 安國(やすくに)と平(たひら)けく知ろし食(め)せと

事依(ことよ)さし奉(まつ)りき 此く依(かくよ)さし奉(まつ)りし國中(くぬち)に 荒振る神等(あらぶるかみたち)をば

神問(かむと)はしに問はし賜(とわしたま)ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて(かむはらいにはらいたまいて) 語問(こととしと)ひし磐根(いはね) 樹根立(きねたち) 草の片葉(くさのかきは)をも語止(ことや)めて

(あめ)の磐座放(いはくらはな)ち 天の八重雲(あめのやえぐもぐも)

伊頭の千別きに千別(いつのちわきにちわ)きて 天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき 此く依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の國中(くになか)

大倭日高見國(おほやまとひだかみのくに)を安國(やすくに)と定め奉(さだめまつ)りて

(した)つ磐根(いはね)に宮柱太敷(みやはしらふとし)き立て

高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知(たかし)りて 皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御(み)殿(あらか)(つか)へ奉(まつ)りて

(あめ)の御蔭(みかげ) (ひ)の御蔭(みかげ)と隱(かく)り坐(ま)して    安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)さむ國中(くぬち)に成り出(なりい)でむ天(あめ)の益人(ますひと)(ら)

(あやま)ち犯(をか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)

天つ罪(あまつつみ) 國つ罪(くにつつみ) 許許太久の罪(ここだくのつみ)(い)でむ 此(か)く出(い)でば

(あま)つ宮事(みやごと)(も)ちて 天つ金木(あまつかなぎ)を本打ち切り (もとうちきり)  末打ち斷ちて (すゑうちたちて)

千座(ちくら)の置座(おきくら)に置き足(おきた)らはして

天つ菅麻(あまつすがそ)を本刈り斷ち(もとかりたち) 末刈り切りて(すゑかりきりて)

八針(やはり)に取り辟(とりさ)きて 天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞(ふとのりと)(ごと)を宣(の)

此く宣(かくの)らば 天つ神(あまつかみ)は天(あめ)の磐門(いはと)を押(お)し披(ひら)きて 

(あめ)の八重雲(やえぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて 聞こし食(きこしめ)さむ 國つ神(くにつかみ)は高山(たかやま)の末(すゑ) 短山(ひきやま)の末(すゑ)に上り坐(のぼりま)して 

高山(たかやま)の伊褒理(いほり) 短山(ひきやま)の伊褒理(いほり)を搔き別(かきわ)けて聞(き)こし食(め)さむ 

(か)く聞(き)こし食(め)してば (つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 科戶(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く 

(あした)の御霧(みぎり) (ゆふべ)の御霧(みぎり)を 

(あさかぜ) 夕風(ゆふかぜ)の吹き拂(ふきはら)ふ事(こと)の如(ごと)く 

大津邊(おほつべ)に居(を)る大船(おほふね)を 舳解(へと)き放(はな)ち 艫解(ともと)き放(はな)ちて 

大海原(おほうなばら)に押し放(おしはな)つ事(こと)の如(ごと)く 彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)  

燒鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)(も)ちて 打(う)ち掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く 遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと 

(はら)へ給(たま)ひ淸(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 

高山(たかやま)の末(すゑ) 短山(ひきやま)の末(すゑ)より 

佐久那(さくなだり)に落(お)ち多岐(たぎ)つ 

速の瀨(はやかわのせ)に坐(ま)す瀨織津比賣(せおりつひめ)と云(い)ふ神(かみ) 大海原(おほうなばら)に持ち出(い)でなむ 

(か)く持ち出(い)で往(い)なば 

(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮(やしほぢ)の潮(しほ)の八百(やほ)(あひ)に坐(ま)す速都比賣(はやあきつひめ)と云(い)ふ神(かみ) 

(も)ち加加呑(かかの)みてむ (か)く加加呑(かかの)みてば 

氣吹戶(いぶきど)に坐(ま)す氣吹戶主(いぶきどぬし)と云(い)ふ神(かみ) 

根國(ねのくに) 底國(そこのくに)に氣(い)(ぶ)き放(はな)ちてむ 此(か)く氣吹(いぶ)き放(はな)ちてば 

根國(ねのくに) 底國(そこのくに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と云(い)ふ神(かみ) 

(も)ち佐須良(さすら)ひ失(うしな)ひてむ 此(か)く佐須良(さすら)ひ失(うしな)ひてば 罪(つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 

(はら)へ給(たま)ひ淸(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 

天つ神(あまつかみ) 國つ神(くにつかみ) 八百萬(やほよろづの)神等共(かみたちとも) (き)こし食(め)せと白(まを)

 

現代語訳

高天原にいらっしゃる親神である男女両神(ふたかみ)の(皇祖神:みおやかみ)は、国中のあらゆる神々をお集めになり、神の言葉を以て、「 豊かに生い繁った葦原の美しい稲穂の実る我が国を平和で穏やかに、国民が幸せになるように治めなさい 」と託されました。

このようにご神託なさったうえで、国内の粗暴な神たちには、「なぜ乱暴なことをするのか」とよくよく問ひ、それでも聞かない場合は追い払い矛(ほこ)を以て一掃されその結果国内は平定されました。

こうして皇祖神は、天界の御座所を離れて、天界の幾重にも重なる雲を押し分けて天から地上に降臨されました。 

そして、四方(よも)の国の中心として大和の国を太陽の高く輝く穏やかで安らかな国として定められ、地下の岩盤に届くほどの太くて堅牢な宮柱を立て、高天原に届くように千木(ちぎ)をつけ、壮大な神殿をお建てになり、神殿としてお籠もりになられ我が国を安穏な国として平穏にお治めになられました。

しかし、そのような国に生まれてた本来は立派であるはずの人々がついうっかりと犯す種々の罪が次々と増えていき、天界と地上には多くの罪が現れることになりました。

このように国が乱れてきたなら、高天原の神事をもって、金属のような硬い木(高天原で使われるとされる祓串用の細い木)の上下を断ち切り、祭壇を設けてたくさんの供物を供え、高天原にある麻の木(天の管そ)の上下を断ち切り、多くの針で細く引き裂いて高天原伝来の神聖な祝詞「天つ祝詞の太祝詞事(ふとのりとこと)」を奏上しなさい。

そうすれば、天つ神は頑丈な天の岩戸を押し開き、幾重にも棚引く雲を左右に押し分けて下界の声をお聞きになるだろう。

そして、国つ神は高い山、低い山の頂にお登りになり高い山の雲や霧も低い山の雲や霧も左右に押し分けてお聞きくださるだろう。

このように天つ神国つ神がそれぞれお聞き届けになれば、国中の罪は悉く(ことごとく)無くなるだろう。

それはまるで科戸(しなど)という風が吹き起こるところから吹く風が天空の幾重にも重なる雲を吹き飛ばすように。 

朝夕の霧を朝風夕風が吹き飛ばすように、大きな港に停泊している船が船首と船尾の網を解き放って大海原に押し出されるように、向こうの繁った木の根元をよく切れる鎌で切り払うように、すべての罪は祓われて後に残る罪が無いように祓い清められるのです。

高い山、低い山の頂上からまっすぐに落ちる滝の流れの速い川の瀬にいらっしゃる瀬織津比売(せおりつひめ)という神がすべての罪を大海原に押し流してくださるでしょう。

このようにしてすべての罪を持ち出したならば、今度は荒々しい潮の流れ(渦:うず)がいくつも出遭う場所にいらっしゃる速開都比売(はやあきつひめ)という神がその罪を悉く手に持って飲み込んでくださるでしょう。

そして、速開都比売が罪を飲み込まれると、今度は息を吹くところにいらっしゃる気吹戸主(いぶきどぬし)という神が息を吹きその罪を根の国、底の国にまで吹き飛ばしてくださるでしょう。

このように息で吹き飛ばしてくださったならば、根の国底の国にいらっしゃる速佐須良比売(はやさすらひめ)という神がたちどころにすべての罪穢れを持ってさまよい歩きどこともなく消滅させてくださるでしょう。

このようにさまよい歩いてすべての罪穢れを失くしてくださったならば、一切の罪という罪の消滅を祈り祓い清めてくださることを、天津神・国津神すべての神がお聞き入れくださいますようにと申し入れる次第でございます。

ハタレの動乱以降、国や人々が穢れた時にはこの四柱の神がすべての穢れを祓い流してくれるので、八百万の神と共にお願いしましょう・・・、という訳です。 

大祓詞の由来・起源

毎年、6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)、12月31日の年越の大祓(とごしのおおはらえ)という神事において読みあげる詞なので大祓詞と呼ばれています。

そしてその起源は神代にまで遡ります。

具体的には、『日本書紀』において、 「解除の太諄辞」 其の解除(はらへ)の太諄辞(ふとのりと)を掌りて宣らしむ」として大祓詞が登場します。

平安時代に制定された「延喜式(えんぎしき)」によると、「六月晦大祓〔十二月は之に准へ〕」として、毎年6月と12月の晦日(みそか)に京都の朱雀門で、親王・諸王・諸臣・百官の人達を集め、彼らが犯したかも知れない諸々の罪・過ちを、天皇の仰せによって祓い清めるために大祓が執り行われ、この大祓の神事において大祓詞が読みあげられます。

延喜式とは、平安時代における法律の細かな決まりごとを定めた法典で、二十七編の祝詞も収録されています。

現代の国会議員諸氏にも、これらの事を常に念頭に置いていてほしいものです。

平安時代において、この大祓式は、大嘗祭(だいじょうさい又はおおなめまつり)のときや、疫病・天災地変のときなど、あらゆる変事・災事の原因を祓うために執り行われ、この大祓詞が誦まれました。

そのため、大祓詞は「祓詞」の中の「祓詞」として、まさに、「大いなる祓詞」といわれるのです。

それほど大祓詞の言霊には大きな力が宿されているということです。

祝詞とは、神さまに対し言霊を以て働きかけることで神のご加護を受ける力を持つ言葉や文章のことで、ただ唱えるだけで効果があるというわけではありませんが、大祓詞に関しては声に出し唱えることで効果があるとされるくらいに威力が強いといわれます。

因みに、6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)と12月31日の年越の大祓(とごしのおおはらえ) をそれぞれ行うのは、当時の月読暦では1月から6月までで一年7月から12月までで1年と、現在の1年(365日)が2年と数えられていたからです。(竹内文書でも同様に数えられる) 

 ハタレ討伐で功を成した四柱の神は、穢れを浄化する神として称賛され祀られている。  

  記紀には書かれていないが大祓の言葉には登場する神、イサナキの神が黄泉の国から戻った際、筑紫の日向の橘の小戸のあわぎはらにて禊を行った時に生まれた神とされているが、ホツマツタヱではこの四柱の神について詳細に語られています。

アマテル大御神と内宮(正室)と12人の妃(側室)の出自

根国   イサナギ┐     
         ├───アマテル大御神
ヒタカミ イサナミ┘    ┃
               ┃
ハラミ  サクラウチ───セオリツ姫ホノコ [内宮]オシホミミ
              ┃              
根国   クラキネ──┬─マス姫モチコ [北局の典侍]──アメノホヒ
           │  ┃(姉妹)
           └─コマス姫ハヤコ [北局の内侍]─タケコ・タキコ・タナコ
              ┃
山背   カダ──────アチコ  [北局の下侍]
              ┃              
ヒタカミ ヤソキネ──┬─オオミヤ姫ミチコ [東局の典侍]─イキツヒコネ
           │  ┃(姉妹)
           └─タナハタ姫コタヱ [東局の内侍]
              ┃
筑波   ツクバハヤマ──ソガ姫  [東局の下侍]
              ┃              
美濃   カナヤマヒコ──ウリフ姫ナカコ[南局の典侍]← 内宮に上ったホノコの後に入る
              ┃
ハラミ  サクラウチ───ワカサクラ姫ハナコ[南局の内侍]
              ┃
筑紫   カスヤ─────イロノヱ姫アサコ [南局の下侍]
              ┃              ┃
筑紫   カナサキ────ハヤアキツ姫アキコ[西局の典侍]─アマツヒコネ
              ┃
筑紫   ムナカタ──┬─オリハタ姫オサコ [西局の内侍]
           │  ┃(姉妹)
           └─トヨ姫アヤコ [西局の下侍]─クマノクスヒ
 

「ハタレ」とは、(人間の感情を持たず常に嫉妬と怒りの炎を燃やし、日に三度高熱に苦しみのたうち回る・・・とされる) 反政府勢力であり、悪霊に心を支配され「おろち(愚霊)」となり、国難を引き起こした賊徒「ハルナハハミチ」「アメヱノミチ」「シムミチ」「イソラミチ」「ミタルキクミチ」「イツナミチ」などの6人の頭目が率いる70万を超える反政府の軍勢の事です。

(名前はちょっと可愛すぎますね。)

ハタレは「はづれ (外れ)」外れたさま・もの」を言い表す。 人から外れてしまったさまを言い、特に悪霊に憑かれて人の道を外れた者を指す。

ハタレたちに憑依している悪霊を取り除くには、その人の霊 (血) を絞り、その血で誓書を書かせ、海の潮を浴びさせる(禊をする)のである。そしてその後「マフツの鏡」にその姿を写し、化け物の影が映らない者は再び国民(ひと)となる事を許された。

「マフツの鏡」は瀬織津姫のが持ち、そこに移るものの真の姿を現すと言われるものです。

この「マフツの鏡」は、ハタレの動乱終息後に、二見の地(現在の二見が浦)に祀られたことになっています。夫婦岩には、この「マフツの鏡」がさん然と輝いていたそうです。

お伊勢参りの齋は、この二見で身を清めてから伊勢神宮の外宮(そとみや)、内宮(うちみや)へと順に参拝するのが本来のかたちであると言われます。

   瀨織津比賣(せおりつひめ)

 セオリツ姫ホノコ

急流の川瀬に坐(ま)す神、 万物の荒魂(あらたま)、和魂(にぎたま)、直霊(なおひ)とその周囲の空間にある 罪咎(つみとが)、垢と穢れを 急流の瀬より大海原へと押し流す神です。

 

日に向かう)ムカツヒメ・タギツセノメ 

佐久那太理・瀬織津姫 (サクナダリ・セオリツヒメ)、又は 桜谷・滾つ背の姫 (サクラタニ・タギツセノメ)とよばれます。 
また「あまさかるひ (天下がる日に向かつ姫)」斎名(いみな)は「ホノコ」といいます。

ホツマツタヱの記述をみて見ると以下のように書かれています。

アマテル南(さ)の局の典侍(すけ)、十三人の妃の中でも群を抜いた美貌により内宮(正室)に昇格しオシホミミの母となる。

⑴ 「あめさかるひ」は、一つは「陽陰下がる霊」で「太陽 (日) ・太陰 (月) から下る霊」とし、これは「太陽霊と太陰霊が降誕した神」のアマテル大御神を指す

⑵「天地栄る日」で「天界も下界も栄す日」。これは「天地照らす神 (あまてらすかみ)」のことで、「向かつ姫 (むかつひめ)」、「向かつ」は「向かう」、つまり「あまさかるひに向かう姫」とは「アマテル大御神と向かい合う姫」つまり「内宮 (皇后:正室)」となります。

和歌山市の日前国懸神宮の祭神「日前大神 (ひのまえのおおかみ)」、西宮市の廣田神社の祭神「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 (つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」です。

日前(ひのまえ)とは、日(アマテル)に向かう、前(女性を指す)つまり皇女ということです。

さらに、「さくらたに・たぎつせの姫 (激つ背の姫)」というもう一つの別名がある。

タニのサクラウチ:アマテルの内宮に上ったセオリツ姫と南(ね)の局の内侍(うちめ)のワカサクラ姫(妹)の父であり、オホヤマカグツミの系列、ハラミの宮でウオヤオキナ(大老翁) として二尊に仕え、後にアマテル大御神の右大臣となる。   

サクナダリは「勢いよく落ちるさま」で、アマテルが階段を自ら踏み下りる様子を言います。

セオリツとは「背 下りつ」のことで、アマテルが自ら階段を踏み下りて内宮に入れた、つまり自らが磐座を降りてまでその手を差し伸べたほどの美しい姫であったといわれます。
(「サクラタニ・タギツセ」は「サクナダリ・セオリツ」と同じ意味です。)

正后としてオシホミミを生んでいるが、実はアマテル大御神にとってオシホミミは5番目の皇子でした。

アマテル大御神には、8人の皇子(5男三女)がいます。(この8人の皇子は、記紀や正統竹内文書では、スサノヲと天照大御神の誓約(うけい)によってうまれた8人を指しています。)

因みに、第一子は、マス姫モチコ[北(き)の局の典侍(すけ)]の子アメノホヒ、2番目がコマス姫ハヤコ[北の局の内侍(うちめ)]の子(3姉妹)タケコ・タキコ・タナコ(後の宗像三女神)です。

5番目~8番目は、オシホミ三、イキツヒコネ、アマツヒコネ、クマノクスヒ の4人です。

セオリツヒメは、ハタレ討伐ではアマテル大御神に随行し、三種の神噐のうちの「マフツの鏡」をもってハタレにとりついた悪霊を祓い人間に戻した。

正統竹内文書においては、饒速日(ニギハヤヒ:アマテル)の妃イチキシマヒメ・セオリツヒメとなっている。

持統天皇の時代に、女性天皇を強調する意味で 女性神天照大御神と書き換えられたという説がある。

現在の伊勢神宮の荒祭宮には天照大御神の荒魂(あらみたま:荒々しい性格の部分)、正宮には天照大御神の和魂(にぎみたま:穏やかな部分)をそれぞれ祀ったとされているが、その荒魂を瀬織津姫としている。

(注)正統竹内文書の竹内睦奏(たけうちむつひろ)氏も、表向きには女性神天照大御神として語ってはいるが、実際のところ天照大御神は男性神であったことや、記紀や国民に対し公表している現在の女性神天照大御神という設定が、史実を隠して伝えられていることを暗に示唆している。(極秘の口伝であり内容を明かせないどころか、口伝にはそれらが示されている・・とも言ってはいないが敢えて矛盾した言い方を交えて話をすることが多いことなどから推察できるのです。)

 

瀬織津姫の荒々しい部分は、別の名でも表されており、「八十禍津日神(ヤソマカツヒメノカミ)」、「大禍津日神(オオマカツヒメノカミ)」などで、イサナキが黄泉の国から戻り禊をした時に生まれた「禍の神(わざわいのかみ)」のこと。

更にこれと対極的に、災禍を正す神として「神直毘(カミナオヒ)」「大直毘(オオナオヒ」という「直神(しかかみ)」も同時に生まれている。

(生まれる と 産まれるは、その意味合いが違います。)

瀬織津姫は、鹿神(直神・しかかみ)としての神格をもつともいわれ、龍神海神の総本社「志賀海神社」の鹿角堂には鹿の角が奉納される。  (直(しか)は穢れを浄化するという意味があり、しかは鹿に通じます。)

(注)古代ヤマト言葉は48音で成り立っていますが、本来重要なのはこの音(発音)であり、使われる漢字は後の時代になってからよく似た意味の漢字や同じ発音の漢字をあてただけなので、漢字そのものからその意味を考えてしまうと、何だか言葉遊びのような印象を受けてしまうので要注意です。

 

また、清流に坐します水の神(龍神)ともいわれ、流れ落ちる滝を白龍や白蛇に例えその化身として祀っている神社もあります。

奈良県の天河弁財天の天河秘曼陀羅には、ミツ首の蛇が描かれており瀬織津姫の化身ともいわれています。

共通するのは、穢れを浄化する水の神(龍蛇神)であると云うことです。

 

速都比賣( (はやあき つひめ) :速秋津比賣又は速開津姫

 ハヤアキツ姫アヤコ

数多の沖の荒い潮道が集まる所、渦の中心に坐す神、すべての罪と咎、垢と穢れ を飲み込み根の国へと流す。

速秋津姫。 
カナサキの娘、斎名(いみな):アキコ。別名:シホのヤモアヒコ (潮の八百会子:渦潮) 
アマテルの西局の典侍でアマツヒコネの母。

最後のハタレ討伐の時セオリツヒメと共にアマテルに随行し、「クサナキの八重剣」を持っていた。

父親は、重臣:カナサキ(金折命:スミヨシ(住吉:住吉大社のご祭神)。スミヨロシ。スミノヱ。スミヱの翁。 
カナサキは、イワクス船で流されたヒルコ姫を、妻と共にヒロタ宮で育てる。 
イサナキのミコトにより、底ツツヲ・中ツツヲ・上ツツヲ(イサナキの禊から生まれた三柱の神)を政る (福岡住吉神社)。 
最初のハタレ討伐の折、アマテルより『禊司』の役を授かり自ら軍勢を率い、頭目の一人「シムミチ」を捕らえる。 
ハタレ撃退の功に対し『スミヨロシ』の尊名と『御衣の末』を賜り、枝姓のムナカタ・アヅミと共に筑紫を治めることになる。 シマツヒコの7代孫でオカメ船を造る造船の一族。

   

『御幸とぞ 願えば神の 御幸成る 出車の内 セオリツは陽陰の身蔭アキツは日の霊影 射す』

『前に引き据え 垂上ぐる 「君(天君)ヤサカニの環珠」 「セオリツはマフツのヤタ鏡」 「アキツは腐薙八重剣」

『颯颯の 声と妹背の ささ祝ふ その基は アマガツを ハヤアキツ姫の 造り初め』『この基に アキツ姫 布もて作る 天形は 神歌こめて チチ姫に 賜えば これを 先駆けの 障りを除く 天形ぞ』『空這子とは 干土生え 藁もて造る 神形は 布もて造り 神 招く アキツ姫の歌』『その時に シホカマ始め 諸褒めて ハヤアキツ姫の 功を 代々に遺して 颯々の 声と楽しむ』『御手づから 文を御孫に 授けます セオリツ姫は 御鏡を 持ちてカスガに 授けます』
『ハヤアキツ姫は 御剣を 持ちてコモリに 授けます』

 瀬織津姫によって大海へと流された諸々の禍事(災禍)や罪・穢れを渦潮の巻く中に呑み込む様子を「可可(かか)」と、即ち蛇のようにと表現したもの。(回転する渦は龍穴の如く)

カタカムナウタヒに表現されているような反転する渦の中心にある陰陽転換の境目のように、すべてを飲み込み再びめぐること。

また、正統竹内文書には、違う系統として描かれています。

イザナギとイザナミが生んだ八百万の神であり、

兄(夫)速秋津日子神(はやあきつひこのかみ) の 妹(妻)速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)とされ、二人を合わせて「水戸神」(みなとのかみ)といわれる夫婦神を生んだ。

この夫婦神には、四対八柱の神(子ども)がいます。

沫那藝神(あわなぎのかみ)ー 沫那美神(あわなみぎのかみ)(河口の水面を表す)

頬那藝神(つらなぎのかみ)ー 頬那美神(つらなみぎのかみ)(河口の水面を表す)

天之水分神(あめのみくまり)ー 国之水分神(くにのみくまり)(河の水流を表す)

天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)ー 国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)(水を汲み上げる)

それぞれの状態を表しており、イザナギ・イザナミが稲作(と灌漑)に力を入れていたことを示しています。

倭姫命世紀(やまとひめみことせいき)や中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)には、別名「伊豆能売神」(いずのひめのかみ)という神名で、瀬織津姫や気吹戸主神と共に、伊勢神宮内宮滝沢宮並宮に祀る・・と記されている。

古事記では、「次に 水戸神(みなとのかみ両神:ふたかみ) 速秋津日子神をうみ、次に速秋比売神を生んだ・・と書かれている。

日本書紀においては、「水戸神等」(港の神たち)を速秋津日命(はやあきつひのみこと) と号す」となっています。

水戸は「水門」とも書きます。つまり河口付近を表しており「湊(みなと)」とも書きます。これは、国の主力産業でもある稲作を支える水の神を表します。

氣吹戶主(いぶきどぬし)

 ハタレ討伐で武勲を挙げた、イフキト

黄泉の国に通じる門口に坐す神、 罪と咎(つみととが)、垢と穢れの禍津毘(まがつひ/悪魔)を禊祓い 黄泉の国に吹き放ってくださる、 「イブキ (気吹・息吹)」は、「勢い・栄え・成果」などの意味を持つ。

ホツマツタヱによる、いぶきどぬしの神

ツキヨミ(月読)とイヨツ姫の子でありソサノヲの甥にあたる。

斎名(いみな)をモチタカという。 (イフキ守/神。タカノ尊)
アマテルの三姫のタナコ(イチキシマヒメ:宗像三女神のひとり)を娶り、イヨツヒコ、トサツヒコ、ウサツヒコを生む。

ハタレの動乱時、追放処分となり下民となって根国で細々と暮らしていたソサノヲの協力を得て、ウツロイ・シナト・ミヅハメなどの神の力を借り、6番目のハタレ討伐を果たす。

(この頃のソサノヲは、数々の乱暴狼藉(斑馬を機織り小屋に投げ込んで瀬織津姫の妹ワカサクラ姫ハナコを死なせてしまった)により流浪の刑(さすらいのけい:追放処分)で根国に細々と暮らしており、八岐大蛇退治で一緒になったクシナダヒメと生活をしていたが、改心の証としてイフキトに懇願しハタレ討伐に加わりその功績と反省の念で罪を許され、以降出雲の国(根国)建国に注力する。)

戦いの後、戦死した六族のハタレと民九万の悪霊が化け物となり誓いのヲシテ( 誓書 )を埋めた高野山(タマガワ)に出没するようになったため、イフキトが宮を建てハタレの霊を弔ったので化け物が出なくなったという。

その功績により、アマテルから『タカノ尊 (治曲野尊)』の名を賜る。
シラヒト・コクミとその一味を討ち治めた功に対しては、ヤマタ県 (讃岐) を褒美に賜わり、阿波の『イブキ守』の名も賜り、イフキドからイフキドヌシ(気吹戸主:いふきどぬし)へと改名を賜る。

イフキトヌシはニニキネを見倣い、アメ山 (天山・愛媛県松山市) に掘った土を移し田を成すが、後にイブキ神(あらぶる神)として恐れられるようになった。(その詳細は不明)

因みに、五十鈴(榊:さかき)がサク鈴となって尽きたとき (天君の宮の庭に植え継いできたが、50本目の真榊 (五十鈴) は植え継ぐこと無く自然に生えてきた、この五十鈴が6万年の天寿を全うして枯れたが最後、真榊は二度と生えてくることはなかった )、カスガ(アメノコヤネ)はイブキ神を恐れて、自分が鈴の木を植継ぐことを躊躇している。

後にヤマトタケルは伊吹山のイフキ神 (イフキトの子孫の神) に祟られ、これが原因で命を落とすことになる。(ヤマトタケルは、ソサノヲが転生した姿ともいわれている。)

何故イフキ神がそのように荒ぶる神になったのか、その詳細は不明です。
  

                     ┌ソサノヲ
ウヒチニ┬ツノクヰ─オモタル       ├ヒルコ
    │                ├アマテル───タナコ┐┌イヨツヒコ
    └アメヨロヅ┬アワナギ─イサナギ─┴ツキヨミ┐     ├┼トサツヒコ
          │               ├イフキトヌシ┘└ウサツヒコ
          └サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫┘

イブキヌシがどうして「荒ぶる神」と恐れられるようになったのかは、ホツマツタヱにもかかれていないが、思い当たりがあるとすればイブキトヌシの父ツキヨミのことである。

オモタル・カシコネ時代の末期には種籾の力が衰えて米の収穫量が減り始めていた。

当時は「ト」のクニサツチの子「ウケモチ (保食神)」が、その山背 (やましろ) の花山周辺を治めていた。

この一族は進んだ農業技術を持っており、代々ウケモチの名を世襲している。

ホツマツタヱでは、
アマテルは、ウケモチから収穫力の高い籾種を得ようと使者としてツキヨミを派遣した。

現地に赴いたツキヨミは歓待を受けるが、肥しを蒔いて実らせた野菜や米を差し出され、彼らのその対応 (これは完全にツキヨミの誤解にすぎないが) に憤り、ついに剣を抜いてウケモチを殺してしまう。

この時のツキヨミは、肥料という概念がなく不浄なものを出されアマテル大御神の勅使としての立場を侮辱されたと感じたのでした。

報告を受けたアマテル大御神は、罰こそ与えなかったがツキヨミの臣(高官)としての任を解き(二度と会うことはないだろうと申され)、これ以降ツキヨミは歴史の表から姿を消してしまった。

正統竹内文書によると、ツキヨミ一族はこの時から大陸に移り幾世代もかけて現在の中東辺りまで移動していったとされる。イブキトヌシが荒ぶる神となったのは、このツキヨミの更迭処分も関係しているかもしれないが定かではない。

更に、イブキドヌシは、ハタレ討伐に向かう途中、改心したソサノヲと合流し、共にこれを退治する。これによってソサノヲは罪人(下民)の身分から救い上げられるわけだが、一方で、ソサノヲの転生であるヤマトタケルは、イブキ神によって命を落とすことになるとは、全く以てその関係性も不明である。

日本書紀においても、父ツキヨミはウケモチの神を殺した後、それ以降詳しいことはわかっていない。(古事記では、スサノヲが同じ理由で大宜都比売神(オオゲツヒメ)を殺したことになっている。)

千座(ちくら1000座:死刑3回分の罪の大きさを表す)の罪のソサノヲですら最後は許され、八重垣幡のある宮まで賜りその子孫は繁栄を極めたにもかかわらず、ツキヨミは祭る神社もそう多くはない。

ホツマツタヱにも詳細は書かれていないが、正統竹内文書の竹内睦奏氏によると、何らかの理由でツキヨミ一族は意図的に隠されており日本を離れ幾世代もかけてユーラシア大陸を移動月氏国大月氏国などをつくり、現在の中東辺りまで移動、いくつかの氏族へと分かれていったと語っている。(スサノヲの大宜都比売神(オオゲツヒメ)殺しに話をすり替えたのもそれらを隠すため)

釈迦はその子孫のひとりであると語っている。(系図にも書かれている)

 いずれにしても、ハタレ退治で国難を浄化したことで祀られることになったが、それとは別に荒々しい側面についてはよくわからないのが正直なところです。

速佐須良比賣(はやさすらひめ)

 コマス姫(サスラ姫)・ハヤ子

黄泉の国に坐す神、万物の荒魂、和魂、直霊(なおひ)とその周囲の空間にある罪と咎、垢と穢れの禍津毘(まがつひ)を祓い去り、一切の罪は祓い清められる。

コマス姫ハヤコ。
クラキネの娘で、モチコの妹。 斎名:ハヤコ。
アマテルの北局の内侍。 タケコ・タキコ・タナコ(宗像三女神)の母。 
ソサノヲとの不義がばれて瀬織津姫に蟄居(謹慎処分)を科せられるが、それでも懲りずにソサノヲを丸め込み国家転覆を図ったため、親子ともども筑紫の国へと送られてしまう。(側室剥奪となる)

根の国底の国(黄泉の国)に坐す神サスラ姫(速佐須良比咩:はやさすらひめ)とも呼ばれ、気吹戸主神によって流されてきた穢れが勢いよく流浪する女神によって失われてしまうという。

筑紫の国では三姉妹の養育を放棄して、モチコと共にコクミとシラヒトのいる斐川へ出奔し反体制派となる、ハタレ討伐後もヤマタノオロチと化して、結局はソサノヲに斬られます。

「オロチ」は、愚霊(罪穢れが積もり積もった魂)の事です。
ソサノヲはこれを「連り天引」のヤスカタ神として祭ったため、一旦は穢れが取れて後にイハナガ姫として転生する。(滋賀県草津市野村、安羅 (ヤスラ) 神社)

ホツマツタヱ・ヒトの巻㊴には次のように書かれています。

トミフタリ ヲトタチハナノ     臣二人       ヲトタチハナの

クシトオヒ ウレハナケキテ     櫛と帯       得れば嘆きて

ヒメノタメ ツカリアヒキノ     姫のため      連り天引きの  

マツリナス             纏り” なす 

コレソサノヲノ           これソサノヲの

オロチオハ ツカリヤスカタ     オロチ(ハヤコ)をば 連りヤスカタ                                   カミトナシ ハヤスヒヒメモ     神” となし      ハヤスヒ姫も

アシナツチ ナナヒメマツル     アシナツチ      七姫纏る

タメシモテ             例 以て  

(注)ツカリアビキ(連り天引) 
何かに連ねて祭ること。本人の遺骸が見つからない場合などに、遺品や関連者の遺骸などを祭ることで本人の魂を祭るというもの。

 

 根の国との関連から、大国主神を根の国で迎えた須佐之男命の娘の須勢理毘売と同じ神であるという説もある。本居宣長は風木津別之忍男神と同神であると説いている。鳥取県鳥取市「利川神社(はやかわじんじゃ)」に速秋津比売神、瀬織津比咩神とともに祀られる、また滋賀県大津市の「佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)」、東京都港区の「日比谷神社(ひびやじんじゃ)」などに多くの神社で祓戸大神の一柱として祀られる。

ホツマツタヱでは、三姉妹は母がオロチになってしまったことを恥じ、それぞれが禊の為の放浪の旅に出ていった。

禊によって穢れを祓った三姉妹のタナコはイフキトヌシと結婚し三人の皇子を生む。神あがりした後は、その一人末子のシマツウシによって ソトカ浜イトウヤスカタ神として祀られた。三姉妹が立派に成長し多くの民からも慕われるようになったことで、ハヤコの汚名も返上されたとなっている。が・・・

ウヒチニ┬ツノクヰ─オモタル  ┌ココリ姫(キクキリ姫)
    │            │
    └アメヨロヅ┬アワナギ─┼イサナギ───アマテル      
          │      │        ┃
          └サクナギ  │  不明 ┌─モチコ──アメノホヒ
                 │  ┃──┤  ┃
                 └クラキネ └─ハヤコ──タケコ・タキコ・タナコ
                    ┃──┐
              民間人・サシミメ  └─クラコ
                          ┃
           トヨケ大神───カンサヒ───オシヒト

原文より抜粋・・

『クラキネが マス姫モチコ 北の典侍と その妹姫ハヤコ コマス姫 北の内后』(クラキネの娘)
『言宣あれば 門出して ミヤツの宮に ある時に 君の恵りに チタル国 道を定めて 治む後』
『”姉妹 休め” とて 内宮の トヨ姫 召せば 北の局 退がり嘆けば』(瀬織津姫によって、蟄居を命じられ北の局を追われた)

『ソサノヲが 湛えかねてぞ 剣持ち  行くをハヤコが 押し止め ”功 成らば 天が下”』(ソサノヲは、その処分に怒り瀬織津姫に直訴しようと権を持ったがハヤ子はこれをおさめた、しかしそれは新たな画策(悪だくみ)をさそうものでした)

『日に向つ姫 宣給ふは ”汝ら姉妹が 御気冷えて ツクシに遣れば 噤み居れ”』
『”タナキネは取る 男は父に 女は母に付く 三姫子も 共に下りて 養しませ 必ず待てよ 時 あり” と むべ懇に 諭されて』

(モチコの子棚木根は天君にあずけ、ハヤコ親子はともに筑紫へと移され、静かに時を待てばまた許される・・と瀬織津姫にと告げられる)

『ツクシ アカツチ これを受け ウサの宮居を 改めて モチコ・ハヤコは 新局 置けば怒りて 養しせず』

(ハヤコの父アカツチは宮を建てて迎えたが、ハヤコは三姉妹の養育すら放棄してしまう。その後モチコとハヤコはオロチ(モチオロチ・ハヤオロチ)・・となってしまいます。)

『アカツチが 姫を弟君に 因むをば ハヤが愚霊に 噛み殺す 弟アシナヅが 姫を乞えば 七姫までは 噛み食らふ』

(ハヤオロチは、ソサノヲに嫁がせようとしたアカツチの娘をかみ殺し、アカツチの弟が同じくソサノヲに嫁がせようとした姫たちを七人までもかみ殺してしまう。)

『時にソサノヲ これを斬り 身をヤス形と 祭る故 またヤマスミの 姫(イワナガ姫)と生まれ 妹を妬む 罪の連り』

 

ホツマツタヱ・ヒトの巻㊴には次のように書かれています。

トミフタリ ヲトタチハナノ     臣二人       ヲトタチハナの

クシトオヒ ウレハナケキテ     櫛と帯       得れば嘆きて

ヒメノタメ ツカリアヒキノ     姫のため      連り天引きの  

マツリナス             纏り” なす 

コレソサノヲノ           これソサノヲの

オロチオハ ツカリヤスカタ     オロチ(ハヤコ)をば 連りヤスカタ                                   カミトナシ ハヤスヒヒメモ     神” となし      ハヤスヒ姫も

アシナツチ ナナヒメマツル     アシナツチ      七姫纏る

タメシモテ             例 以て  

(注)

ツカリアビキ(連り天引) 
何かに連ねて祭ること。本人の遺骸が見つからない場合などに、遺品や関連者の遺骸などを祭ることで本人の魂を祭るというもの。

ツガリヤスカタカミ(連りヤスカタ神)
「連り天引きの纏り」 の際に使うヤスカタ神。


『形見をここに 塚となし 名も吾妻守[東守] 大磯に 社を建てて 神祭』

『根の国の 姉姫 流離や 妹 流離』
『妹転の 愚霊(オロチ)が凝りの 姫 噛むを 断つトガクシの 僻み 直るかな』
『忌の連は ハヤコがヲロチ 祭られて 生るイワナガも 操 堕ちつる』

ソサノヲは、やむなくハヤオロチを切りこれをヤスカタ神としてヤス宮に祀ることで穢れが消え生まれ変わる、これがオオヤマスミの娘「イワナガ姫」である。しかし、結局はまた妹アシツへの嫉妬によって「ウトウ」という鳥になってしまった。

 

「ウトウ」とは

「イトウヤスカタ神」(イチキシマ姫タケコの末子シマツウシによってソトカ浜にて祀られた宗像三女神)の御饌(みけ)を狙ってあつまった「鳥」といわれます。

延喜の御代(約900年前)に大発生し、百姓達を苦しめたと言われている「善智鳥(よしちどり)・悪智鳥(あしちどり」)をウトウというとの説話もあります。

ホツマツタエでは、かつて、母ハヤコがオロチに身を落としたことを恥じて、贖罪の旅に出た三女神が体得した心境を「イトウ」といいます。これは、事の善悪を深く知ることをいい、イトウヤスカタ神善知鳥神とも書きます。

ハヤコ同様、モチコもこのソトカ浜にてウトウすらも食い殺すモチ・オロチとなって生き延びていたが、トカクシ守タチカラヲによってオロチの霊の緒(たまのお)を切られ、長年積もった穢れが「ハコサキ山:場所不明」となった。

 

ただ、結果的に黄泉の国で放浪する「ハヤコ(速佐須良姫)」が、何故祓戸の四神とされているのかはあまりよくわかっていません。(更に詳細を調べて、わかり次第記事の更新をしたいと思います。)

 

祓戸四神によって穢れや罪が払われるわけですが、一方でこれらの神々は荒々しい一面をも持っています、それはどういうことなのでしょうか。

 

蛇神(白蛇)について

旧約聖書に出てくる蛇といえばアダムとイブをたぶらかすサタンの化身の蛇、シュメール神話に出てくる「天地を生んだ母なる女神」として描かれている「蛇神ナンム」です。(ナンムとは、原初の海の意)

マヤ神話には、羽をもつ蛇「ククルカン」が神殿の階段に描かれている。

ギリシャ神話に出てくる「アスクレピオス」が手に持つ杖にも蛇が巻き付いており、あらゆるものを治癒してしまう力を持つため、ゼウスからも冥界の神ㇵデスからも忌み嫌われ、善にも悪にも例えられることから、確かに蛇神は「神性」を持つ者として信仰の対象になっている。

日本ではどうなのだろうか。

ウカノミタマ(五穀豊穣の神)である「宇賀神」は、人頭蛇身として祀られてもいる。

宇賀神

余談ですが・・・

「ウカノミタマ」といえば五穀豊穣の神として、稲荷神社の総本山(および全国の稲荷神社)で祀られその神使(眷属)はキツネです。 

もともとハタレ「キクミチ」の三兄弟は、キツネクツネが変化(へんげ)してとりついたもので、捉えられた後「ヱ」のクニサツチの息子カタマロの嘆願で死刑を免れたが、その時の条件として神使:しんし(眷属:けんぞく)としてウカノミタマを守護するようにアマテル大御神より命ぜられています。それに背いた時は死刑にになるため、末永く従者として仕えることとなりました。稲荷神社をキツネが守護しているのはそのためだと云うことです。

瀬織津姫や羽衣伝説の「トヨウケ姫」など、時によって蛇に変化したり龍の姿であらわれたりするのは、稲作や水に深く関わりあいがあり特に農耕には欠かせない神となっているからでしょう。

また、時によっては厄災・天災をもたらしたり逆に浄化したりと人間にとっては良くも悪くもあるが、所謂穢れを清めるための荒々しい浄化のプロセスとして災害を起こしたり人に罰を与えたりもすると解釈することができます。

浄化のプロセスとは、穢れた命(魂)を水に流し渦の中へ送ることで冥界へと送り、罪を消し魂を浄化させることでいずれまた再生(人へと生まれ変わる)させることではないでしょうか。

世界レベルの大災害や氷河期・大洪水などで地上を浄化し、また新しく再生を促すと云うことになります。

竹内文書の記述では、聖書の「ノアの方舟」事件のような大洪水は、実は何度も起きておりその都度人類は再生し新しい時代を作ってきたとされています。

世界レベルであったり国レベルであったりと、何度も洪水や大災害が起きたと書かれています。

ひとこと

大祓祝詞は、国中に災いをもたらした「ハタレ」討伐と、その穢れを消滅させた神たちとの物語を描いたもので、一年のうちの大きな節目にはその四柱の神に祈りをささげる言葉(言霊)でした。

次回、イサナキ・イサナミの5人の皇子(二女三男:ワカヒルメ・ヒヨルコ・アマテル・ツキヨミ・ソサノヲ)など、記紀では知ることのできない事柄をホツマツタヱから読み取り語っていきたいと思います。

ホツマツタヱはかなりの文量となりますので、すこしずつお話していきます。

時間はかかりますが、定期的に書き加えていきたいと思います。

 

ドローン情報サイト/航空法解説から無線技士まで

:カテゴリー( ドローン入門無線技士資格航空法・電波法解説 ) 

 

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:カテゴリー( 山林開拓とヤマでキャンプ生きると云ふこと )

 

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真・古代日本史研究

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