ホツマツタヱ全文紹介! 天の巻 ③。一姫三男生む殿の文(ひひめみをうむとののあや) 原文ひらがなと漢字読み

ホツマツタヱとアワのうた

天の巻  3 (一姫三男生む殿の文)。 古史古伝といわれその真偽は未だ多くの議論を呼んでいるホツマツタヱ。「イサナキ・イサナミの御子は姫一人と皇子三人で四人、宮が五つあるのはなぜか」。ツワモノヌシの質問にカナサキは何と答えたのか。記紀の「両神の国生み」の話と重なる神生み。

「二尊(イサナキ・イサナミ)の御子は姫一人と皇子三人で四人、宮が五つあるのはなぜか」というツワモノヌシの質問にカナサキが答えた内容が書かれている。古事記・日本書紀の「両神の国生み」の話と重なるが、内容については大きく異なります。

天の巻3 ひひめみをうむとののあや【一姫三男生む殿の文】

イサナギ・イサナミの御子誕生

もろかみの たかまにまつり    諸神の  高間にまつり

はかるのち つはものぬしか    議る後  ツワモノヌシが

ふたかみの ひひめみをうむ    両神の  一姫三男を生む

とのゑつつ とえはかなさき    殿五つ  問えばカナサキ

こたふるに            答ふる

(高間殿にて諸神が集まり会議をしているときに、ツワモノヌシが イサナキ・イサナミさまは4人の御子をお産みになられたのに、宮が五つあるのはなぜかと問い、カナサキが答えた) 

むかしふたかみ          昔 両神  

つくはにて みめくりとえは    筑波にて  身周り問えば   (筑波の宮にて)

めかみには なりなりたらぬ    女尊には  生り成り足らぬ  (女神には 足らぬところあり)

めもとあり をかみのなりて    陰没あり  男尊の成りて   (男神にはなりて余るところがある)

あまるもの あわせてみこお    余るもの  合せて御子を   

うまんとて みとのまくはひ    生まんとて 陽陰の交ぐ合ひ  (それらを合わせてまぐわうと)

昔イサナキ・イサナミのお両神は筑波の宮にて、互いの成り足らぬところと成り余るところを合わせて御子を授かった。

なしてこお はらみてうめる    なして子を 孕みて生める   (御子がうまれた) 

なはひるこ            名はヒルコ          (ヒルコ姫:日霊子) 

しかれとちちは          然れど父は

すすよそほ はははみそひほ    鈴四十穂  母は三十一穂    (しかし父は四十、母は三十一歳)

あめのふし やとれはあたる    陰陽の節  宿れば当たる   (厄年となる年にできた子は)

ちちのおゑ をのこはははの    女の子は父の汚穢      男の子は母の

くまとなる みとせいつくに    隈となる      三年慈くに

たらされと いわくすふねに    足らざれど     イワクス船

のせすつる            乗せ捨つる

をきなひろたと          翁 「拾た」 と      (それをカナサキに拾わせた)

その名はヒルコ姫であったが、この年はアメの節(陰陽の節目:厄年)だった。

この年に子を授かると、女の子ならば父の汚穢(けがれ)が、男の子ならば母の隈(わざわい)が移り、3歳に足ることなく育たない。

なればやむを得ず、イワクス船にに乗せて流さねばならない。そしてそれを、カナサキが拾い上げて妻のエシナズと共に西殿(西宮)で育てました。(幼子の養育はカナサキ夫妻が引き継いだ)

 

にしとのに ひたせはのちに    西殿に       養せば後に

ふたはしら うきはしにゑる    二柱        うきはしに得る

おのころの やひろのとのに    オノコロの     ヤヒロの殿に   (オノコロのヤヒロ殿)に立つ御柱)

たつはしら めくりうまんと    立つ柱       回り生まんと 

後にお二柱(イサナキ・イサナミのお両神)は、オノコロにヤヒロ殿建てた頃、天の御柱を回り御子を産もうとしました。 

ことあけに めはひたりより    言挙げに      女は左より

をはみきに わかれめくりて    男は右に      分れ回りて

あふときに めはあなにえや    会ふ時に      女はあなにえや

ゑをとこと をはわなうれし    愛をとこ と    男は わなうれし

ゑおとめと            愛おとめ と  

うたひはらめと          歌ひ孕めど

つきみてす ゑなやふれうむ    月満てず       胞衣破れ生む

ひよるこの あわとなかるる    ひよるこの     泡と流るる   (ヒヨルコ:日夜霊子)

これみまた このかすならす    これも未だ     子の数ならず

あしふねに なかすあはちや    葦船に       流す淡路や 

(女神は左から 「あなにえや愛をとこ:なんていい男でしょう と 、男神は右から柱を回り 「わなうれし愛おとめ:なんていい女だろう、とうたい御子をはらんだが、 この子もまた、成長することなく流産してしまい葦船に乗せて淡路へと流した手厚く弔った)※九文字の言葉はに及ばず、ことを成さない。

元気な御子が生まれない理由・・フトマニで占う諸神  

あるかたち あめにつくれは    ある形       上に告ぐれば   (先代)

ふとまにお あちわえいわく    フトマニを     味わえ曰く

ゐよのうた ことおむすはす    「五・四の歌      言を結ばず    言を結んで形とならない

諸神に相談してみると、早速フトマニで占ってみると次のような結果を得た。 五・四調のうたは、事を結んで形を成さない。

ことあけも めはさきたてす    言挙げも      女は先立てず」

とつきとは めのにわなふり    「とつぎとは     雌のニワナフリ  (セキレイ) 

をゆれなく をとりなきさる    尾搖れ鳴く       雄鳥 鳴き去る

またあるひ をとりよそおふ    またある日     雄鳥装ふ

めかしりて とりにつけしむ    雌が知りて     合ひ交われば

あめよりそ とりにつけしむ    よりぞ      鳥に告げしむ    (天界)

とつきのり            とつぎ法

言葉かけも、女性からしてはならない。  嫁ぎとは、セキレイの雄のように雌の鳴き声には警戒を示し去ってしまう。 しかし、雄鳥の呼びかけに雌が答える時は合い交わることができる、これが自然の形である。

さらにかえりて          更に返りて

ふたかみは あらたにめくり    二尊は       新たに回り

をはひたり めはみきめくり    男は左       女は右 回り

あひうたふ あめのあわうた    会ひ歌ふ       天のアワ歌

  

あなにゑや うましおとめ    『あなにゑや     うましおとめに

あいぬとき            会いぬ』時              (吾往ぬ)

 

めかみこたえて          女尊応えて

  

わなにやし うましをとこ    『わなにやし     うましをとこに

あひきとそ            会ひき』とぞ             (吾退き)

  

 やわしてあわお         和してアワを              (アワ国)

ゑなとして やまとあきつす    胞衣として     ヤマト秋津洲                                           (本州の)

あはちしま いよあわふたな    淡路島       伊予阿波二名

おきみつこ つくしきひのこ    隠岐三子      筑紫 吉備の児

さとうしま            佐渡 大島

アマテル誕生  

うみてうみかわ          生みて海川

やまのさち きをやくくのち    山の幸       木祖ククノチ

かやのひめ のつちもなりて    茅の姫       野槌も生りて

あわうたに をさむはらみの    アワ歌に      治むハラミの   (  地の)

みやにゐて すてにやしまの    に居て      「すでに八州

くにうみて いかんそきみお    国生みて       如何んぞ君を

うまんとて ひのかみおうむ    生まん」  とて   日の神を生む

  

そのみなお うほひるきとそ    その御名を     太陽霊貴とぞ

たたえます くにうるわしく    称えます      国 麗しく

てりほとる くしひるのこは    照り通る      貴霊の子は

ととめすと あめにおくりて    留めずと      に送りて  (トヨケ大神)

あめのきと みはしらのみち     ”陽陰の起” と    ”御柱の道

たてまつる            奉る                <御子に>

                             

かれにはらみお          故にハラミ

おおひやま とよけかかゑて    太陽山       トヨケ考えて

わかひとと いみなおささく    ワカヒトと     斎名を捧ぐ

二人目、ツキヨミ誕生 と ヒルコ姫の宮入り  

ふたかみは つくしにゆきて    二尊は       ツクシに行きて

うむみこお つきよみのかみ    生む御子を     ツキヨミの尊

ひにつけと あめにあけます    日に次げと     に上げます

                                          

これのさき をゑきうまにすつ    これの先      汚穢・隈に捨つ

ひるこひめ いまいつくしに    ヒルコ姫      今 慈しに

たりいたり あめのいろとと    足り至り      陽陰の愛妹と  (アマテルの妹)

わかひるめ            分日霊妹              (ワカヒルメ

 すくすくと育ち、もう穢れや災いの心配はないと判断されたヒルコ姫は、アマテルの妹として宮に入り「ワカヒルメ」の名を与えられた。                                 (分日霊妹)

三人目、ソサノヲ誕生  

そさくににうむ          ソサ国に生む

そさのをは つねにおたけひ    ソサノヲは     常にお猛び

なきいさち くにたみくしく    泣き騒ち      国民くじく

  

いさなみは よのくまなすも    イサナミは     世の隈成すも  (ソサノヲが騒ぎを起こすその基は、わたし(イサナミ)のけがれ)

わかおゑと たみのをゑくま    我が汚穢 と    民の汚穢・隈                                  

みにうけて まもらんための    身に受けて     守らんための  

くまのみや            隈の宮       

穢れを祓いために、クマの宮をたてた。

  

かくみこころお          かく実心を

つくしうむ ひひめみをかみ    尽し生む      一姫三男

うみてよの きみとみのみち    生みて余の      君・臣の充ち  

とのをしゑ さかりもとらは    調の教え       逆り惇らば

ほころはす            綻ばす

                                

このふたはしら          この二柱

うむとのは あまのはらみと    生む殿は      アマのハラミと   (アマテル)

つくはやま あはちつきすみ    ツクバ山      淡路ツキスミ   (ヒルコ.ヒヨルコ.ツキヨミ)

くまのなりけり          隈野なりけり              (ソサノヲ)

(イサナキ・イサナミのお両神は、アマテル、ヒルコ、ヒヨルコ、ツキヨミ、ソサノヲの 五柱の神の為に 五つの宮を建てた。)

 

全体をまとめてみます。

 天神六代目を嗣いだオモタルと妻のカシコネの両神は力を合わせて国の八方を巡幸し、農業の指導を行い国民の糧を増やした、そしてもなお逆らう賊共に対しては敢然と逆矛(さかほこ)を持って打ち滅ぼし国の平和を計りました。

 淡海(オウミ)の安曇(アヅミ)川の中州に国の中柱(なかはしら)を建て、ここを沖壺と名付けて起点としました。

 東方は日高見(ヒタカミ:現在の仙台あたり)国から、西は月隅葦原(ツキスミアシハラ:島根あたり)国、南に転じて阿波(アワ:四国)から素佐(ソサ・紀州)へと歩みを進めて、北は北国(ネクニ:北陸)から山本細矛千足(ヤマトホソホコチタル・山陰地方)国まで開発と平和維持に尽くしましたが、嗣子(世継ぎ)に恵まれなかったため、せっかく統一された豊かな国も次第に乱れはじめました。

 そんなある日、天神からイサナギとイサナミの両神(ふたかみ)にお達しがありました。
 「沖壷の葦原には千五百反にも及ぶ秋の実を約束された良い水田があるから、ここを起点に全国を統一し、天神七代目を嗣ぐべし」と・・・。
 又、クニトコタチから連綿と受け継いだ瓊の璽(トのオシデ・トの教え:アメナルミチ)と、逆らう者を打ち滅ぼす矛を賜わり、「汝、これを用いて国を治めよ」との詔(みことのり)がありました。

 後に両神は仲人の事解雄(コトサカノオ)の浮橋(橋渡し)を受け入れ夫婦となり、手初めにその浮橋の上に立って授かった矛で下界を探り、したたり落ちた滴(しずく)で占い、クニトコタチの秘儀のオノコロを契って、宮殿を造営しました。

 ここから大日本国(オオヤマト)を再び平和で豊かな国へと再建しその間山海の万物をも生み育て、又、夫婦あい和して人々の言葉を正すためにアワ歌を教えながら全国を巡り、「ト」の教えを広めながら養蚕・農法を伝えていきました。

 いったん乱れた国を再び再建し、功(いさお)しを立てて神代の七代目を継いだのです。

そもそものはじまりは、クニトコタチの神が木の実を東国に行って植えて、その地で生んだ子の名をハコクニとし、そのハコクニはヒタカミの国を建国、この地に天上の高天原(タカマガハラ)の四十九神を歓請して地上の高天原(タカマガハラ)にアメミナカヌシを祭りました。

 ここにクニトコタチのシンボルである橘(たちばな)の木を植えて、生まれた子の齋名(イミナ)をキノトコタチと言います。

諸民は神聖な高天原を嗣ぐ御子の誕生を心から喜び、ヒタカミ国を統べる(結ぶ)タカミムスビの名を捧げて称えました。キノトコタチの子はアメカガミ神と言い、筑紫(ツクシ)を治めました。

 天神四代目のウビチニが生んだ子のアメヨロズ神はタカミムスビを継いでソアサ(素阿佐・四国地方)国を治めて、アワナギとサクナギの二人の御子を儲けました。

 アワナギは北陸(ネ)のシラヤマト国(白山本)からサホコチタル国(細矛千足:山陰地方)までを治めました。アワナギの長男の真名(イミナ)をタカヒトと言い、幼名はカムロギと言います。

 タカミムスビの五代目を継いだ齋名(イミナ)タマキネ豊受神(トヨケ)とも言い、六代目にして途絶えた天神の皇統を何とか復活したいと願い、娘のイサコとアワナギの子のタカヒトとを結ばせて七代目を継がせようと考えました。

 最初にハヤタマノオが二人の間にウキハシ(仲人役)を渡そうと試みますが失敗、次にコトサカノオが慎重に国の危機を二人に説いて聞かせて橋渡しに成功しました。
 両神はケタツボ(方壷・仙台多賀城市付近)から西南の方向のツクバ山の麓を流れるイサ川から少し離れたイサ宮(いさのみや)でお互い縁結びをして、イサ宮に因んでイサナギとイサナミを名乗り即位しました。

 ツクバのイサ宮でのこと、男神が女神にお尋ねになりました。女神のお答えは、「私には成り成り足らぬ陰元(メモト)という処がございます」。

続けて男神が言いました、「私には成りて余りある物があるので、これをお互い合わせて御子を生むことにしよう」

 この後、両神は御殿(みとの)で交合(まぐわい)をなして子をはらみ生まれた子の名を、日の元に生まれたのでヒルコ(日霊子)と名付けました。

しかしながらこの年は、父の年は四十才、母が三十一才で二年後には天の節目(厄年)に当たります、この節目に身籠ると悪霊が宿り、女子には父の汚穢(おえ)が当たり、男子は母の隈(くま)となると恐れられていました。
 まだ三才にも満たないヒルコ姫は、イワクス船に乗せられて川に流されました。

しかし、下流では住吉神のカナサキが待ちかまえて御子を拾い上げ、妻のエシナズと共に西殿(西宮)で大切に育てました。(一旦両親の手から離し、重臣カナサキ夫妻に養育してもらうのです。)

 この後、イサナギとイサナミの両神は、浮橋の上でオノコロの印相(いんぞう)を契って後に建てた八尋殿(ヤヒロノトノ)に立つ天御柱(アメノミハシラ)をお互い巡ります。

先ず言挙(コトアゲ)の儀式に、女は左廻りに男は右廻りに別々に巡り、お互い出会ったところで女神は、「アナニエヤ エオトコ」(なんと良き男(おとこ)」といい、男神はそれにこたえて「ワナウレシ エオトメ」(ああうれしい良き乙女(おとめ)」と相歌い一緒に交わって身籠ったものの、その子は月満たず流産してしまいました。

その子の名前をヒヨルコ(日夜子:未熟児)と言い泡の様に流れてしまったので、この児は子どもの数には入りません。葦船に乗せ、手厚く流した先を淡路島と呼びました。

 この不幸な出来事を天神に相談したところ、諸神は太占(フトマニ)で占って天意を伺いいわく、「先の(イ)・(ヨ)の 五四調の歌事を結ばず・・と卦(け)に出ている。(九文字では、十に及ばず事が成就しない)

又、「言挙(コトアゲ)も女が先に言ってはいけない」とのご神託があり、なお続けて嫁法(とつぎのり)についてのお話がありました。
 「トツギと言うのは、そもそも古来からの言い伝えによると、二羽の(一つがい)のセキレイが知らせてくれたものと言う。

 先ず雌鳥(めんどり)が尾を揺り動かして鳴くと、雄鳥は一声鳴いて飛び去ってしまう。

 又ある日今度は雄鳥が誘うような態度を装うと、雌(め)がそれを悟って合い交われば、これは天からの啓示で鳥に告げさせたので鳥告法(トツギノリ)と言うのである。

(ここから後に嫁ぐ(とつぐ)という言葉の語源ともなった)

 両神は宮に帰り改めて、御柱(みはしら)を巡り直しました。

 男神は左廻りに、女神は右廻りに巡り合った時に先に男神が天(アメ)の天地(アワ)歌を歌いました。
 「ナニエヤ ウマシオトメニアイヌ」(ああなんてうれしい、美しい乙女(おとめ)に会いぬ)、そしてすかさず女神が答えてこう歌います「ナウレシ ウマシオトコニアイキ」(わあうれしい美しい男に会いき)と歌い、これを和(やわ)して、天(ア)地(ワ)を胞衣(えな)として国の再建に励みました。

(儀式の手順と、歌を五七調 に変えて、再び御柱を回ったわけです。)

天の巻  序 1(東西の名と蝕虫去る文)

再び統一された島々の名は、最初はヤマトアキツス(大日本豊秋津島)で、次はアワヂシマ(淡路島)、次イヨ・アワ二名(ふたな、伊予・阿波二名島)、オキ三子(みつご、隠岐三子島)、ツクシ・キビノコ(筑紫島・吉備児島)、サド・ウシマ(佐渡島・大島)の大八島(おおやしま)を再建しました。

 その後も海や河の幸を生み、木の祖(オヤ)神のククノチ神、草の祖神のカヤノ姫ノズチの神も生み終えると、ハラミ宮にしばらくの間入られて、「アワ歌」の心をもって国を治めました。
 このように八洲(やしま)の国も生み終えた後、いかにして日継(ひつぎ)の君を生まんとの思いがやっとかない、「日の神」が誕生しました。

その神の御名を幼名ウヒルキと申し、この慶事を諸民こぞって称え、国の隅々まで天の光が照り通り、君(キミ)、臣(トミ)、民(タミ)の誰もが共に明るい未来への夢を抱きました。

 イサナギは我が子とはいえ、日継(ひつぎ)の君の放つ神威と威光がただごとでないのを知り、「奇しき日(ひ)の霊(る)により生まれませる子」と申され天(高天原)に居られる豊受神の元に送り、天君としての「アメナルミチ」を学ばせました。
 この時この喜びを記念して日の神の御誕生になられたハラミ山をオオヒヤマ(太日山)と改名しました。
 御子を心からお迎えしたトヨケ神は熟考末、元旦の朝日とともに生まれました君に「ワカヒト」と齋名(イミナ)を捧げました。

 この後、イサナキ・イサナミのお両神はツクシに御幸され、この地で生まれた子の齋名(イミナ)をモチキネと名付け、称名(タタエナ)をツキヨミノ神と呼びました。

ツクシは以前ツキスミの国ともいい、日の出とともに月の沈む隅の国の方角にあったからです。丁度月は太陽の光彩を受けて輝くように、日の神アマテルのお陰により輝く月として、日に次(つ)げと宮中に上げアマテル神の補佐役をさせました。


 以前、穢(けが)れや禍(わざわ)いを祓うために川に流したヒルコ姫も、今は立派に成長され、あらためて天照神の妹神として宮に上がり、名も「ワカヒルメ」とし、花の下(もと)で母イサナミから歌を教わりつつ、穏やかな時を過ごしていました。(後に、和歌の本家となります。)

 丁度花の季節の頃、ソサ国(現・和歌山)で末子として生まれたのが、齋名(イミナ)ハナキネ、称名(タタエナ)ソサノオです。

 ソサノオは常に雄叫び泣きわめき、その蛮行から国民(くにたみ)に多大な迷惑をかけて母イサナミを困らせていました。

 イサナミは、息子ソサノオがこの様に荒れて世間に隈(くま・災い)をなすのも全ては自分の汚穢(おえ・穢れ)によるものと深く悩み、民に降りかかる災害の責任を全て我が身に引き受けて民を守るために、息子の厄を除く祈りからクマノ宮を建てました。

 このように御心を尽くしてお生みになったのが一姫三男神(ヒヒメミオガミ)です。

 なによりも尊い瓊(ト)の教えを守り、もしも諭(さと)してもなお逆らい戻(もと)る者があらば、断固として逆矛(さかほこ)により制するこの偉大な二柱(ふたばしら)の産殿(うぶどの)は、天のハラミ宮(アマテル神)とツクバ(ヒルコ姫)、アハジ(ヒヨルコ)、ツキスミ(ツキヨミ)、クマノ(ソサノオ)の 五ツの宮となりました。

 

ホツマツタヱ全文紹介! 天の巻 ②。天七代 床酒の文 原文ひらがなと漢字読み。

ひと言

現在では、ご神名(神々の名前)が 感じで書かれていますが、充てられている漢字は不適当なものが多くひらがなまたはカタカナで書くのが正しいと思います。

敢えて漢字を使うときは、本来の意味を忠実に表現できる文字を充てるべくなのですが、何故か修正されることなく未だに意味不明な漢字が使われることに憤りを感じます。

例、蛭子(ヒルコ)・・であったり、卑弥呼(ヒミコ)などはその名を貶めるためのものです。 だいいち蛭(ひる)はおかしいですよ・・ムシじゃないんだだし、(卑弥呼は)卑しい(いやしい)文字など不適当・・古代中国の上から目線で呼ばれるものじゃない。

漢字が日本に導入される前の神代文字で書かれた「名」ですから、一字一音一義を通して、ひらがな又はカタカナで表すべきだと思います。

 

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