日本最古といわれるの神代文字カタカムナウタヒには次元・時空の生成、量子(理論)に関する事柄が書かれていると言われています。宇宙創成から地球の生命誕生・人々の暮らしまでが五七調のうたで語られる。
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生命循環の理
第14首
オホコトオシヲ, イハツチヒコ, イハスヒメ ,オホトヒワケ, アメノフキヲ ,オホヤヒコ, カサケツワケノオシヲ, オホワタツミ ,ハヤアキツヒコ, イモ ハヤアキツヒメ
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この大14首には、伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)が、順次日本列島をつくった(国生み)後、神生みが始まり、そこから生み出された 幾柱の神の名が順に記されている 。
中心図形は、ヤタノカガミ となっています。
ヤタノカガミとは、潜象と現象即ち陰陽相反転の境界面を表し現宇宙においては、生命や自然界すべてを産み出す根源となる。
大事忍男命(おほことおしおのみこと)神生みで最初に生まれた神
石土毘古神(いわつちひこのかみ) 石巣比売神(いわすひめのかみ)
大戸日別神(おおとひわけのかみ) 天之吹男神(あめのふきをのかみ)
大屋毘古神(おおやひこのかみ) 風木津別之忍男神(かざけつわけのおしおのかみ) 以上、家屋を守護する六神
大綿津見神(おおわたつみのかみ)
速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と妹神の 速秋津比売神(はやあきつひめのかみ) 以上、海や河川を守護する三神
これらは何を意味しているのだろうか。
古事記的解釈で見てみると、 国生みの後、両神 が 生ん だ 最初の神は 大事忍男命 です。(その前の蛭子神や大八島(日本列島)の神々については、カタカムナではなぜか記述がありません。)
次に 、壁を作石や土を称えた石 土 毘古 神、 次に 石 砂を称えた石巣比売神。
次に、 入口の門を称えた 大戸日別神。 次に、 屋根を葺くことを称えた 天之吹男神。 次に、 屋根を称えた大屋毘古神。 次に、 風害を防ぐ神である風木津 別之忍男神
海を統べる神、大綿津見神。 次 に、 水戸 すなわち 河口・港(湊又は港を 統べる神、水の流れの速いところで 穢を祓う意味の 速秋津日子神。 次 に、 その女神である 速秋津比売神 である。
(「イモ」は、妹の事。この場合、女性神でもあり妻を指すこともある。)
風と大地(山̠や河川)と海 の関わり・成り立ちと理(ことわり)についての記述と思われる。
しかし、言霊から考えてみると、それだけではないようにも思える。
「オホワタツミ」は、言霊の思念では、「大きく全体の調和」というもので、小さな個々の生命の集合体として存在していることを示す。
海を統べるとは、多くの命から成り立つ大きなものが、それらを育み又個々の命の集合で全体が成り立つと云うことになる。
そして陸地に在るもの(そこにいる神:命)との繋がりや相互の関わりを表すのではないか。
港や河口、河川の本流や支流、渓谷などそれぞれは大地の血管の如く地表に張り巡らされている。
これらの考えは、水を基本とする大自然の営みと人の体の営みは同じく、すべての細胞、各器官が各々の機能を持ち、それらを生かしているモノ(チカラ)が存在し、カタカムナはそれを「オホワタツミ」と表現し、その理(ことわり)が神そのものを示していたのかもしれない。
イザナギとイザナミが生み出した生命は、常に活動し繰り返し生と死を循環し、活動することで対向発生(フトマニ)が繰り返され、(カムウツシ)神との一体であることを表すのではないでしょうか。
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生命の姿 粒子性と波動性
第15首
アワナギ, アワナミ, ツラナギ, ナミ, アヤミクマリ ,クニノミクマリ, アメノクヒサモチ, クニノクヒサモチ, シナツヒコ, ククノチ オホヤマツミ, ヌツチ カヤヌヒメ
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地上に溢れる水に関わる神々が生み出されており、みずとの相互作用で存在する神をあらわしている。 中心図形は、ミクマリ となっている。
ミクマリとは、命を産み出す根源を示す。
沫那芸神(あわなきのかみ) 沫那美神(あわなみのかみ)
頰那芸神(つらなぎのかみ) 頰那美神(つらなみのかみ) この二柱の神は対神である。
天之水分神(あめのみくまりのかみ) 國の水分神(くにのみくまりのかみ) この二柱の神も対神である。
天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ) 国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ) この二柱の神も対神である。
風の神 志那都比子神(しなつひこのかみ)
木の神 久々能智神(くぐのぢのかみ)
山の神 大山津見神(おおやまつみのかみ)
野の神 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ) 別名:野椎神(のずちのかみ)
参考:これらの神は、場所の形状やその状況の違いによりひとつづつ神を下ろしていった。その特徴ごとに各々の役割と縄張りが明確にされている。
速秋津日子神 とその女神である 速秋津比売神 は、水戸(みなと)を統べる神としてつぎの神々を産み出した。
水泡の和ぎわたっ たことを示す 沫那芸神(あわなきのかみ )、 波の立ち騒ぐことを示す 沫那美神(あわなみのかみ)
水のつぶつぶと泡立つ様を示す 頰那芸神(つらなぎのかみ) 、 同じく 頰那美神(つらなみのかみ) この二柱の神は 対神である。
灌漑を司る 天之水分神(あめのみくまりのかみ) 、 同じく 國の水分神(くにのみくまりのかみ) この二柱の神も対神である。
柄杓を持つ意でやはり灌漑の神 天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ) 、 同じく 国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ) この二柱の神も対神である。
そして イザナギとイザナミの神は、海と陸を吹き渡る風の神と、山野の様々な神を産み出します。
息の長いことを示す風の神 志那都比子神 、茎を美化した木の神久々能智神
山を統べる神 大山津見神 、屋根を葺くための萱や薄の類を称えた野の神 鹿屋野比売神 を産み出します。
以上が古事記的解釈となります。
これらの神は、言霊的に何を意味しているのだろうか。
アワのナギ・ナミは、繰り返し発生する粒子の静と動の連なりとなる。
現象の生命体、これは、「アワ」(統一され調和のとれた状態)を示していると思われる。
現象はすべて波動を持ち、単に個有のものとして存在するものは無く、すべて潜象の相似象であること。
「ミクマリ」とは、「アワ」の連続性を持った(波動の)エネルギーが、現象へと投影されるチカラの根源のことである。
このミクマリによって現象が発現する訳だが、カタカムナ人はここでも、潜象のチカラ(エネルギー)が、現象へと変遷してゆく生命(エネルギー)の根本原理を示しているのだろうと考える。
全ての生命は、イマタチであり、生まれてから死ぬまで、ただ単に一個の生命が継続して存在しているのではなく、イマ・イマに、カムのチカラの関わりを示したものである。
カタカムナは、生命というものを単に各器官の働きの結果としてみるのではなく、すべての調和の取れた状態とみたのだろう。
それは、全身のすべての内臓や器官をつくりそれらの器官を動かす筋肉をつくっている全身の細胞レベルの集合の和であり、「ワ(和)」しているのは「カタカムナ」のチカラであると。
「カタカムナ」とは、「カ(根源のちから)」から「タ(分離)」して現象化した「カタチ」ということである。そのふたつのカタチは、重合を繰り返すカムミと現象粒子タカミで、常にカムに内在する。
楢崎氏は「電磁波が生命を生む」といったが、これは「電磁波」といっているものの本質は、「アワ ナギ アワ ナミ ツラ ナギ ナミ」ということであろう。
神生みは、第十六首まで続きます。
カテゴリー:カタカムナウタヒ
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