古神道である竹内神道(正統竹内文書)を読み解いていくと、消えた日本の歴史が見えてくる。 天地開闢を考える。
正統竹内文書と初代竹内宿禰
越中の御皇城山(おみじんやま)の”皇祖皇大神宮(こうそこうたいじんぐう)”に伝わる鹿皮に神代文字で書かれた 文献 が竹内文書の原書であり日本の歴史だった、そこにかかれていたものは・・。
武烈天皇は、それまでの勝者としての朝廷によって都合よく書き替えられることが常であったが、古来の歴史を伝え残すべく、初代竹内宿禰である”平群真鳥”に 越中の御皇城山にあった”皇祖皇大神宮”に伝わる鹿皮に神代文字で書かれた 文献 を老師の助言を基に翻訳 するよう命じた。
そこには人類の歴史どころか、宇宙創成以来の記録が残されていた。
こうして書き連ねたものが、「帝皇日嗣(ていおうひつぎ)」竹内文献と言われるものです。
その内容は、神の領域であると考えたゆえに秘密とされたのかもしれない。
竹内文書年代記
竹内文書において、宇宙創成から人間の歴史まで以下のように分類されています。
1.天神(てんじん)七代(年代不明)
・初代:元無極躰主王大御神(モトフミクライヌシノオオミカミ:天地身一大神)
から、
・七代:天御光太陽貴王日大御神大光日天神(アメミヒカリオオヒナカキオヒオオミカミオホヒカリヒアマツカミ:天地照日神)そしてその妹神 天御光太陰貴王女大神(アメノミヒカルオヨウインナカキオメオホカミ:月神御光神)
2.神皇初代(上古代)から、二十五代(年代不明、おそらく5万年前頃まで)
・初代:天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(アメヒノモトアシカビキミヌシミヒカリオオカミスメラミコト)
から、
・二十五代:天津彦火火出見身光天津日嗣天日天皇(アマツヒコホホデミミヒカリアマツヒツギアメノスメラミコト)
3.鵜草葺不合朝(うがやふきあえずちょう)七十三代(5万年前頃から紀元前660年頃)
・初代:武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇(たけうがやふきあわせずみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)
から、
・七十三代:狭野尊天日嗣天皇(さのみことあめひつぎすめらみこと)
4.神倭朝(かむやまとちょう)二十六代 (紀元前660年以降、紀元506年まで)
・初代: 狭野尊 不合七十三代 天日嗣天皇 (神武天皇)
から、
・二十六代:小泊瀬稚鷦鷯尊( おはつせのわかさざきのみこと:武烈天皇)
天地開闢・宇宙の始まり
「 夫れ 混元既に凝りて 気象効れず
名も無く 為も無く 誰か其の形を知らむ。
然れども 乾坤初めて分れて 参神造化の首と作り
陰陽斯に開けて 二霊群品の祖と為りき ~ 」
それ まろかれたるものすでにこりて いきかたちあらわれず まのなく わざもなく たれかそのカタチをしらむ しかれども あめつちはじめてわかれて みはしらのかみあめの はじめとなりめおここにひらけて ふたはしらのかみ よろづのおやとなれり
古事記によると、 世界(宇宙)の始めに、天と地が分かれ 三柱の神が宇宙造化の緒(いとぐち)を創り、陰と陽が別々になり 二柱の神が万物の祖となった。 造化三神の一人 天御中主(アメノミナカヌシ)からすべてが始まったとされているが、それ以前は一体何だったのか。
…そりゃあ”無”だろう ・と思う 、古事記にもそう書いてある。 しかし、では ” 無 ” とは何だろう。
古事記に書かれた ” 無 ” とは、竹内文書によると 「無の神」となっている。天御中主は、神皇第四代:天之御中主神身光天皇(アメノミナカヌシノカミミヒカリスメラミコト)なので、 更にその前があったのです。
帝皇日嗣 零代の神 と 天神七代
天神初代:元無極躰主王大御神 (ムトフミクラエシノシオホミカミ) 又は、 (皇祖 元 主 元 無極 主 大御神:ミオヤモトスミクライヌシノオオミカミ)
天地未分ス 鶏子乃玉子如奈リ 天地ヲ 産租神ナリ 天地未土乃海乃如ク 奈リ 天地乃大根元身體乃大神
アメツチイマタワカレス トリノコノタマコノゴトクナリ アメツチヲ ウミノオヤカミナリ アメツチイマタドロノウミノゴトク ナリ アメツチノオホムトミカラダノオオカミ
天地開闢前の大根元 (大租根天皇尊:オホオヤコンゲンスミラミコトソン)、これは、宇宙の根本神と創造の神業を謳っている。
鳥の卵のように産みだされたものは、物質化と定着をしていない泥の海のように混とんとしているが、それは宇宙の根源である神の姿そのものであった。(ビッグバンの 約10−35秒前後、 インフレーション による未知のエネルギーの相転移と膨張 をあらわしているようだ)
”無”の神とは、初めの始めの存在で、無という状態を象(かたち)創るものです。何らかの働き(聖書では、初めに言葉があったと記されている)が起きた、それは偶然であり、偶然は必然であり、偶然もまた神であると竹内文書は伝えている。 そして・・
天神二代:中未分主大神尊(ナカナシワカレノオホカミ)
土乃海ヲ石ニ凝岩ニ 凝土水分未ニ 天地分玉如志奈リ 年暦無數
ドロノウミヲイシニ コリイワニ コリツチミズワカレノチニ アメツチワカレタマノゴトクナリ ネンレキモスナリ
(クォーク・グルーオンプラズマ 状態からの対称性の破れにより、 ビッグバン元素合成 が起き原子がつくられ物質の生成の基となる事をあらわしているようだ)
天神三代:天地分主大神(アメツチワカレノシノオホカミ)
天ト地ト始メ分體別シ 主王乃尊中未分主神依リ 二百二十四億三十二萬十六歳ヒニ 天地別體テ 大空之中ガ出キル
アメトツチトハシメワカレタワカシ ノシオノミコトナカナシワカレシオカミヨリ フタムムニジフシヲクサンジフニヨロヅジフロクサヒニ アメツチワカレタテ オソラノナカガデキル
エネルギーの物質化及び空間の形成と拡大が起きる。
の順に書かれていますが、口伝によるともっとたくさんの神の名が語られているそうです。それは明かされていませんが、宇宙を形作るための多くの神、意識の神、音の神、温度(熱)の神、光の神、重力の神などとなっているそうです。
以前は、宇宙の始まりはビッグバンからと言われていましたが、ビッグバン理論ではそれ以前の説明ができず、近年では インフレーション理論が主流となっているようです。 (永久に実証は不可能と言われていますが)
超弦理論 により原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明できるとされていますが、インフレーションとは まさに無の神(高多次元)から現宇宙への相転換だったのかもしれません。
その瞬間より、多くの神々(現宇宙におけるいくつかの物理現象)が空間に満ち溢れていったのです。
その後、
天神四代:天地分大底女大神二神(アメツチワカレオホソコノミドノオホカミフタカミ)
天神五代: 天一天柱主大神躰光神天皇(アメハシメアメハシラノシオホカミミヒカリノカミスミラミコト)
「その妻、 天一美柱主大神身光神皇后 (アメハシメミハシラノシオカミミヒカリノカミキサキノミヤ)」
この辺りで、宇宙空間内での物質の粗密が起きて、原始星やガス星雲などがところどころにできてくる。
第五代二柱の神の子が、
天神六代: 國萬造主大神身光天皇(クニヨロズツクリノシオホカミミヒカリノスミラミコト)
「その妻、 國萬造美大神身光皇后 (クニヨロズツクリミノオオカミミヒカリノキサキノミヤ)」
第六代二柱の神の子が、
天神七代: 天御光太陽貴王日大御神大光日天神(アメミヒカリオオヒナカキオヒオオミカミオホヒカリヒアマツカミ:天地照日神)
「その妻、天日身光ミトノヒ女大神」
そしてその妹神
天御光太陰貴王女大神(アメノミヒカルオヨウインナカキオメオホカミ:月神御光神)
「その夫、 天日身光ホト男大神大神 」
物質の粗密により、銀河系の形成から恒星・惑星などの太陽系があちらこちらに次第の増えてゆく。
ここまでで、二百六十億年程が経過、星々の誕生、地球の誕生と公転周期と自転周期が定着し生命の発現までが記されている。
初代から第四代までは 独り神だが、第五代以降は夫婦神や兄妹神となっている。
ここでひとつ不思議なのが、 天神七代の神による生命誕生の記録は必ずしも”私たちの地球”の神界の事ではないような書き方がされている。
天神時代の高天原(たかあまはら)は、舞台が宇宙そのものであって ” 地球の神界 ” だけの事ではないようだ。
それはどういうことなのか、天神七代の二柱の神はそれぞれ永い時を経て多くの神を生み出します。
天御光太陽貴王日大御神大光日天神 と 天日身光ミトノヒ女大神 によって、二十五柱(はしら)の神が生まれている。
天御光太陰貴王女大神 と 天日身光ホト男大神大神 によって、十四柱の神が生まれている。
そしてよく見てみると、太陽と月と地球(他の恒星系?)の関係性も書かれています。 (天地照日神 や 月神御光神 などの 亦名(またのな)がついている)
太陽の神、月の神の祖 といったところかもしれない。
二組の夫婦神によって生み出された”三十九柱”の神は、それぞれの名前に 天体現象や大陸形成、気象や動植物の誕生と生活に関する事が含まれている。
四季は(コメノハル、クニアツ、タナツアキ、コネノフユ)
一年(12か月)は(ムツヒツキ、ケサルリツキ、イヤヨツキ、ウベコツキ、サヤヘツキ、ミナツツキ、フクミツキ、ハヤレツキ、ナヨナツキ、カナメツキ、シブルツキ、シハツツキ)
他に、一か月、一日の星の運行から、十二方位と星(十二星座)の運航までが記されている。
生活様式やまつりごとなどを司る神が多く生まれているのは、知的生命体の発生と生活文化の発祥だと思われる。
天神七代(宇宙年齢:二百六十億年)から次の神皇一代までの宇宙年齢三百六十億年(神の年齢を見てみるとそれくらいの年数が経過している)の間に、人々(他の生命体?)の文化生活圏が既に成り立っていることになります。
そして、神皇時代になり私たちがよく知っている ” 地球 ” を舞台とする ” 高天原と天孫降臨 ” の記述が始まるのです。
私たちの歴史に描かれている ” 天孫降臨 ” とは、地球外生命体による現地球への移植又は入植なのかもしれない、そんな気がしてくるのです。
それは、物理現象を表すような神の名と、人として振舞う神の名がこれ以降たくさん現れてくるからです。
(参考):茨城竹内文書では、私たちのいる地球が固まり始め、大気が形成されて来た頃から、現人類以外の地球外生命体による、地球への生物移植と人類創生が行われてきたと記されています。
このことに関し、竹内宿禰(竹内睦奏氏)も、著書の中で肯定的な話をしている。(まあ、秘密なので詳細は言えないとの事なのです)
次回からは、私たちのいる太陽系の神皇時代(天孫降臨)からのお話を書いていきます。
竹内文書(帝皇日嗣)で見る古事記の解釈(天地開闢から、国生み・神生み)
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