古文書に見る日本の歴史! ⑶ 竹内文書は本当に偽書なのか?

正統竹内文書

古神道・竹内文書を読み解いていくと、消えた日本の歴史が見えてくる。  神皇時代の天孫降臨。

 

古事記、茨城竹内文書、正統竹内文書 それぞれの天孫降臨!

 

正統竹内文献(皇統譜)

 

古事記の天孫降臨

 

大筋では、大国主命(オオクニヌシニミコト)が葦原中国(アシハラナカツクニ)を平定後、天照大御神(アマテラスオオミカミ)などの天神たちに国を譲ることになった。( 大国主の国譲り)

大国主 の思いを受けて、高天原からは葦原中国(アシハラナカツクニ:日本)の支配を任された神が降臨することになりました。

 

『古事記』によると、アマテラスと高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)又は(タカギノカミ:高木神)両神の命で、当初は天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)という神が天降ることになっていましたが、降臨しようと身支度をしていたアメノオシホミミには突然、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)という名の子どもが生まれた。

そこで、アメノオシホミミは自分に代わってニニギ ノミコト を豊葦原水穂国(トヨアシハラミヅホノクニ)に天降りさせることを願い出て、受け入れられます。
ニニギ ノミコト はアマテラスの孫にあたることから、「天孫降臨」と呼ばれるようになりました。

神が降臨された場所については諸説ありますが、一番認知度が高いのは 九州の高千穂でしょう。

これは、伊弉諾・伊弉冉(イザナギとイザナミ)による、神生みと国生みの後、地上には人が溢れカムヤマトの頃ということになります。

この辺りの話はご存知の方も多いと思います。

一方、竹内文書によると話は若干変わってきます・・

 

茨木竹内文書の天孫降臨

 

茨木竹内文書においては、人類の祖そして人間を生み出したとされる多くの神々は、地球外生命体であることが直接的表現で書かれています。( エーリッヒ・フォン・デニケン が聞いたら喜ぶだろうな)

(参考)1936年の天津教(茨城の皇祖皇大神宮)弾圧事件で没収された文書資料や神宝類以外わずかに残ったものは今も同教社殿に保管され守られている)

 

正統竹内文書とは少し神名などが違っているが、多くの神(高等生命体)が地球に来訪した事、地球各地(ムー大陸やアトランティス大陸の分断前の超大陸時代)に分散し、人類を創生・統括し天空浮船(あめのうきふね)で世界をつないでいた。

大陸分断後、ムー大陸やアトランティス大陸には多種族の地球外生命体によるそれぞれの種族(人間)が栄えることとなったが、 地球規模の大災害により大陸が消滅した後は、大陸の東方(日の昇る地)つまり現在の日本辺りを中心とした人類再生が行われた。神より統治を任されていた天皇(すめらみこと)の下、多種族統一国家を築いていたことが記録されている。

ただし、正統の竹内宿禰(竹内睦奏氏)によると、登場する神名の年代に誤りがあったり、比較的新しい時代の地名が書かれていたり、日本建国の時代が若干ずれたりしているという。これは、竹内巨麿(たけうちきよまろ)以外にも数人の人の手によって内容が改竄されているからだという。

 

しかし、記紀にはないが正統竹内文書にしか記述されていない事柄も多く書かれており、神名史などが合っているのも事実だ。

地球外生命体による人類創生・起源説については、正統竹内文書では直接的表現による記述はない。しかし、上記説を念頭に読み進めても違和感がないのは不思議であると思う。

多くの神々(とても人間的)による原人類の創生や民族統括の時代を経て、やがてその統括が人間(現人神:あらひとかみである天皇)へと変わってゆく流れは酷似している。

茨城竹内文書による”天孫降臨”とは、

 

第一の降臨 

 

天神五代 天一天柱主大神躰光神天皇(あめはじめあめはしらぬしおおかみみひかりのかみ)が、ようやく自然環境が整い居住可能となった地球に降り立った。

そこは、”天越根日玉國狭衣國越中國”の久々野山(岐阜県船山あたり)に降り立ち、天之御柱(あめのみはしら)を建て降臨の拠点とした。

天神第六代・第七代において、生活環境を整える多くの神を生み出す。

上古代一代(神皇一代) 天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみぬしみひかりおおかみすめらみこと)が降臨(地上への定着・定住)し、天空船・水船(あめのそらふね・みずふね)を建造した。 そして、天越根国(あめのこしねのくに)に天神人租一神宮を建立し、神代文字を使い人々を統治した。

上古代二代(神皇二代) 造化気万男身光天皇(つくりのしきよろずをみひかるすめらみこと)からは、五色人(いひろびと)の誕生 世界統一の為皇子を各地へ派遣する。

㊟:五色人(いひろびと) とは、五種類の人類の事を指している。

赤人(あかひと)、青人(あおひと)、黄人(きひと)、白人(しろひと)、黒人(くろひと) のことで、DNAの違いは若干あるが多種・多民族の混合国家だったと言われている。

上古代三代(神皇三代) 天日豊本黄人皇主天皇身光神(あめひのもとひのひみいぬしすめらみことみひかるかみ)は、天空船で万国巡幸をおこなうも、地殻大変動で人類は大半が滅亡。

 

第二の降臨

 

天皇・皇子一族は天空船(あめのうきふね)で地球外へ一時避難し災害収束後再降臨し、越中・御皇城山を拠点とし各地を再建した。

上古代四代(神皇四代) 天之御中主神身光天皇(あめのみなかぬしかみみひかるすめらみこと)

この時も二度の地球大変動を経験するが、諸々の種族の生き残りたちにより国家の国家の再建をはかる。この時の天神天皇も、天空船で万国巡幸し、以後社会運営や農業などの生活基盤を整える術を各地に伝える。 ( 中間省略 )

上古代十代(神皇十代) 高皇産霊身光天津日嗣天皇(たかみむすひみひかるあまつひつぎのすめらみこと):皇祖皇大神宮(世界の中心となっていた神代の社)に、世界中の巡礼者が参拝に来る。

 

上古代十一代(神皇十一代) 神皇産霊身光天津日嗣天日天皇(かむみむすひみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

上古代十二代(神皇十二代) 宇麻志阿志訶備比古遅身光天津日嗣天皇(うましあしかびひこちみひかるあまつひつぎすめらみこと)

上古代十三代(神皇十三代) 天之常立男身光天津日嗣天日天皇(あめのとこたちを見ひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

上古代十四代(神皇十四代) 國之常立男身光天津日嗣天日天皇(くにのとこたちを見ひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

上古代二十一代(神皇二十一代) 伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇(いざなぎみひかるあめのすめらみこと):伊弉冉皇后(いざなみ)神職遂行にて、何らかの原因で大やけどを負い現在のアフガニスタンで治療し、二神(ふたかみ)共に再び日本へ戻る。

その後、筑後、呉羽山、飛騨へと遷都を繰り返す。この時も地球大変動が起きる。

上古代二十二代(神皇二十二代) 天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇(あまさかりひむかいちひめみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと):天照大御神

地球大変動後、再降臨し皇祖皇大神宮を再建後、位山(岐阜)から御皇城山へ遷都する。

天照大御神 の弟、速進男尊(すさのおのみこと)乱暴・狼藉にて一時的に神政を放棄し日玉國の磐屋にこもる、その後群臣の説得・祈り・神楽によって磐屋を開く。(天の岩戸隠れ)

速進男尊 は壇國へ追放処分となるが、帰国後出雲で山田の大蛇賊を倒しその時の剣を天皇に献上し恩赦を与えられ、櫛名田姫命と婚姻する。

 

上古代では各地に遷都しながら、上古代二十四代 では、高千穂に遷都、火明尊が琉球に渡り王国をつくる。以後、二十五代まで日本の各地へと遷都を繰り返しながら天空浮船で万国巡幸しながら平和な世界が続く。

ここまでが、約五万年前の出来事となります。

次代より、鵜草葺不合朝(うがやふきあはせずちょう)の時代へと変遷してゆく。

:茨城竹内文書では「上古代一代から上古代二十五代」と表現されているが、正統竹内文書では「神皇一代から神皇二十五代」と表記している。

  

 

正統竹内文書の天孫降臨

 

天神五代 天一天柱主大神躰光神天皇(あめはじめあめはしらぬしおおかみみひかりのかみすめらみこと) 妻: 天一美柱主大神躰光神皇后 (あめはじめみはしらぬしおおかみみひかりのかみきさきのみや)

國之萬國ノ底地美ト云フ 言此のトキニハシメテ地美ト國名ヲ名付ル 國ノ萬國名ヲ付ル大根元ナリ・・・(クニノトコヨクニノソコチミトイフ コトバコノトキニハシメテチミト クニナヲナツクル クニノトコヨクニナヲツクルオハシメナリ・・・)

この時に、地球での創造神と人類の発生が書かれ、大地や山河がつくられていることがわかる

天神第六代・第七代において、生活環境を整え四季・暦が創られた。多くの神を生み出し、言・文・かなにて記される。

神皇一代 天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみぬしみひかりおおかみすめらみこと) 妻: 天日豊本葦牙気皇美神皇后(あめひのもとあしかびきみのかみきさきのみや)

 

天日豊本葦牙気皇主大神天職天皇即シ 元根年サナヘツキ立一日ニ大空底日球日神父マタ上神霊ヲ 萬國ノ棟梁黄皇主孫命守護支弟妹孫五色孫民王守神ヲ 地球天元根國ヘ天日 國依リ 神霊始メテ祭主天職天皇始メ皇后別二十名ミド女ノ皇子皇女始テ越遷奉リ 天神人租一神宮オ造リ ・・・ 天越根國ト名付ル・・。

天皇皇后、皇子皇女その他二十一名の神々が、越根国(こしねのくに)へ降臨し、農業・出漁や生活文化を整えてゆく。

神皇二代 造化気萬男身光天皇( つくりのしきよろづおみひかりのすみらみこと) 妻: 造化気萬美身光皇后( つくりのしきよろづみのみひかりのきさきのみや)

造化気萬男神 が生まれる。以降 二十二神の出生、更に多くの神が生まれ全国各地を治めることとなる。

更に、天日萬言文造主尊、天言文像形假名造根尊、萬國八意五十言一造根尊、萬國言語伊吹尊 他 により、神代文字が確立される。

天日草体字(アヒルクサホモジ)五十一字 (一部抜粋)

 

 

ユーラシア大陸の東部・南部に諸々の国を定める。

「志那華唐古氏十五氏」、「天竺萬山黒人民王(後の釈迦の祖先)」、大陸各所に、赤人祖氏、 青人祖氏 、 白人祖氏 、 黄人祖氏 などを始め諸々の民族の誕生となる。

神皇三代  天日豊本黄人皇主天皇身光神(あめひのもとひのひみいぬしすめらみことみひかるかみ) 妻: 天日豊本黄人皇美神(あめひのもとひのひみみかみきさきのみや)

天日豊本黄人皇美神 は、別名 海原大海主尊娘で、この時の天皇も万国巡幸をしている。

大海原乗舟造知尊天豊舟乗知王尊天日龍舟工知主尊海川舟造大舟八隻小舟十六隻造りて萬國御巡幸天皇自身天ノ浮船ニ乗リ‥云々 とある。

天皇自ら軟石もの船を従えて大陸へ渡り、諸国を視察して回ったと云うことです。

この天皇の時代に、地球規模の大災害が起きた。

天地分主大神ノ御代ヨリ地球全部敷百度土ノ海トナリ其シロシ地ノ底ニ大木埋アリ・・・

萬物・萬國全滅ス・・・と書かれているので、ここでも人類はほぼ壊滅状態となってしまった。そして、天皇・皇子一族は、”天日球ノ國天空浮船ニ乗りテ昇リ大難除レ・・・” とあるので、一族は神の国へ避難したことになっている。

そして、災害収束後再降臨となる。

正統竹内文書では、これら(一時避難先と方法)の事柄についての詳細は書かれてはいない。秘密の口伝にはあるのかもしれないが、竹内睦奏氏がこれについて語ったことはない。

神皇四代  天之御中主神身光天皇(あめのみなかぬしのかみみひかるすめらみこと)  妻: 天之御中美皇后(あめのみなかみのきさきのみや)

 

再興された諸国と文化

 

この時 天之御中主 一族が再降臨した場所は日本各地にあり、朝鮮半島にも降り立っている。(陽の昇る方向に美しい島が望める場所ということで、たいそう気に入っていたという一節があります。 場所は、朝鮮北部の白頭山となっています。この白頭山、北朝鮮の最も神聖な場所とされているのは不思議なことです)

万国国境を定め、農業・文化が定着し、第六代・第七代には、女性天皇も誕生します。

神皇十代  高皇産霊身光天津日嗣天皇(たかみむすひみひかるあまつひつぎのすめらみこと)

神皇十一代  神皇産霊身光天津日嗣天日天皇(かむみむすひみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

世界地図を作り、皇祖皇大神宮に納める。

神皇十二代  宇麻志阿志訶備比古遅身光天津日嗣天皇(うましあしかびひこちみひかるあまつひつぎすめらみこと)

天皇の万国巡幸の際、諸賊を平常し、万国国政法が制定される。

またこの頃には、”遠津海スルカ不老士山ニ大宮造リ仙洞トス・・” と書かれており、「富士朝廷」が始まったことを示している。

神皇十三代  天之常立男身光天津日嗣天日天皇(あめのとこたちを見ひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

 

神皇十四代  國之常立男身光天津日嗣天日天皇(くにのとこたちを見ひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)

食器(焼き物)などの製法を万国へ伝授した。

神皇十六代 宇比地煮身光天日嗣天皇(ういじにみひかるあめのひつぎすめらみこと)

神宝 八咫鏡 八サカノ曲玉 (三種の神器)がつくられる。

神皇十八代 大斗能地王身光天津日嗣天日天皇(おおとのじおおみひかり天津日嗣あめひのすめらみこと)

ヒヒイリカネノ劔矛(けんとほこ) (三種の神器) をつくり、皇租皇大神宮ニ納める。

この間にも、天変地異・地殻大変動などの大災害で、絶滅の危機はたびたび訪れていた。

神皇二十一代  伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇(いざなぎみひかるあめのすめらみこと):伊弉冉皇后(いざなみきさきのみや)

蛭子尊、淡嶋尊、火ノ尊をはじめ 別二十八尊を生む。

火ノ尊 を生んだ時にやけどを負い、”イナダ國バミル高原ヨリアフスタン國ヘラサカイチニ ヲットニワカレサリユク” とある。しかし、伊弉諾も後を追い治療が終り 二神とも天日越根の國へと帰る。

そして、”筑紫日向阿波岐原(つくしのひむかのあはぎはら)ニテ禊祓(みそぎはらえ)ヘ給フ二十一年身禊ナセリ・・・” (記述)

その後、天疎日向津姫尊( 天照大御神 )と月向津彦月弓命(須佐之男命) が誕生する。

㊟:竹内睦奏氏によると、ツキヨミは、スサノオと同一人物だったと語っている。

神皇二十二代  天疎日向津比賣身光天津日嗣天日天皇(あまさかりひむかいちひめみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと):天照大御神

乱暴・狼藉を働く須佐之男命 は悪行が過ぎ、怒った 天照大御神 は天に昇り日球國の磐屋(ままや)へと隠れてしまった、怒った伊弉諾によって須佐之男命 は志那國へと流され天降り(あまくだり)て、進男君尊と名乗る。

ご存知のように、群臣たちの努力の甲斐あって 日球國の磐屋(ままや) からは出てくる。この時に 進男君尊(スサノオノミコト)は、 ヒヒイロカネの剣を携え 出雲神門水湊に帰京し、山田の大蛇八頭賊を倒し 櫛名田姫命 を助ける。

大蛇八頭賊を切った剣を天皇( 天照大御神 )に献上し罪を許され、 櫛名田姫命 と婚姻する。

神皇第二十三代 天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇(あめのおしほみみみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと)妻:天玉依毘賣皇后宮

神皇第二十四代  天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(あめににぎみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと) 妻:木花佐久夜姫皇后宮(このはなさくやひめきさきのみや)

火明尊産生。 伊勢津媛二見水門朝に環幸。 九州高千穂へ遷都。

皇子、琉球に渡り 大綿津見神(おおわだつのかみ)の娘豊玉姫命を皇后と定める。

神皇第二十五代  天津彦火火出見 身光天津日嗣天日天皇 (あまつひこほほでみみひかるあまつひつぎあめのすめらみこと) 妻: 娘豊玉姫皇后宮(とよたまひめきさきのみや)

記述:「天ノ空中浮舟岩楠舟三十二舟造りて乗り・・・」

五色人(いひろひと)の地を浮舟で巡幸、すべての民族に喜び迎えられ正しく統治を成していた。

次代、鵜草葺不合朝(うがやふきあはせずちょう)へと至るが、この時天職天皇譲天皇即位百六十三萬七千九十二歳 と永きに渡って継承統治していた。

かなり省略して書いたが、大筋の流れはご理解いただけると思います。

次回は、大和族 出雲族 原日本人 について 纏めてみたいと思います。

  

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