ホツマツタヱに伝わる「イサナキとイサナミの国創り」とは、国家の再建だった。 そして、三貴神と呼ばれる神の誕生の謎。アマテル誕生秘話とタカミムスヒ。
伊弉諾尊(イザナギノミコト) と 伊弉冉尊(イザナミノミコト)
第6代オモタル・カシコネ様の時代には、何故か世継ぎに恵まれず徐々に国も乱れ始めていったとあります。
人々への教育指導が行き渡らず、不作が続き生活が不安定になってしまったんですね。
そこでえらばれたのが、イザナギ・イザナミの両神(ふたかみ)です。
古事記などで書かれている 伊弉諾尊(イザナギノミコト) と 伊弉冉尊(イザナミノミコト) による国生みのお話はご存じの方も多いと思います。
お両神(ふたかみ)が、天沼矛 (あめのぬほこ)で海をかき混ぜ滴る雫からで最初にオノコロ島をつくり、次々と新しい国を創り出していきます。
そして、多くの神たちを生み出していき、野も山も川もそしてそこに住む人々の暮らしを作り出していきました。こうして、八洲のクニは平らに治められたのでした。
しかし、 イザナミノミコト が最後に生んだ火の神によって火傷をしてしまい、そのせいで黄泉国へと旅立ってしまわれましたね。
ホツマツタヱが語る古代日本②イザナミの死( 神上がり ) とイザナギの禊(黄泉比良坂(よもつひらさか) での出来事。
イザナギノミコトは、亡くなったイザナミノミコトに会うために黄泉の国へ行き、戻ってきた後、黄泉の国の穢れを祓うために禊ぎをします。
左目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、
右目を洗うと月読命(ツキヨミノミコト)が、
鼻を洗うと素戔嗚尊(スサノオノミコト)
が誕生するのです。
この記述、古事記、日本書紀の両方に載ってますが、日本書紀の方は少し違うようです。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)が、
左手に白銅の鏡を持つと、それが天照大御神となり(生まれ)、
右手に白銅の鏡を持つと、それが月読神がとなり(生まれ)、
と、まずお両神が生れてきます。次に生まれてくるのが素戔嗚尊ですが・・・
「又廻首顧眄之間則有化神、是謂素戔嗚尊」
「顧眄之間」
※顧は「ふりかえってみる。かえり見る」。
※眄は「かえりみる。流し目で見る」。
※顧眄(こべん)で「ふりかえって見る」。
イメージとしては、「ふと、ふりかえってみると」と、まあそんな雰囲気とでも言ったらいいでしょうか。
全文そのまま訳してみると、
「又廻首顧眄之間則有化神、是謂素戔嗚尊」
「また、首を廻してふりかえってみるとそこに神あり(神が生まれ)、これ素戔嗚尊という」という感じでしょうか。
・天照大御神・月読命⇒白銅の鏡が神と化した
・素戔嗚尊⇒首を廻してふりかえってみるともうそこにいた。
天照大御神と月読命は白銅の鏡を使い、日と月という一対のものが神としてあらわれてくるわけです。
一方、素戔嗚尊は明確な意図がなくいつの間にか生まれたといった印象ですね。
これはどういうことなのでしょうか。
正統竹内文書の竹内睦奏(たけうちむつひろ:第七十三世武内宿禰)が語ったところによると、古事記とは違い日本書紀は外国向けの日本の歴史書であるから、内容も少し変えてある(詳細は省略)・・とのことです。
極秘の口伝だから、中々真実を語れないとも言っていますが、いずれにせよ 一般的に言われている「三貴神」と実際?の「三貴神」はもしかしたら、違うのかもしれませんね。
それらの疑念は、のちのスサノオノミコトの行動や出雲の国の立ち位置などを考えるといろいろなことが想像できます。(くにの勢力関係や時の天皇による)
それはともかく、
古事記と日本書紀ではイザナギノミコトが黄泉の国から戻り禊をした時に天照大御神ら三柱の神々が生まれたことになってますが、ホツマツタヱではイサナキ(伊弉諾尊)とイサナミ(伊弉冉尊)の皇子として誕生しています。


ここでわかるように、「ワカ姫」という名が出ています。
ホツマツタヱによる、イサナキとイサナミの国家再建
ヒルコ姫とヒヨルコ姫
筑波の宮(イサ宮)にて、最初に身籠り生まれたのが「ヒルコ姫こと後のワカ姫」でした。
しかし、その年は天の節(厄年)でした。
厄年に生まれる姫は父の穢れを受けるとされたため、「イワクスの舟(葦船)」に乗せて親元より話すこととなったのでした。 とはいっても、実際の流してしまうのではなく、川の下手でカナサキ(重臣)に手渡され西ノ宮にて大切に育てられました。
次に、オノコロ(最初に降り立った地)のヤヒロ殿にあるアメノミハシラを回りながら身籠ったのが「ヒヨルコ姫」とされています。
しかし、この時の子は早産であったために、泡のように流れてしまい淡路の宮にて弔われました。
これが、淡路の語源だと云われます。
ヒルコは、日霊子 それに対し ヒヨルコは、日夜子 と書きます。 これも昼と夜をあらわしたものとなります。
この一件をトヨウケノ神(第5代タカミムスヒ)に相談し、フトマニによって占った結果 天の三柱を回った時に謳ったうたは五四調であったことを指摘されたのです。
わなうれし ゑおとめ (いさなみ) が謳い
あなにえや ゑおとこ (イサナギ) と返しました。
このように謳いながら、イサナギは左回りに、イサナミは右回りに柱を回り、イサナミから声を掛けられました。
この歌は、九文字で十(とお)に満たない、つまり結果を出せない歌だと云われてしまったんですね。 (ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・トで、すべての循環が完成する。) ” と ” がないことで、こと(事)を成せない・・ということです。
巡り(循環)の理にかなっていなかったわけです。

上の右回りの渦は「あ」天(陽)、下の左回りの渦が地(陰) これが本来のかたちなんですね。
一音一語一儀で伝えられる日本語ならではの、所謂「言霊(ことだま)」の重要性がここにあるという訳ですね。
更に、トヨウケノ大神に指摘により、歌は五七調に改められ更にイサナギから声を掛けなければならないとも言われました。
天地は、アメツチ・あわの事で 「あ」は男(陽)、「わ」は女(陰) となります。
世継ぎに恵まれなかったというのは、こんな事情があったのですね。
その後、イサナギとイサナミのお両神は、「ト」教えを説きながら、全国を隅々まで巡り、国創りに精を出したのでした。
国が乱れ、話す言葉も国ごとに違いがあり、民たちの知識も不十分なものでした。
そこでお両神は、「アワのうた」を人々に教えうたわせてことばを統一し、正しい言葉を教えることで教えが広く正しく伝わるようにしました。
教えを深く正しく伝え継ぐためには、 子どもたちにも幼いころからこのアワのうたをうたわせて、自然に「トの教」を理解できるよう説いていきました。
また、稲作に必要な鍬(くわ)や鋤(すき)の使い方やムマ(馬)・ムシ(憂し:牛)といった動物を使い田を耕したり荷車をひかせたりといろいろな農作業の方法も教えていきました。
因みに、 ムマ(馬)・ムシ(憂し:牛)とはその乗り心地をあらわすことばで、農作業以外では馬は乗るため、牛は車を引かせるために主に使われたそうです。
こうして、お両神が御心を尽くされたので、次第に各州(八洲:やしま)も安定し民の暮らしもよくなり、ハラミの宮にて国政を執っておられました。
暮らしが安定し、安寧を取り戻した州(くに)の事を、「オノコロシマ」と名付けられました。
大変な苦労の末、ようやく国の安定を取り戻したお両神ですがお世継ぎには恵まれなかったことを深く思い悩んでいました。
五代目タカミムスヒノ神そしてイサナミの父である豊受大神(トヨケ神)とイサナキ・イサナミのお両神は、今度こそ世継ぎの君を生まなければとの思いである決心をされます。
ここで、 五代目タカミムスヒノ神 ことトヨケ神について少し記述します。
伊勢神宮の外宮には豊受大神が内宮には天照大御神がお祀りされています、そして順序としては外宮から先にお参りするとなっています。
その理由は、豊受大神が天照大御神の食事(稲作)を司る神様(五穀豊穣の神)だからとされています。
先に神饌(しんせん)というお食事をお供えしてお祀りすることを「外宮先祭(げぐうせんさい)」と呼んでいます。それに倣って外宮から先にお参りし内宮を参る訳ですね。

(本来は、二見浦で禊(身を清め)し、その後に 内宮(うちみや) 外宮(そとみや) へと参るのが 作法といわれています。)
ホツマツタヱではトヨケカミ(豊受大神)はイサナミの父であり、アマテルカミ(天照大御神)の祖父でもあります、アマテルカミが生まれるときに並々ならぬ尽力をしたのが外ならぬトヨケカミでもあったからです。
そのお二人が伊勢神宮に一緒にお祀りされているということ。トヨケカミがお祀りされている外宮から先に参拝するということ。それは何より、アマテルカミ(天照大御神)がトヨケカミ(豊受大神)を祖父として、指導者・教育者として、心より尊敬していたことへの表れではないでしょうか。
八千回の願掛けと一千日の祈り。
7代目アマカミにイサナギ・イサナミがなることで中央政府の危機を乗り越えることができましたが、トヨケカミはあることを嘆いていました。
しばらくは国家も安寧でしたが、イサナギ・イサナミのもとで民を導く指導者(後継者)が未だにいなかったのです。
6代目アマカミであるオモタル・カシコネの時代に、食料不足や盗みなど国や人心が乱れていたという背景を考えると憂慮せざるを得なかったのでしょう。
それを憂いた5代目タカミムスビ・トヨケカミは、ハラミ山の登り国を見渡したところ、永き豊かさゆえに人が溢れ派手な佇まいをし騒々しく、「ト」の教えが忘れ去られていることに気が付きました。
一方、娘であるイサナミも父トヨケカミに「なんとしても世継ぎの子が欲しい」と申し出ます。
それを聞いたトヨケカミは、月山に世継ぎ社(やしろ)を建て、宇宙の創造神アメミヲヤカミ(アウワ)に祈ります。自ら禊ぎをし、八千回も願をかけました。
イサナギとイサナミも禊ぎをして祈りを捧げます。
お二人は池の水で、
左の眼を洗い太陽に祈り、
右の眼を洗い月に祈ります。
またイサナギは、
マス鏡を両手に持ち、
太陽と月になぞらえ、
神が現れることを請います。
この二つ、古事記と日本書紀にも似たような記述が出て来ます(前回の記事参照)。
お二人の祈りも一千日にも及びました。
ある日のこと。共に拝んていると、日の輪が飛び落ちてきてイサナギとイサナミの前に留まります。
日の輪とは太陽を意味するので、これはアマテルカミ(太陽神)が生まれる暗示を表しているのだと思います。
トヨウケノ大神に指摘により、歌は五七調に改められ更にイサナギから声を掛けなければならないとも言われました。
あなにえや うましおとめに あいぬ (イサナギ)右回り
わなにやし うましをとこに あいき (イサナミ)左回り
その後、イサナミは身ごもりますが、十月(とつき)では生まれず、なんと九十六ヵ月目にアマテルカミ(天照大御神)は誕生するのです。
太陽神 アマテルカミ(天照大御神)
実はアマテルカミ(天照大御神)が生まれたのが1月1日。元旦ですね。
九十六か月目にしてようやく生まれたアマテルは、まるで卵のように光の環に包まれて生まれてしばらく間目を開けなかったといわれています。
最初の言葉がお乳をもらった時に「あなうれし」、次にシラヤマ姫の問いかけに対しと自分の名を「ウホヒルキ」と答えるのです。
白山菊理媛神(しろやまのくくりひめのかみ)です、後にシラヤマのキクキリ姫と呼ばれるようになりました。
古事記では登場せず、日本書紀にほんのチョットだか登場する謎の神様とされいますが、イサナギとイサナミが泉平坂(よもつひらさか)で争うときに、ある言葉をかけることで、お二人を仲直りさせたのですが、何を言ったのかは記されていません。
しかし、ホツマツタヱでは、「シラヤマヒメ(白山姫)」「キクキリ姫」「ココリ姫」と呼ばれ、アマテルカミの乳母(イサナギの妹)として登場します。
白山姫がアマテルカミの声を聞き取り、皆に伝えます。
うひるぎと みつからこたふ みこのこえ
自ら「ウヒルキ」と答える御子の声がした、と。
おさなゝの ウはおゝいなり
ヒはひのわ ルはひのちたま
ギはキネそ かれウヒルギの
みことなり キネはメヲトの
ヲのきみぞ
ウは大いなり、
ヒは日の輪(太陽)
ルはヒのチタマ(※「チ」「タマ」ともに「霊」。)
ギはキネ(※キミは「キ」は男性、「ミ」は女性の対のアマカミ。これに対してキネは男性のみのアマカミ)
まとめると、、、ウヒルギとは「大いなる日の輪の霊力をもった(男性の)アマカミ」という意味となります。
天照大御神が太陽神(太陽の化身)と言われますが、それを表しているということですね。
「生まれながらにしてしゃべった」
というのには、賛否両論あると思いますが、アマテルカミ(天照大御神)が太陽神という由来は、ここからきているということですね。
祖父トヨケカミの八千回の願掛け、父母イサナギ・イサナミの千日による祈りが通じて、ここにアマテルカミ(天照大御神)は誕生しました。
生まれた「ウヒルキ」には、トヨケ大神より「ワカヒト」という齋名(いみな)を授かりました。
「・・ヒト」は、アメキミ(天君)を継ぐものという意味です。( ” ヒ ” は始まり・数字の一で、” ト ” は終わり・数字の十 であり、初めから終わりまですべてを示す言葉です。#ヒフミヨイムナヤコト。人(ひと)とは、この循環を生きる物ということです)
そして、アメキミに仕える重要な御子には、「・・ヒコ」「・・キネ」という齋名(いみな)が与えられます。
「ワカヒト」は、16歳の時からヒタカミの国でトヨケ大神より、「アメナルミチ」(今でいうところの帝王学)を学ぶ事になったのです。
「でも、ちょっと待ってください!」
あることに気づいた方は、こう思った方もいるかもしれません。
そう、天照大御神は女神だというのが一般的です。でも、アマテルカミは男神。なぜ?
実はホツマツタヱではアマテルカミ(天照大御神)は男性で、皇后(正宮)と12人の妃(側室)がいたことになっています。(「大祓詞」とそこに登場する「四柱の神」。古事記・日本書紀では語られない神とは!で記述しています)
そして、筑紫の宮の移った後生まれたのが 「ツキヨミ」です。 「ツキヨミ」もまたヒタカミの国でトヨケ大神より「アメナルミチ」を学ぶ事になったのでした。
さらに、汚穢や隈(おえやくま:わざわいの事)が降り注がないようにと親元から離され(葦船で流され)、カナサキ夫妻に育てられていた「ワカ姫」(ヒルコ姫)も立派に成長されもう安心だと云うことで、この筑紫の宮に呼び戻され、あらためて「ワカヒコ」様の妹として復籍することになりました。
次にイサナギ・イサナミの両神がソサの宮に移られた時に生まれたのが、三男の「ソサノヲ」(須佐之男命)でした。(ホツマツタヱでは、スサではなくソサノヲと書かれています)
この三男が困ったもので、常に荒々しく雄叫びを上げ民たちもほとほと困っていたのです。そこで、邪気を払い民を救うために クマノ宮を建てました。(今の熊野あたりです)
こうして、イサナギ・イサナミの両神は跡継ぎにも恵まれ(一姫三皇子)国創りは順調に進んでいったかのように見えますが、このくまの宮で大変なことが起きてしまいます。
それは、ソサノヲの悪事のせいでイサナミ様がお亡くなりになってしまいます。
ホツマツタヱが語る古代日本②イザナミの死( 神上がり ) とイザナギの禊(黄泉比良坂(よもつひらさか) での出来事。
次回以降順番に、この四柱の神と五つの宮については、おひとりずつ詳しくお話していきたいと思います。
ホツマツタヱが語る古代日本①イザナミが生んだ4柱の神と五つの宮。
カテゴリー:古史古伝から学ぶ、真・日本古代史!
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