日本語文は五七調が基本。 天地の理を表す「四十八の音魂」で成り立つ「アワのうた」、それは五元素と陰陽(あめ)の巡りからなる文字とフトマニの神たち、そしてソサノヲの暴挙が原因で神上がりしたイサナミ様の思い。
イサナギ・イサナミの国創りでうたわれた、大切なうた。
イサナギ・イサナミの国創りのしばらく後、高間殿(高天原)で諸臣(もろとみ:諸々の神)たちが会議を行っているときに、オオモノヌシ(大国主の息子)が 枕詞の由縁 について皆に問いました。
その時に、ワカ姫(ヒルコ姫)の夫であるアチヒコがその理由を語り始めました。
この頃、すでにワカ姫は両親(イサナギ・イサナミ)より歌の手ほどきを受け、その奥義を極めていたほど和歌の達人となっていたのです。
ホツマツタヱ 天の巻1 きつのなとほむしさるあや【東西の名と蝕虫去る文】
アチヒコの語り
第7代イサナギ・イサナミのお両神がオキツホノ宮で国創りをしていた頃、農業の普及や法の秩序を定め平和で豊かな国を創るため、それまで邦(クニ)毎に話す言葉がまちまちであったものを統一しようとした。
そこで、お両神は、五音七道(いねななみち:五七調言葉)のアワ歌を考案しました。
四十八音からなるこの歌は、上の二十四音をイサナキ様が、下の二十四音をイサナミ様がうたい連ねることで「音声の道」(ねこえのみち)が開かます、生まれた子どもたちがやがて言葉を発するようになるとこの歌をうたわせ、正しい発音と言葉を身に着けさせることで民たちの言葉もきれいに整っていったのです。
こうして、八洲の邦(やしまのくに:日本国)は、豊かな実りを得て安寧を取り戻していきました。
そして、「ナカ邦」(近畿から中国地方あたり)の名も、アワのうたに因んで「アワ州」(アワの国)と呼ばれるほどになっていきました。
イサナキ・イサナミのお両神がツクシ邦で治世を執っていた時、クニトコタチ様の象徴である「タチバナ」を植え、「オトタチハナのアワキ宮」と名付けられました。
そして、この時にお生まれになったのが、「モチキネ:つきよみ」でした。
そこから、ソアサ州に御幸された両神は、ソサの宮を建てクニの発展に注力するのです。 この時にソアサ州を治めていたのはサクナギの子イヨツヒコで、このイヨツヒコもまた、アワのうたを以て民を導いていたため後に「アワツヒコ」の称え名をお両神に許されています。
(ヲシテ四十八文字とその音節)
ヲシテ四十八文字は、渦から発生したと言われています。
その構成要素は、五元素である「ウツホ(空)」「カセ(風)」「ホ(火)」「ミツ(水)」「ハニ(土)」から成り、渦の中心から凝縮されたちからが柱のように立ち上り陰と陽の循環(陰陽:あめのめぐり)が起こるのです。
柱の周りの渦は、右回りと左回りがある。
右回りは、上の二十四音
左回りは、下の二十四音 を表します。
カタカムナウタヒも、左右反転する渦状で表現されていますね。
まるで、陰と陽の反転循環、ブラックホールとホワイトホールの様ですね。(個人的感想です。)
そしてこの文字は、表音文字であり、表意文字です。
表音文字は一つの音が一文字、表意文字は一文字が一つの意味を持つ文字の事です。
「あ」から「の」までが「天」(あめ)男を表しまた「陽」を指します。
「も」から「わ」までが「地」(つち)女を表しまた「陰」を表します。
(あわのうた)
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ
「陽」は右回りの渦、「陰」は左回りの渦となります。
「あ」(陽:天を表す)はウツホ・はじめ(非物質) から巡り、「わ」(陰:地を表す)ウツホ・終わり(物質)で一巡し元に帰りそれが繰り返される。
「ウツホ(空)」「カセ(風)」「ホ(火)」は 陽(天:男)を表し、
「ミツ(水)」「ハニ(土)」は 陰(地:女)を表します。
音は状態を表し状態が文字を形成し天の巡りをあらわしています、それがヲシテ文字です。
そしてこのヲシテ48文字は、フトマニに描かれる四十八柱の神の名でもあります。
ホツマツタヱに見る、フトマニ図をわかりやすく解説。フトマニと和歌。
和歌の歌詞(うたまくら)とイサナミの神上がり
古事記では、イサナキ・イサナミのお両神の神生みの最後に火の神を生んだ時に大火傷を負い、それがもとでお亡くなりになられたことになっていますが、ホツマツタヱでは若干様子が違ってきます。
ツクシの宮で「ツキヨミ」を産んだ後、ソサ州(そさくに)に移りそこで宮(ソサの宮)を建て国創りの励んでいた時のことです。(このあたりのことを、キシヰ邦(きしいくに)といいます。現在の紀州辺りだと言われています。)
葦船で流され重臣カナサキの夫妻に大切に育てられていたヒルコ姫も立派に成長し、もう心配はないとの判断により両神の元に呼び戻され一緒に過ごされています。
葦船で流され重臣カナサキの夫妻に大切に育てられていたヒルコ姫も立派に成長し、もう心配はないとの判断により両神の元に呼び戻され一緒に過ごされています。
名も、ワカヒコ(アマテル)に因んで、「ワカ姫:ワカヒルメ」を賜り、ワカ姫はイサナミ様より和歌の手ほどきを受け、のちにその奥義を極めるまでに成長していきます。
ここで、第四子となる「ハナキネ:ソサノヲ」が誕生します。
しかしハナキネは乱暴者でいつも荒れ狂い、重蒔(しきまき)をして稲をダメにしたため、イサナミ様は「これは我が穢れのせいである」として、クマの宮を建てて平和と安寧を祈願しました。
しかし、ハナキネはあろうことかこの宮に火を放ち山火事を起こしてしまいました。
この時イサナキ様はお出かけになっており留守でしたので、イサナミ様がたった一人で事にあたりました。
山火事を抑えるための迎え火として、火の神「カグツチ」を産んだが、その炎の勢いにまかれてしまいました。
それでも懸命に、今度は土の神「ハニヤス」と水の神「ミツハメ」を産んで何とか鎮火しようとしましたが、ここでとうとうお亡くなりになられてしまいました。
土の神「ハニヤス」と水の神「ミツハメ」からは、五穀豊穣の神「ウケミタマ:ウカノミタマ」が生まれています。
枕詞の成り立ち
こうしてイサナミ様は神上がりされ、そしてあの有名な黄泉平坂での夫婦喧嘩となります。
以下のページで、詳しく解説しています。(・・ので、ここでは割愛させていただきます。)
ホツマツタヱが語る古代日本②イザナミの死( 神上がり ) とイザナギの禊(黄泉比良坂よもつひらさか) での出来事。
イザナキ様は失意のうちに現生に戻られたのちに心新たに禊をしていったのです。
イサナミ様の思いを胸に「トの教え」を守りとおし、豊かなアワ国を創り上げました。
みそきにたみの ととのいて いやまととほる あしひきの
ちゐものおたの みつほなる まとのおしゑに かかんして
のんあわくには てんやまと ひきてあかるき あしはらの
うたもさとれよ まとみちの とほらぬまえの あしひきの
まくらことはは うたのたね
このような「導きのうた」を詔(みことのり)として国中に発布し、更に次のような「ヤマトの道」を説いたうたをうたいました。
この歌に込めた思いは、足引きの・・と、枕詞を入れることでその時(黄泉平坂での別れ)の心の有り様と新たなる決意を後の人々に伝え残そうとしたんですね。
和歌の道
導きのうた
みそきにたみの ととのいて いやまととほる あしひきの
ちゐものおたの みつほなる まとのおしゑに かかんして
のんあわくには てんやまと ひきてあかるき あしはらの
うたもさとれよ まとみちの とほらぬまえの あしひきの
まくらことはは うたのたね
こうして禊によって ”まとのおしゑ” (真のトの教え)つまり、クニトコタチの「トの教ゑ」を守り感謝し実践するために祝詞(うた)を奏上することで、アワクニは豊かなヤマトへと転じていったのです。
「ヤマトの道」
あしひきはやま ほのほのは (ほのぼのは夜明けの意)
あけぬはたまは よるのたね (夜が明けきらぬ薄暗い時)
しまつとりのう おきつとり
かもとふねなり (鴨船:筏や櫂の付いた船)
このみちお ぬばたまのよの
うたまくら さめてあかるき
まゑことは こころおあかす (まゑことは:枕詞)
うたのみち みそきのみちは
みおあかす やまとのみちの
おおいなるかな
闇からやがて明るくなるように、枕詞は心を明るく清浄にする和歌の如く・・これが「和歌の道」である。
禊の道は身を清らかにする、これこそが大いなる「ヤマトの道」である。
ひとこと
治世を執ることの重大さとその使命を全うする心の強さ有り様は、今の世の中にはもう通用しないのでしょうか。
それほどに、現在のヤマト国に住む私たちの心根は本来のヤマトの道を踏み外したものなんでしょうか。
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