言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと、言魂と書く場合もある。48種の音が持つ意味には魂が宿り現象化する。
世界に類を見ない ” 言語 ” ・・なぜそういわれるのか。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
言葉として発することが即ち実現する、言い表された詞華の霊妙は祖先伝来の言葉ひとつひとつに宿ると考えられていた。
そのため神道などでは、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意される。
今日にも残る冠婚葬祭などで使ってはいけない忌み言葉も、言霊の思想に基づくものだからです。
現在の日本語は3語の組み合わせで使われる。
- 和語
- 漢語(古い時期の中国語)
- カタカナ語(西洋の言語を言い表す)
このく3つの組み合わせを基本として使われていると言われています。
主に漢字を主体とし、ひらがなでそれを補い、西洋語の表記にはわかりやすく区別する意味でカタカナを使用したりします。
漢字は誰もがご存知の、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字で、一音節が一つの意味を表す。これを、日本語の発音に当てはめて使用するようになった。
単語としては、ほとんどの場合音読みとなるのはそのためだろう、文字単位で読むときは 訓読み(和語)が多い。
現在日本人は西洋由来の言葉を数多く使っている為、和語や漢語との区別の為にカタカナ表記が多いということですね。
以前よく言われましたが、日本人は西洋の物質文化に対するコンプレックスなのか、やたらと英単語をカタカナ言葉で使いたがる・・云々。 (余談です)
日本語がいずれかの語族だと判断するには、少なくとも以下のことが必要です
。
- 文法が似ていること
- 日常的な言葉が似ていること
- 発音が似ていること
しかし、いまだにそれらの基準を満たすだけの説得力のある根拠は見つかっておらず不明なので、とりあえず日本語は「孤立した言語」と呼ばれています。
日本語の起源については、学術論的な立場から多くの説が唱えられておりますがほぼそのすべてに共通するのは、いずれかの語族である外来語を起源として変化したものというのが共通認識のようです。
しかし、言霊 という概念を持った言語は、世界ではごく限られたものしかありません、ましてその文字のひとつひとつに ”神霊” が宿るとされるのは、梵字と日本語(48音)くらいのものでしょう。
梵字とは・・ ブラフマー神の文字であり、梵語(サンスクリット語で使われる文字)で ヴェーダ聖典やマハーバーラタを経典として書き記すときに使われた文字であり、神の言葉そのものを表したものです。
カタカムナ48音は神に通じる「音」
古史古伝と言われる竹内文書などに詳しい方ならご存知の事と思いますが、結論から言いますと 中国・中東・アフリカ・ヨーロッパの一部などつまりユーラシア大陸周辺の各文化圏の中では、おそらくもっとも古い文化を持っていたのが 古代日本でありそこで使われていたであろう文字の一つが(カタカムナ)なのだと考えています。
つまり、日本語は日本のオリジナルなのです。
カタカムナウタヒは、48音とそれに対応する記号、そして中心に配置されている八咫鏡(ヤタノカガミ:太陽系と宇宙)を使って世の理(ことわり)を謳い表すものです。
またカタカムナウタヒは、それを後世に伝えようとすることよりもむしろ当時の人々に対し、神理を教えるためのものだったように思います。
ヲシテ四十八文字 で表される、「アワのうた」も、四十八音で、陰と陽、天地(あめつち)の真理をうたったものです。
読みやすくわかりやすいように「五七調」で書かれています。
ホツマツタヱでは、アマテル大御神の妹神であるワカヒルメによって、三十一文字の短歌形式で「祓いうた」「呪いうた(まじないうた)」や「回りうた」 として、伝えられています。
これが後の 和歌や短歌などに形を変えて受け継がれていきました。
これは私見ではありますが、 上古代以前(縄文期以前、数万年前) ある大陸の大変動(その詳細は別記事で)後、 日本に移住(定住)したとされる古代日本人(多種混合民族:五色人・イヒロビト)と神人たちの間で使用されていた神代文字の一つがカタカムナ文字だと考えられます。
この段階では、世界には現在のような国境はなく一つに統一されており、高次元の神(その正体は別記事で・・)と、半神半人によって支配・管理されていました。(実際にこのような文字を日常使用していたのは、管理者と一部の人民のみであろう)
ここで言う 支配・管理 というのは、現代社会の認識でいう支配・管理などではなくもっと開かれた平等・平和的管理というものです。(誰もが幸せな国)
居住場所や時代・民族間の違いにより、カタカムナ文字以外にも、ヲシテ文字やトヨクニ文字・阿比留文字など他の多くに種類の文字も使われていた。
余談ですが・・・
古代日本人たちは、その統治が人間に任されるようになると やがて一部の人々は大陸へと広がり今の中国から中東・エジプトへと移動しながら、別の大陸変動によりユーラシア大陸へと移動入植していた現住民族と文化交流していった。
数千年をかけて、環境の違いやそれぞれ独自の統治者(人間)により統一支配されながら移動してゆくに従い、言葉も文化も全く違うものに変わってしまった。そして当然自分たちの独自の文字も生み出されたが、多くの共通点も残った。
多言語から、いくらかの日本語との共通点がみられるのもそのためだろう。
これら移民族たちは、最終的にバビロニア地域へと到達し定住し始めることになる。これがユダヤ人の祖であったり、シュメール人として古代シュメール文明を築くことになる。そこから先は、旧約聖書にも記録されている。
このころになると、元の 平等・平和的管理された統一国家という概念はすっかり形を変えた。
大陸民族独自の、富を独占する一部の権力者と被支配階級の人民や奴隷という階層社会へと変貌してしまった。そしてそのような民族気質により、異民族間の侵略や略奪、奴隷化や殺戮といった歴史が活発になっていく。
話を戻そう・・。
言霊とは、
日本語の発音のもととなっている48の音には、一語ずつちゃんと意味があるのです。
その一語ずつ意味を持った文字(音)を連ねることで、その内容を神に伝え実体として現象化させるものが言葉であり、潜象界と現象界のエネルギーの循環を促すものとなる。
つまり、言葉そのものがエネルギーを持っている。
単なる意思伝達の手段ではなく、言葉として発する音こそがすべてを現象化し生々流転の源となっていたのです。
故に、言葉には力があり心(魂)が込められ ” 作用し、結果 ” が生まれる。
これが、言霊であります。
『新約聖書』「ヨハネによる福音書」 より
「 初めに言(言葉)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
「創世記 1章 」
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた~・・・。
エネルギーそのものであることばが、「在るものそして成すもの」となり、それは元始の神であり「天御中主神」であるのです。
言葉(文字)の力とは
カタカムナ言霊伝道師の吉野信子氏が、著書の中でカタカムナ思念表を発表しておられます。(興味のある方は、調べてみてください)
その思念表によりますと、カタカムナの48音と記号には、それぞれの意味があります。48音、ひとつひとつ見てみよう。(思念表と記号)
- ア : 感覚 感じるもの 生命
- イ : 伝わる もの 陰 (陽に対するもの)
- ウ : 発生する 発現する 生まれ来る
- エ : うつる 移行する
- オ : 奥深くへと
- カ : ちから 作用
- キ : 気 エネルギー
- ク : 引きよる 集まる
- ケ : 放出 発振
- コ : 転換 転入・転出する
- サ : 遮る 差 隔たるもの
- シ : 神示し 現象するもの 死
- ス : 進む 方向性
- セ : 引き受ける
- ソ : 外 外れる
- タ : 分かれる 分岐
- チ : 凝縮する・した
- ツ : 粒子の集合 寄り集まる
- テ : 放射 放出 発信する
- ト : 統合 安定化
- ナ : 核 本質
- ニ : 圧力 在る
- ヌ : 貫く 突き通る
- ネ : 充足 満たす
- ノ : 時のながれ
- ハ : 引きあう 相互
- ヒ : 根源から出と入り循環
- フ : 増える 負の
- ヘ : 外縁
- ホ : 引き離す
- マ : 需要 受容する
- ミ : 実体 本体
- ム : 無限の広がり
- メ : 指し示す 思念
- モ : 漂う
- ヤ : 飽和 満ち溢れる
- ヰ : 存在する
- ユ : 湧き出る 噴出
- ヱ : 届く 到達
- ヨ : 新しい 陽( 陰に対するもの)
- ラ : 場(作用の)
- リ : 離れる 分離
- ル : 留まる 在る
- レ : 消失 滅
- ロ : 空間 間
- ワ : 調和 共振
- ヲ : 奥に出現 ~を以て
- ン : 強調
言葉には力があり魂(エネルギー)が込められ、時にはそれが自分自身へと跳ね返ってくるものです。
ですから、口汚い言葉で相手を必要以上に貶めたり、侮辱し叩きのめすような言葉は使ってはいけません。
そのような言葉による相手の反応を見て、それにより得られる満足感はただの幻想であり、負のスパイラルへと自分自身を落としていることに気が付きにくいものです。
それらはすべて、自分自身に向かって発せられた負のエネルギーなのです。
言葉とは、ただ単なるコミュニケーションツールなどではなく、魂へ直接作用するエネルギー(想念)であることを忘れてはいけません。
それゆえ ” 言霊 ” と言われているのです。
カテゴリー:古史古伝から学ぶ、真・日本古代史!
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