アマテル大御神のと素戔嗚の誓約で生まれたとされる三姉妹の女神(宗像三女神)、ホツマツタヱではアマテル大御神と北局の内侍(コマス姫ハヤコ)との間に生まれた三姉妹(タケコ・タキコ・タナコ)。三女神が、贖罪の旅に出なければならなかった理由とは。
全国に祀られている厳島神社、宗像神社、松尾神社の祭神。
海の神であるため神社境内の池の中に祀られることが多い宗像三女神は、一体どのような神なのでしょうか。
筑前地方の海人豪族である宗像氏らが奉齋する航海の守護神で、 多紀理毘売命、狭依毘売命、田寸津比売命)の三柱の女神であり、その名も複数あり大変にややこしいですね。
では、その出自につて考えてみます。
詳細は省きますが、使命を果たさないスサノヲはイザナギの命により根国へ行くことになりました。
スサノヲが天照大御神に会うため高天原に登ることにした。(スサノヲが走れば国土・山河が揺れ動いた、 泣げば青山は枯山と化し、海河をことごとく泣き乾した)という大変荒々しい性格をもっている。
高天原に登るときも大地が鳴り響き、天照大御神はスサノヲが高天原に攻めてきたと思い臨戦態勢を以てこれを迎えます。
根国へ行く前にその報告に来たスサノヲは、悪意の無い事を示すため自分の持つ十握剣(トツカノツルギ)と 天照大御神の首にかかったの勾玉(まがたま)を使って、 互いに誓約(うけい)をかわし、スサノヲの剣からは三女(タキリヒメ・サヨリヒメ・タキツヒメの三柱)を、 天照大御神勾玉からは五男(オシホミ三・アメノホヒ・アマツヒコネ・イツキヒコネ・クマノクスヒの五柱、『日本書紀』の一書では熯速日神:ニギハヤヒを加えた六柱)を生んだとされています。
これらの話は記紀(古事記・日本書紀)に書かれた内容であって、ホツマツタヱとは若干内容が違っています。
第73世武内宿禰(竹内睦奏氏)の語りでは、記紀にあるこの誓約はスサノヲの出雲族と天照大御神の日向族(後のヤマト族)の戦いを治めるための政略結婚であったと語っていました。
ただし、竹内睦奏氏も暗に(具体的にそうであるとは言っていないが)アマテルが男神であることは講演の内容や著作などで匂わせてているため、誰と誰が親子関係にあるのかは明確ではないように見える。
ホツマツタヱによる、「4柱の神」とアマテル大御神の13人の皇女
しかし、ホツマツタヱにはこれらの関係性が明確に描かれています。
イサナギ・イザナミが生んだ御子は、姫一人と皇子三人の四人(一人は流産:ヒヨルコ)
最初に、ヒルコ姫(ワカヒルメ)天の節目:厄年生まれの為、葦船で流されたが、カナサキ夫妻によって育てられる。
二番目がアマテル(齋名:ワカヒト)、トヨケ神にアメナルミチを教育され、後の大日霊貴で天君アマテル大御神。
三番目がツキヨミ、アマテル同様アメナルミチを教育され、アマテル君の補佐役を務める。
4番目がソサノヲ(ホツマツタヱでは、スではなくソサノヲと書かれる)、アマテルの妃モチコ・ハヤコと結託し、反乱を企てる。
アマテルの側室(正后セオリツヒメと12人の妃)
天君となったワカヒトは、北局の典(すけ)マス姫モチコとの間にアメノホヒ(タナヒト)を儲け、北局の内侍(うちめ)コマス姫ハヤコとの間に三女(後の宗像三女神)を設けた・・となっています。
このモチコとハヤコが、セオリツヒメに対する嫉妬と妬みによって中央政権に対し反乱を企てます。この時、この二人と不義を犯していたソサノヲもそれに加担することになったのでした。
それが、以降国中を揺るがす「ハタレの動乱」となったのでした。
結果、モチコ・ハヤコは側室の座を追われ根国(ねくに)に追い返された後オロチとなってひたすらセオリツヒメに恨みを抱いて生きてゆくのでした。
第73世武内宿禰(竹内睦奏氏)の語りで、記紀にあるこの誓約はスサノヲの出雲族と天照大御神の日向族(後のヤマト族)の戦いを治めるための政略結婚であったと前述しました。
ホツマツタヱによる「ねくに(根国」)とは、西日本から東北(現在の島根から新潟)辺りまでの日本海側広範囲に渡っており、所謂出雲族の治める地方の国つまり出雲の国と同じだと考えられます。
クラキネ(根国を治めていた)の娘である モチコ・ハヤコですから、日向のアマテルと出雲のモチコ・ハヤコ(側室)という構図となります。
神話での誓約のシーンは、あくまでも日向族と出雲族の争いを書き換えた物語であることがわかります。(ワカヒト(天照大御神)とハヤコの正式な床酒の儀式)
三女神は宗像大社の奥津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られているが、鎮座する神々に関しては異説もある。
『古事記』では、多紀理毘売命(奥津宮)、市寸島比売命(中津宮)、多岐都比売命(辺津宮)。
『日本書紀』本文では、田心姫・瑞津姫・市杵島姫の順に生まれ、 現在の宗像大社では、田心姫神(奥津宮)、湍津姫神(中津宮)、市杵嶋姫神(辺津宮)と各所に祀っている。 これは『古事記』とは中津宮祭神と辺津宮祭神が逆になっている。
また『日本書紀』一書では、市杵島姫命が遠瀛(沖津宮)・田心姫命が中瀛(中津宮)・湍津姫命が海辺(辺津宮)に坐すとあり、 『古事記』とは沖津宮祭神と辺津宮祭神が逆になっている。
『日本書紀』別の一書では、宗像三女神は宇佐に降臨したとあり、 宇佐神宮祭神の一柱の比売神とする説や、本来の宇佐神宮の三柱の神とする説もある。
『日本書紀』によると、天照大神が、三女神を筑紫の国に降らせ、 「汝三神は宜しく道中に降居まして、天孫を助け奉りて天孫に所祭られよ」とあり、 道主貴とも称される。これは筑紫の水沼君らが祀る神という。
●古事記
天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命(奥津島比売命)、多岐都比売命、市寸島比売命(狭依毘売命)
●日本書紀
天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心姫、湍津姫、市杵嶋姫
●ホツマツタヱ
オシヒト(オシホミミ)、セオリツ姫ホノコの子タナキネ(アメノホヒ)、モチコの子タダキネ(アマツヒコネ)、アキコの子バラキネ(イキツヒコネ)、ミチコの子ヌカタダ(クマノクスヒ)、タケコ(オキツシマ姫)、タキコ(エツノシマ姫)、タナコ(イチキシマ姫)
宗像三女神の母は、十二妃の一人・北局の内侍コマス姫ハヤコ
タキコ、タケコ、タナコの三ツ子を身籠るキッカケとなった、ワカヒト(天照大御神)とハヤコの正式な床酒の儀式(子作りの儀式)をおこなったその夜、ワカヒトは夢を見る。
十柄(トツカ)の剣が三段に折れ、その折れた剣を噛み砕くと、「三タ(みた)」になった…という不思議な夢だった。
※アマテラスとスサノオの誓約シーンは、この夢のエピソードが元になっているようである。
「タ」には、「民」「貴い」「咫」の意味があり、夢のお告げの後にハヤコが産んだ三ツ子に、「タ」から始まるイミ名を名付けたのだそうな。
これは、「三つに分かれたものは、元はひとつ」という暗号化だと考えると、後に三女神全てが弁財天にされた根拠のひとつとなりえるでしょう。
でなければ、三女神は全て別々の仏と習合されていてもおかしくはない。
似たような神格と仏格を合わせなければ、民衆には理解することも受け入れることも出来ないのではないのか。
タケコ(オキツシマ姫)は「琵琶湖の竹生島」、
タキコ(エツノシマ姫)は「江ノ島」、
タナコ(イツクシマ姫)は「厳島(宮島)」と
それぞれ神名に関連する島に祀られていることは、説得力がある反面、後付けもしやすいなあ…と感じかたもいるかもしれません。
三女神は慈愛の女神、「いたわりを知る神」を意味する『イトウの神』と呼ばれ、後に大分県にも祀られることとなる。
現在の『宇佐神宮』に祀られる『比賣(ヒメ)大神』のことだとされております。
また、「イトウ」は後に訛化し、「ウトウ」になったという。
青森県青森市に鎮座する『善知鳥(ウトウ)神社』の祭神もまた『宗像三女神』である。
母ハヤコの罪を背負い贖罪の旅に出た三姉妹は、旅の中で「イトウ」を体得されました。
「イトウ」とは、善知鳥のことで、善知鳥 ”と書いて「うとう」とも読むが、善智鳥(よしちどり)・悪智鳥(あしちどり)の話の由来もあり、どのような使い分けがされているのかはよくは分かりません。事の善悪を深く知る一つの悟りのようなものでしょうか。
ホツマツタエ御機ノ二十八 にこのような記述があります。
いつくしまみや いとうかみ よきおしるなそ おろちなる
はちにみつから さすらひて いとうおしれは おおなむち
ひひめおめとる このしまつ みつひめまつる そとかはま
いとうやすかた
贖罪の旅にでて、善を深く知り神上がりされたのちは、善を知る神:イトウ神として祀られています。
ホツマツタエの三女神タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三つ子の姫。
アマテルが床酒にハヤコを召してとついだ夜、十握の剣が三つに折れるが、寄り集まって一つにまとまるという夢を見る。その後ハヤコが三つ子の姫を生んだので、三女の斎名の頭にそれぞれ「タ」の字を付けたという。
ソサノヲとモチコ・ハヤコの不倫に気づいた内宮(正后)セオリツ姫によって、モチコ・ハヤコと共にウサ宮のアカツチに預けられるが、モチコ・ハヤコは(根国)逃亡したため、セオリツ姫によって派遣されたトヨヒメ姫アヤコによって養育される。その後は自らの意志でしばらく流離ったと記されている。
長女:オキツシマ姫タケコ
奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)
別名
多紀理毘売命:たぎりひめのみこと
田霧姫命:たきりびめのみこと
田心姫命:たこりびめのみこと
奥津島比売命は、沖の島に坐すという意味。別名の多紀理毘売命は航海の障害となる海上の霧。
『古事記』には、奥津宮に坐す多紀理比売命は大国主命と結婚して、 阿遅鋤高日子根神(アヂシキタカヒコネ)と妹神高比売命:別名が下光比売命(シタテルヒメノミコト)の二神を生んだと書かれている。 この神婚御子を生む話は、宗像三女神を奉ずる海人系の氏族と、出雲系の氏族との通婚、融和が盛んだった証査らしい。
はちにみつから さすらひて いとうおしれは
おおなむち ひひめおめとる
この記述から、長女たけこ(多紀理姫)は 「イトウ」を体得したことで「オオナムチ」に見初められ結婚したのです。
オオナムチの妻となった後は、出雲の国譲りで、現在の津軽に転封されたオオナムチとともにこの地に根を下ろし、宮を建て暮らしていました。
タカノ宮(多賀宮)のオオモノヌシの館にて神上り(お亡くなりになる)し、オウミのススキ島に葬られ、タケフ神として祀られました。
タケコが懺悔の旅をしているときの話です。ある日、タケコがことを弾いていると霰が降ってきました、その霰がススキの葉に当たりその音と事の音色が共鳴し絶妙な音を奏でました。
早速ススキに葉を弦に改良した琴を作りその名を「イスキ打ち」となずけました。そこえ、ススキ島の名も湖に名も「イスキ:現在の琵琶湖」といわれるようになりました。
オオナムチ(大国主命)= オキツシマ姫タケコ
1子:アジスキタカヒコネ、2子:タカコ(タカテル姫)
3子:クシヒコ、 4子:シマツウシ
5子:タケミナカタ は、タケコの子ではないようで、母親不明
次女:エツノシマ姫タキコ
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
別名
田寸津比売命:たぎつひめのみこと
湍津姫命:たぎつひめのみこと
高津姫神:たかつひめのかみ
タギツ姫 (湍津姫・多岐都比売命)。
ハヤコの生んだ三つ姫の二番目。 ヱツノシマ姫、サカムエノシマ姫(相模江ノ島姫)、
江ノ島神。
タキコの贈り名=ヱツノシマ姫
カクヤマツミの妻となり、カコヤマを産んだ。サカム邦のヱノ島の神として祀られた。
第4代オオヤマスミ(カコヤマ)= 妻:ヱツノシマヒメ・タキコ として迎えられる。
そして、幸せに暮らし6人の子をもうける。
1子:カコヤマ、2子イワナガ姫、3子カクヤマ
4子コノハナサクヤ姫、5子カンタマ、6子マウラ
後に、イワナガ姫とコノハナサクヤ姫はニニギノミコトに妻として召されるが、器量がよくないとしてイワナガ姫だけがが返されてしまう。
これにより父オオヤマスミの怒りを買い、端存続の血筋はこれ以降寿命が人間並みに短くなったとされています。
イワナガ姫自身も妹コノハナサクヤ姫に深く嫉妬し、とうとう「ウトウ」という鳥になってしまったとされています。(このイワナガ姫は、ハヤコの生まれ変わり)
三女:イチキシマ姫タナコ
市寸島比売命は、神霊を斎き祀る島の神。別名の狭依毘売命は神霊の依りつく姫。
狭依毘売命:さよりびめのみこと
瀛津嶋姫命:おきつしまひめのみこと
市杵島姫命:いちきしまひめのみこと
市岐嶋毘賣命:いちきしまひめのみこと
中津島姫命:なかつしまひめのみこと
市杵島姫は民間信仰をふまえて仏神の弁才天と結びつき、本地垂迹をとり同神となっている。
ハヤコの生んだ三つ姫の三番目。 イチキシマ姫(市杵嶋姫命)又はイツクシマ姫(厳島姫)。
イフキトヌシの妻。
イフキトヌシ(気吹戸主:大祓詞四神のひとり)の妻と成り、イフキト宮に入った。
イヨツヒコ、トサツヒコ、ウサツヒコの三人を産む。
気吹戸主神は、罪・ 穢れ けがれ を祓い去る神であり日本神話に登場する。大祓詞にも登場し、速秋津比売神(ハヤアキツヒメ神)によって大海原へと流された罪・穢れを、強風を生み出し渦と共にネの国へと吹き払う神とされる。
イヨツヒコ、トサツヒコはそれぞれ伊予の国、土佐の国へ行ったものと思われます。
三男のウサツヒコは、母タナコと一緒にタケヒトの御供で筑紫の宇佐(ツクシ邦のウサ宮)で暮らし神上がりされました。イツクシマ宮イトウ神(善知鳥神)として祀られました。
また、長女タケコの末息子「シマツウシ」によって、母タケコをはじめとする三姉妹は津軽のソトカ浜にて「イトウヤスカタ神」として祀られた。(現在の外ヶ浜の少し南に善知鳥(いとう)神社があります。)
この三女神は、天津神直系の国津神としてそして航海安全・交通安全の神様として日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神、要として海北道中の島々(沖津宮・沖ノ島、中津宮・筑前大島、辺津宮・宗像田島)に祀られ、大和朝廷によって古くから重視された神々。 遣隋使や遣唐使もこの島を目印として渡海した。
とされています。
ひとこと
記紀だけを見て古代日本を知ろうとすると、大きな矛盾だらけでそれゆえただの神話として片づけられてしまいがちですが、ホツマツタヱを同時に読んでいくことで記紀(古事記・日本書紀)に書かれていることの本当の意味を説くことができるのではないでしょうか。
しかし、不思議なのは多くの人たちによって研究解明されつつあるこれらの古文書を認めようとしない現在の日本は、一体何を求めているのでしょうか。
先入観を捨て徹底的に考証することこそが、歴史研究者・学者の職分だと思うのですが・・・。
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