妙見信仰と十七条憲法 (聖徳太子の描くヤマトの国とは何か。)

仏教は人々に何を与えるのか。

現代日本にとって、今こそ必要な十七条憲法

「琳聖太子」に纏わる伝説

妙見信仰の伝来と「琳聖太子(りんしょうたいし)」

西暦597年(推古5年)、日本に渡来した、百済[くだら]国第26代聖明王[せいめいおう]の第3王子と言われ、大内おおうち]氏の先祖伝説では、夢のお告げにより佐波郡多々良浜に着いた後、聖徳太子に会い、大内の地を領地としてもらい受け、多々良[たたら]という姓をもらったということです。

 鉄製錬技術をはじめ、政治と宗教の基盤となる妙見信仰の「和の心」や「北斗七星の剣」を伝えたと伝えられています。

北辰降臨伝説

山口県下松市などには、琳聖太子が来朝する前に「北極星(妙見)が、鷲頭庄青柳浦(わしずのしょうあおやなぎのうら)の松の木に降り立ち、七日七夜光り輝き、「百済(くだら)の皇子がやがて来朝する」というお告げがあり、3年の後、百済の琳聖太子の来訪を予言した」という北辰の降臨伝説が残されています。 人々は社を建て、この星を祭ったのが金輪神社で、青柳浦の呼び名も「降松」と改め、その後「下松」と書くようになりました。

百済の王子とされる琳聖太子は、日本に「妙見信仰(北極星・北斗七星の信仰)」を伝来させた人物として日本の社寺縁起に語り継がれています。 聖徳太子に妙見の教えや北斗七星の剣を伝えたとされ、その後大内氏の氏神や軍神として、さらには地域の星空信仰として日本各地に根づきました。

妙見信仰(みょうけんしんこう)と たたら製鉄

妙見信仰とたたら(たたら製鉄)は、古代から中世にかけての「鉱物・産鉄民」を通じて非常に深い結びつきを持っています。 

北極星や北斗七星を神格化した妙見菩薩は、一見すると宇宙や星の神ですが、歴史的には「技術集団(産鉄・鍛冶集団)の守護神」として「日本各地の鉄の生産地」に祀られてきました。その主な繋がりと理由は以下の3つの理由あるとされます。 

1. 「星が降って鉄(鉱物)になる」という古代の信仰

古代の人々は、天に輝く星と、地中から採れる金属(鉱物)を関連付けて考えていました。

・隕鉄(いんてつ)の記憶

天から降ってきた星(隕石)には鉄が含まれていることがあり(隕鉄)、これが「星=鉄の根源」という信仰を生みました。

・星の成長

「空の星が地上に降り、地の中で育ったものが鉱物(鉄など)になる」という世界観から、星の最高位である北極星(妙見)が、鉱山師やたたら職人に強く信仰されました。

2. 渡来系技術集団と「多々良(たたら)」氏

・渡来人によって日本に伝えられた妙見信仰。 

山口県を中心に栄えた大内氏は、百済の聖明王の子孫「琳聖太子(多々良家 初代)」を祖と称し、一族で熱心に妙見信仰を布教・崇拝した。 

・多々良家の「多々良(たたら)」という名は製鉄の足踏み鞴(ふいご)や製鉄そのものを指す言葉です。彼らのような高度な産鉄・冶金技術を持った渡来系集団が、自分たちの守護神として妙見菩薩を日本各地に定着させていきました。

3. 地名や神社に見る「妙見=鉱山」の証拠

日本全国に存在する「妙見山」や「妙見社」がある場所を調べてみると、その多くがかつての鉱山、または砂鉄や銅の産出地であり、鍛冶集団の拠点と一致します。

星のまち交野

 大阪府交野市の星田妙見宮には、弘法大師の秘法により空から3つの星(隕石)が降ってきたという「降星伝説」が伝えられています。この周辺一帯からは古代の鍛冶工房跡や鉄滓(てっさい:鉄を精錬した際に出るカス)が多数発見されており、星の信仰と鉄の精錬を結びつけています。 

大阪府能勢町の能勢妙見山は、関西を代表する妙見霊場ですが、この能勢地方も古くから銅や銀などの鉱山(多田銀銅山など)に近く、地下資源や金属技術と地縁の深い場所です。 

たたら製鉄の神様といえば島根県の「金屋子神(かなやごかみ)」が有名ですが、それ以前の古代の産鉄民や、山を渡り歩いた鉱物採掘集団にとっては、「夜空で唯一動かず、進むべき方角(鉱脈や土地)を教えてくれる北極星(妙見)」こそが、暗闇のなかで命がけの作業を行う彼らの心の拠り所だったと言えます。 

武家社会と馴染んだ妙見信仰

琳聖太子を祖と仰ぐ周防国(現在の山口県)の戦国大名・大内氏は、自身の氏神として妙見菩薩を熱心に信仰しました。 北辰(北極星)が天の中心で動かないことから、武士たちは「戦で的を射る」「方位を示す」守護神として厚く崇敬し、この大内氏の勢力拡大や文化の伝播に伴い、妙見信仰は西日本から全国の武士や民衆の間へと深く浸透していった歴史があります。

妙見信仰の根底にある星の神格化や宇宙観は、時代を超えて現代でも交通安全や開運厄除けの信仰として各地に語り継がれています。

琳聖太子ゆかりの妙見信仰スポット

  • 星田妙見宮(大阪府交野市)
    交野市の星田(かたのしほしだ)は、琳聖太子が聖徳太子に会うために難波(大阪)へ向かう途中に立ち寄ったとされる地域です。また、空海がこの地を訪れた際に北斗七星が降臨したという伝説もあり、妙見信仰の聖地として広く知られています。 星田妙見宮公式サイト
  • 妙見宮鷲頭寺・降松神社(山口県下松市)
    琳聖太子が日本に到着して最初に逗留した場所とされ、大内氏のルーツとして妙見信仰発祥の地の一つに数えられています。大内氏はその後、妙見信仰を厚く庇護しました。
  • 八代神社(熊本県八代市)
    「日本三大妙見」の一つに数えられる神社で、こちらでも琳聖太子が亀蛇(きだ)に乗って渡来し、北辰尊星(妙見菩薩)の精霊であるという伝承が伝わっています。

「亀蛇(きだ / がめ)」は、亀と蛇が合体がした想像上の生き物で、北方を守護する神獣「玄武」の姿として知られています。古来より亀は「不老長寿」、蛇は「生殖と生命力」の象徴とされてきました。熊本県八代市の「八代妙見祭」では、「ガメ」の愛称で親しまれる巨大な亀蛇の練り歩き(無形民俗文化財)が有名です。

四神獣(方角を守護する聖獣)

·  玄武(げんぶ):最強最古とされる。

方位・季節: 北 / 冬  特徴は 蛇と亀が絡み合った姿をしています。長寿と大いなる知恵の象徴であり、最強の防御力と絶対的な力を持つとされます。 

·  青龍(せいりゅう)

方位・季節: 東 / 春  特徴は、 鋭い爪と長い体を持つ青い龍。成功や富、立身出世をもたらすとされる、非常に攻撃的でカリスマ性のある神です。

·  朱雀(すざく)

方位・季節: 南 / 夏   特徴は 美しい火の鳥(鳳凰のイメージ)。災厄を焼き払い、幸福と家内安全をもたらすとされる華やかな神です。 

·  白虎(びゃっこ)

方位・季節: 西 / 秋  特徴は 鋭い牙と強靭な肉体を持つ白い虎。邪気を払うだけでなく、金運や商売繁盛の力に優れています。

 

北辰妙見信仰は、北極星や北斗七星を神格化した星辰(せいしん)信仰です。

北極星が天体の中で不動の中心におられる宇宙の根源の大霊として「北極星(=北辰星)」を高貴な星として崇め、北極星とそれを補佐し万物に恵みを与える北斗七星を神格化し、妙見菩薩、天之御中主神、そして纏わる七十二の諸神を鎮宅霊符神とした信仰です。

「妙見」とは「優れた視力」を意味し、善悪や真理を見通す力を持つとされます。時代や宗派により、仏教の「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」古神道の「天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」、道教の「北辰(ほくしん)」など、多様な姿や名前で信仰されてきました。

天之御中主神(アメノミナカヌシ)は、日本神話の最初に現れる天地創造の神(造化三神のうちのひと柱)であり、北極星や北斗七星を神格化した「妙見様(妙見菩薩)」と同一視される宇宙の根源神です。方位守護や開運のご利益で知られています。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、特に日蓮宗の寺院で守護神として祀られることが多いです

道教における「北辰(ほくしん)」とは、北極星(北斗七星の柄の先から見つけることができる星)を神格化したものです。天空で常に不動の「天の中心」に位置し、すべての星々の王、そして宇宙の秩序や人間の運命を司る絶対的な最高神として信仰されました。

道教における北辰信仰の特徴は、動かない北極星は「太一神(たいいつしん)」や「天皇大帝」「北極紫微大帝(ほっきょくしびだいてい)」などの名で呼ばれ、最高神である玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)の命を受け、自然界や星々を統括する存在と位置づけられています。 修行によって肉体を超越した「仙人」になることを理想とし、天地万物すべてに神が宿ると考え、非常に多くの神々を信仰した神仙思想と不老長寿そして多神教の世界観をもった古代中国の道教は、仏教が「執着を離れて悟りを開く」ことを目指すのに対し、「自然の流れに逆らわず、心身の調和と現世での幸福・長寿を追求する」傾向があり、陰陽道における「鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)」の要素にも取り入れられるなど日本の陰陽道へと通じていると思われます。

 

(太上神仙鎮宅霊符 ) 大阪府交野市星田の妙見宮で拝受できます。

 

大阪府能勢町と兵庫県川西市の境界にある「妙見山(能勢妙見山)」は、主に日蓮宗に関係しています

境内には鳥居が建てられており、神仏習合の面影を残しているのが特徴です。

妙見菩薩の来迎が描かれた江戸時代の絵図。妙見菩薩の右上に北斗七星、右下には赤い衣を纏った聖徳太子が描かれています

妙見信仰伝来と聖徳太子の十七条憲法

大阪の星田妙見宮には、妙見信仰がどのようにして日本に伝わったのか、そして十七条憲法が制定されるまでの経緯が物語形式で分かり易く描かれています。 以下はその物語をまとめたものです。

我が国の推古三年に百済国の聖明王の第三子 琳聖太子(りんしょうたいし)は夢の中で、「東海の国(日本)観世音菩薩の化身たる皇子、聖徳太子あり。王法を改め国家を治めとする。吾が即ち北辰なり。」というお告げを受ける。琳聖太子はこのお告げによりわが国に渡る。

 同じ年、日本では大きな星が降臨し、その場所で「私は北辰である。今から三年後に、百済国の聖明王の第三子が来る」というお告げがあったといいます。そして、推古五年に琳聖太子が実際に日本に到着しました。この際、彼は北斗七星の剣と共に、憲法十七条を制定するための基礎となる「妙見信仰の和の心」や「太上神仙鎮宅七十二霊符」を日本にもたらしたのです。

推古五年 琳聖太子はわが国に渡られ、この時、北斗七星剣とともに、憲法十七条制定の過程の基となる妙見信仰の和の心と、「太上神仙鎮宅七十二霊符」を伝来されたという。

琳聖太子は聖徳太子とお会いするために秦河勝の案内のもと、難波にのぼられ、難波の生玉(いくたま)の宮にお入りになり、そこを居宅とし、推古五年四月 聖徳太子と会見され、聖徳太子がなされようとする日本の政治・宗教の基礎固めのお仕事に助言をなされる。 ( さらに、琳聖太子は日本で初めて「北辰星供」という儀式を盛大に行いました。その後、延暦四年(785年)には桓武天皇が交野が原(現在の交野市)に郊祀壇を設け、北神祭祀による日本初の天神の祀りが行われたとされています。)

そして、聖徳太子が制定したとされる十七条憲法には、琳聖太子から伝えられた妙見信仰の「調和の心」が生かされているといいます。妙見信仰の教えは、まさに森羅万象の調和を大切にする心を示しているのです。

そんな聖徳太子はなぜ仏教を進めたのか

聖徳太子が仏教を進めたのは、豪族同士の激しい権力争いをなくし、天皇を中心にまとまった強い国(中央集権国家)を作るためでした。

聖徳太子は仏教を宗教として捉えていましたが、仏教の説く真理を自身が深く追究し政治的、文化的に日本に取り入れることで、個人の利益よりも仏教の教えである「和(思いやりと秩序)」の精神を重視し、国をまとめる道徳的・思想的な基盤として活用しました。 また、当時の大国である中国(隋)に対抗できる、中央集権的な国家体制を整える狙いもあったものと考えます。 

その具体的な理由と背景は以下のとおりです。

豪族の対立をまとめる精神的支柱

  • 当時は豪族たちが権力争いを繰り広げており、血縁関係にとらわれない共通の価値観が必要でした。太子は「和をもって貴しとなす」と説いた『十七条憲法』の中で仏教を深く推奨し、人々が争わずに秩序を守るための道徳的規範として教えを取り入れました。

当時仏教は単なる宗教ではなく、当時の中国(隋)などにおける最先端の学問や法制度、技術(建築や医療など)を集積でした。

太子は新しい国づくりを進めるために、これらの先進的な思想や技術を積極的に取り入れたかったのでしょう。 当時巨大な帝国であった隋は、自国の権威を示すために儒教や道教を利用していました。聖徳太子は、それらよりもさらに高次の普遍的な教えである「仏法」を国政の中心に据えることで、日本も隋と対等な独立国であるという強い自負と外交的な意図を示したかったのでしょう。 太子自身も深く仏教に帰依しており、自ら 『法華経』 などの注釈書を書き、『四天王寺』などの寺院を建立して仏教を保護・普及させ、日本の国力の底上げをしようと考えました。

それまで豪族の家柄(血筋)で決まっていた役人の位を、個人の能力や功績に応じて定める制度を作りました。有能な人材を広く登用し、天皇に仕える優秀な官僚組織の基礎を築こうとしました。( 冠位十二階

このように、太子は「政治的な安定」「国の発展」を目指して、仏教を国の中心的理念として位置づけたのでした。

自然とともに生き、すべてのものに宿るとした「八百万の神々」への信仰も尊重し、「神か仏か」という対立ではなく、日本の伝統を大切にしながら仏教を国家運営に生かすという姿勢だったと考えられています。これは、現在にも通じる日本の宗教文化の大きな特徴となり、その後何世紀にもわたって受け継がれていきました。

聖徳太子は、日本古来の神道と仏教の位置づけをどのようにとらえていたのか

聖徳太子は神道を、仏教や儒教と対立するものではなく、「日本古来の自然や祖先を尊ぶ道徳的な根幹」として捉えていました。

彼は、神道を国の道徳や秩序の基盤とし、その上に外来の仏教や儒教の思想を調和・統合させることで、新しい国家づくりを目指したのではないでしょうか。 これらの考え方は、彼の事績や思想に明確に表れています。

神道及び仏教の尊重

太子が定めた「十七条憲法」の第二条では仏教を讃えていますが、同時に神道における「天」や「地の神々(八百万の神)」を敬う精神が根底にありました。 太子にとって神道は、日本人が古来から大切にしてきた道徳的規範そのものでした。

太子は「和をもって貴しとなし」の精神に基づき、異なるものを排除せず融合させることを重視しましたが、仏教を新しい社会の理想や統治の理念(法)として積極的に導入しつつも、天皇の権威の源である神道の伝統(神)と融合させる「神仏習合(神仏和合)」の基礎を築きました。

このように、太子は「神道は日本という国の精神的土壌」とみなし、そこに外来思想を取り入れて国政を安定させる「三教一致神道・儒教・仏教の調和)」の思想を持っていたと考えられています。

仏教は国家を支える教え

聖徳太子は十七条憲法の第二条には、

「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」

と書かれています。

これは「仏教を大切にし、法を実践する僧を敬いなさい」という意味ですが、その理由は、仏教の教えが人々の心を正し、争いを減らし、国家を安定させる力があると考えたからです。

当時の日本では豪族同士の争いが絶えず、聖徳太子は、仏教の慈悲や道徳が国全体の秩序を支えると考えました。

当時はまだ「神道」という体系化された宗教ではなく、祖先や自然の神々を祀る伝統的な信仰、いわゆる自然信仰(アニミズム)としてありました。 聖徳太子はそういった考え習慣を排除せず、仏教と共に存在するものとして受け入れていました。 つまり、

  • 神々は日本の国土や祖先を守る存在(八百万の神々)
  • 仏教は人の心と生き方を磨き、国家を治めるための教え

というように、それぞれ役割が異なると考えていたのでしょう。

神儒仏習合の祖

太子は神道、仏教、儒教を対立するものと捉えず、一体のものとして深く理解し、宗教哲学者の間では「神儒仏習合思想の創始者」とも評されています。 のちの平安時代以降本格的な「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」が唱えられるようになりました。これは、日本の神々は「人々を救うために仏が姿を変えて現れたもの(権現)」であるとする考え方です。

この思想により、神社の中にお寺(神宮寺)が建てられ、神と仏が一体として信仰される時代が長く続きました。

聖徳太子が示したこれら「寛容性と統合の精神」は、明治期の神仏分離令の後も日本人が自然に神と仏を同時に敬う独自の「神仏習合の文化・意識」へと受け継がれていったものだと考えられます。

混迷の現代日本にとって、今こそ注目すべきは、「 十七条憲法 」

十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)は、604年に聖徳太子が制定した日本で最初の成文法です。役人や貴族が守るべき道徳や行動規範をまとめたもので、「和(話し合いと協調)の精神」を大切にすることや、一般民衆のための執政を行い更に仏法を理解し実践するよう説いています。

神代の時代においては、天君(あまきみ)にとって、民衆とは「大御宝(おおみたから)」であり、臣(とみ、おみ:施政を行う者)は、その使命に心を尽くさねばならない…とされていました。

 

神仏分離令を出した明治政府の目的

神仏分離令を出した明治政府の目的は、欧米列強と並ぶ新しい国家をつくるために、神道を国家の中心に据えることでした。

主な目的は次のとおりです。

  1. 天皇を中心とする国家を築くため
    • 明治政府は、天皇を国家統一の象徴と位置づけました。
    • 神道は天皇の祖先神である天照大神を祀る信仰であるため、神道を国家の基盤とすることで、国民の結束を図ろうとしました。
  2. 神道と仏教を分けるため
    • 江戸時代まで約千年にわたり、神社と寺院は一体となっていることが多く、これを「神仏習合」といいます。 明治政府は神社を純粋な神道の施設とし、寺院とは切り離そうとしました。
  3. 近代国家をつくるため
    • 欧米列強に対抗できる近代国家を目指し、国家を支える精神的な柱として神道を利用しました。
    • これ以降、「国家神道」と呼ばれる体制へ発展していきます。

神仏分離令と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

神仏分離令そのものは、決して「仏教を破壊しなさい」という命令ではありませんでしたが、各地ではこれをきっかけに「廃仏毀釈」が起こりました。 廃仏毀釈とは、

  • 寺院の破壊
  • 仏像や経典の損壊や焼却
  • 僧侶への還俗(僧をやめさせること)

などが各地で行われました。

これは地域の反仏教感情と政治的事情などが重なって起きたものですが、明治政府が直接そのようなことを命じたものではありませんが、神仏分離令がその引き金になったことは確かでしょう。

現在では、神仏分離令は近代国家建設の一環や各々独立した宗教として理解されていますが、日本古来長く続いてきた神仏習合の意義・文化に大きな変化をもたらし、多くの文化財や仏教寺院が失われる結果にもつながったとされています。

同じように国家の行く末を憂いていた聖徳太子の考え方と真逆をいっているように見えますね。

 

ここで、十七条憲法 全文 (文章は分かり易く現代風に書き換えています。)を掲載してみます。 混迷の時代であるがゆえにもう一度しっかりと見直さなければならないと思います。

十七条憲法 全文解釈

第一条、和を以って貴しと為し忤ふこと無きを宗と為す。

「やわらぎをもって とうとしとなし さからふことなきを むねとなす。」

「和を大切にし人といさかいをせぬように。とかく主に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりすることなく、にこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずと事は筋道にかない成就する。」

第二条、篤く三寶を敬へ、三寶とは仏と法と僧となり。

「あつく さんぽう をうやまへ、さんぽう とは ほとけ と ほう と そう となり。」

「厚くさんぽうをうやまえ。さんぽうとは、仏のとはあらゆる生きものの最後に帰するところ、それを説く仏の教えとこの法をあがめその法を実践するもの。仏教に帰依することで、邪な心を正すことができる。」

第三条、詔を承けては必ず謹め……。

「みことのり を うけては かならずつつしめ……。」

天皇の命を受けたら、必ずそれに従え。 例えるなら君(きみ)は天(あめ)、臣(おみ)は地(つち:ち)。天が万物を覆い、地が万物を載せる。それにより四季は規則正しく移りゆき、万物を活動させる。もし地が天を覆おうとするなら、この秩序は破壊されてしまう。そのように、君主の言に臣下は必ず承服し、上の者が行えば下の者はそれに従うことが大切である。然るに、天皇の命を受けたら必ず従え。もし従わなければ、結局は自滅するだろう。

第四条、羣卿百寮體を以て本とせよ……。

「ぐんけい ひゃくりょうれい をもって もととせよ……。」

群卿(大夫と呼ばれる上位官吏)や百寮(各官司の役人)は、みな礼法を物事の基本とせよ。 民を治める肝要は、この礼法にある。上の者の行いが礼法にかなわなければ下の者の秩序は乱れ、下の者に礼法が失われれば罪を犯す者が出てくる。 諸臣(もろとみ)に礼法が保たれていれば序列も乱れず、百姓(諸民:もろたみ)に礼法が保たれていれば国家はおのずと治まるものである。」

第五条、餮を絶ち欲を棄てゝ明かに訴訟を辧へよ……。

「あぢはひ を たち よくをすてて あきらかに うったへを わきまえよ」

食におごることをやめ、財物への欲望を棄て、訴訟を公明にさばけ。 百姓の訴えは一日に千件、一日でもそうなのだから、年がたてばなおさらのことだ。 近ごろ、訴訟を扱う者は私利を得るのをあたりまえと思い、賄賂を受けてからその申し立てを聞いているようだ。 財産のある者の訴えは石を水に投げ込むように必ず聞き届けられるが、貧乏人の訴えは水を石に投げかけるように、手ごたえもなくはねつけられてしまう。 これでは貧しい民はどうしてよいかわからず、臣としての役人のなすべき道も見失われることだろう。

第六条、惡を懲し善を勸むるは古の良典なり……。

「あくを こらし ぜんをすすむるは いにしえの よきのりなり……。」

悪しきを懲らし善きを勧めるということは、古からの教えである。 それゆえ、人の善行はかくすことなく知らせ、悪事は必ず改めさせよ。 人におもねり、あざむく者は国家をくつがえす利器ともなり、人民を滅ぼす鋭い剣ともなる者だ。 また、媚びへつらう者は、上の者には好んで下の者の過失を告げ口し、下の者に会えば上の者を非難する。 このような人々はみな君(天君:あまきみ)に対して忠義の心なく、民に対しては仁愛の心がない、大きな乱れのもととなる。

第七条、人各任し掌ることあり宜しく濫れざるべし……。

「ひとおのおのよきし つかさどることあり よろしく みだれざるべし……。」

人にはそれぞれの任務がある。 おのおの職掌を守り、権限を濫用しないようにせよ。 賢明な人が官にあれば政治をたたえる声がたちまちに起こるが、よこしまな心をもつ者が官にあれば政治の乱れがたちどころに頻発する。 世間には生まれながら物事をわきまえている人は少ない、よく思慮を働かせ努力してこそ聖人となる。 物事はどんな重大なことも些細なことも、適任者を得てこそなしとげられる。 時の流れが速かろうと遅かろうと、賢明な人にあってはおのずと解決の道がある。 その結果、国家は永久で君主の地位も安泰となる。 だから古の聖王は、官のために適切な人材を集めたのであり、人のために官を設けるようなことはしなかったのだ。

第八条、羣卿百寮早く朝りて晏く退れよ……。

「ぐんけい ひゃくりょうはやく まゐりいて おそくまかれよ……。」

群卿や百寮は、朝は早く出仕し、夕は遅く退出するようにせよ。 公務はゆるがせにできないものであり、一日ですべてを終えることは難しい。 それゆえ、遅く出仕したのでは急事に間に合わず、早く退出したのでは事務をし残してしまう。

第九条、信は是れ義の本なり事每に信あれ……。

「しんは これぎのもとなり ことごとに しんあれ……。」

信は人の行うべき道の源である。 何事にも真心をこめよ。 事のよしあし、成否のかなめはこの信にある。 群臣がみな真心をもって事にあたるなら、どのようなことでも成就する。 しかし真心がなかったら、すべてが失敗するだろう。

第十条、忿を絶ち瞋を棄て人の違ふを怒らざれ……。

「こころいかりをたち おもていかり を すて ひとのたがふを おこらざれ……。」

心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。 人の心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。 相手がよいと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものだ。 自分が聖人で相手が愚人だと決めてはいけない。ともに凡夫なのだ。 是非の理をだれが定めることができようか、お互いに賢人でもあり愚人でもあるのは、端のない鐶(金属製の輪)のようなものだ。 それゆえ、相手が怒ったらむしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。 自分ひとりが正しいと思っても、衆人の意見を尊重しその行うところに従うがよい。」

第十一条、明かに功過を察して賞罸必ず當てよ……。

「あきらかに こうかをさっして しょうばつ かならず あてよ……。」

官人の功績や過失をはっきりとみて、それにかなった賞罰を行うようにせよ。 近ごろは、功績によらず賞を与えたり、罪がないのに罰を加えたりしていることがある。 政務にたずさわる群卿は、賞罰を正しくはっきりと行うようにすべきである。

第十二条、國司國造百姓に歛ること勿れ……。

「くにのつかさ くにのみやつこ ひゃくしょうに おさめとることなかれ……。」

国司(きにのつかさ)や国造(くにのみやつこ)は、百姓から税をむさぼり取らぬようにせよ。 国にふたりの君はなく、民にふたりの主はない。 この国土のすべての人々は、みな王(天皇)を主としているのだ。国政を委ねられている官司の人々は、みな王の臣なのである。どうして公の事以外に、百姓から税をむさぼり取ってよいであろうか。 重税で苦しめてはいけない。

第十三条、諸の官に任せる者同じく職掌を知れ……。

「もろもろの かんに よさせるもの おなじく しょくしょうをしれ……。」

それぞれの官司に任じられた者は官司の職務内容を熟知せよ。 病気や使役のために事務をとらないことがあっても、職務についたなら以前から従事しているかのようにその職務に和していくようにせよ。 そのようなことに自分は関知しないといって、公務を妨げるようなことがあってはならない。

第十四条、羣臣百寮嫉妬あること無れ……。

「ぐんしん ひゃくりょう しっと あることなかれ……。」

群臣や百寮は人をうらやみねたむことがあってはならない。 自分が人をうらやめば、人もまた自分をうらやむ。 そのような嫉妬の憂いは際限がないゆえ、人の知識が自分よりまさっていることを喜ばず、自分よりすぐれていることをねたむ。そんなことでは五百年にひとりの賢人に出会うことも、千年にひとりの聖人が現れることも難しいだろう。 賢人や聖人を得なくては、何によって国を治めたらよいであろうか。

第十五条、私に背き公に向くは是れ臣の道なり……。

「わたくしに そむき おおやけに むくは それ しんのみちなり……。」

私心を去って公の事を行うのが臣(とみ)たる者の道である。 人に私心があれば他人に恨みの気持ちを起こさせる。 恨みの気持ちがあれば人々の気持ちは整わず、人々の気持ちが整わないことは私心をもって公務を妨げることであり、恨みの気持ちが起これば制度に違反し法律を犯すことになる。

第十六条、民を使ふに時を以てするは古の良典なり……。

「たみをつかふに ときをもってするは いにしえの りょうてんなり……。」

民を使役するのに時節を考えよとは、古からのよるべき教えである。 冬の月の間(10〜12月)に余暇があれば民を使役せよ。 春から夏にかけては農耕や養蚕の時節(非常に忙しい時期)であるから、民を使役してはならない。 農耕をしなかったら何を食べればよいのか。養蚕をしなかったら何を着ればよいのか。

第十七条、夫れ事は獨り斷むべからず必ず衆と與に論ふべし……。

「それごとは ひとり さだむべからず かならず しう(しゅう:多勢)とともに あげつらふべし……。」

物事は独断で行ってはならない、必ずみなと論じあうようにせよ。 些細なことは必ずしもみなにはからなくてもよいが、大事を議する場合には誤った判断をするかも知れぬ。人々と検討しあえば、話し合いによって道理にかなったやり方を見出すことができる。 重大な事を決定するときは、独断で決めず、多くの人と相談して道理にかなう策を見つけるべし。

国家のリーダーや役人に対して「国を治める者としての心構え」を説いた実践的な教えとなっています。

この聖徳太子の説く精神を忘れて、個人の欲得だけで政治を執り行うことがいかに愚かな行為であるかを忘れてはいけません。

 

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