天の巻 序 1(東西の名と蝕虫去る文)、ほつま伝えを展ぶ、古史古伝といわれその真偽は未だ多くの議論を呼んでいるが、現在常識化している歴史学が真実であるとする証拠も実のところ怪しいものです。 今必要なのは、教えられることのなかった歴史資料にも関心の目を向け、自らそれらを精査しようとする意識ではないでしょうか。
ホツマツタエは、古代文字(神代文字)で書かれ、大和ことばで綴られた壮大な叙事詩です。
前半天の巻・地の巻をクシミカタマ(神武時代の右大臣)が、後半人の巻をオオタタネコ(景行天皇時代)が、編纂、筆録と記されています。
天の巻 序 ほつまつたゑおのふ 【ほつま伝えを展ぶ】
( 原文ひらがな ) ( 漢字読み )
あめつちの ひらけしときに 天と地の うまれる時に
ふたかみの とほこにをさむ 二尊の 経矛に治む
たみまして あまてるかみの 民 増して アマテル神の
みかかみお たしてみくさの 御鏡を 足して三種の
みたからお さつくみまこの 神宝を 授く御孫の
とみたみも みやすけれはや 臣民も 実 安ければや
とみかをや しいるいさめの 臣が祖 しいる諌めの
おそれみに かくれすみゆく 畏れ見に 隠れ住みゆく
すゑつみお いまめさるれは 末つ身を 今 召さるれば
そのめくみ あめにかえりの その恵み 天に返りの
もふてもの 詣で物
ほつまつたゑの ホツマツタヱの
よそあやお あみたてまつり 四十文を 編み奉り
きみかよの すえのためしと 君が結の 末の例と
ならんかと おそれみなから ならんかと 畏れ見ながら
つほめおく これみんひとは つぼめ置く これ見ん人は
しわかみの こころほつまと 『地上の 心ほつまと
なるときは はなさくみよの なる時は 花咲くみよの
はるやきぬらん 春や来ぬらん』
いそのはの まさこはよみて 『磯の地の 真砂は読みて
つくるとも ほつまのみちは 尽くるとも ほつまの道は
いくよつきせし 幾代尽きせじ』
みわのとみ ををたたねこか ミワの臣 ヲヲタタネコが
ささけんと ふもみそよとし 捧げんと 二百三十四歳
つつしみてをす 謹みて押す
をりつけの うはのしるしと 織付の 上の記しとして
はなをしお そゑてささくる 花押を 添えて捧ぐる
ことのへのうた 寿述べの歌
ひさかたの あめかしたしる 久方の 天が下領る
わかきみの よよにつたはる 我が君 (景行天皇)の 代々に伝わる
かんむりは あまてるかみの 冠は アマテル神の
つくらせて さをしかやつの 造らせて 差使八つの
をんみみに きこしめさるる 御耳に 聞し召さるる
あさまつり あまねくとほり 朝政 あまねく通り
あまてらす ををんたからの 和照らす 大御宝の
ゐもやすく やすくにみやと 気も安く ヤスクニ宮と
たたゑます 称えます
やよろとしへて 八万年経て
こゑうちの いさわのみやに 還内の イサワの宮に
をわします みこおしほみは 御座します 皇子オシホミは
ひたかみの たかのこうにて ヒタカミの タカの首にて
くにをさむ まこほのあかり 国治む 孫ホノアカリ
かくやまの あすかのみやに カグヤマの アスカの宮に
をわします 御座します
おとににきねは 弟ニニキネは
にいたなす にはりのみやの 新治成す ニハリの宮の
そやよろに にいたみふゑて 十八万年に 新民 増えて
なもたかき はらみのみやに 名も高き ハラミの宮 (ハラアサマ宮)に
たみおたし ついにしわかみ 民を治し ついに地上
ほつまなる むそよろとしの ホツマ成る 六十万年の
よおしりて いかつちわくる 節を領りて 雷 別くる
いつのかみ 逸の尊
ときにをんかみ 時に御神(アマテル大御神)
のたまふは いまににきねの 宣給ふは 「今 ニニキネの
さきみたま くにとこたちの 先神霊 クニトコタチの
わさみたま あらはるいつと 業神霊 現る稜威」 と
かかなえて わけいかつちの かがなえて ワケイカツチの
あまきみと なつけたまはる 天君と 名付け賜わる
よのはしめ いますへらきの 世の初め( 地上の天君の始まり)今 皇の
あまきみは みなににきねの 天君は みなニニキネの
いつによる 稜威による
みこまこひこの 御子・孫・曽孫の
すえまても あまてらします 末までも 和照らします
ををんかみ ももなそよろの 大御神 百七十万の
としおへて もとのひのわに 年を経て 本の日輪に
かえまして あおひとくさお 還えまして 青人草を
てらします このゆえきみも 照らします このゆえ君も
とみたみも ゐおやすくぬる 臣民も 気を安く温る
をんめくみ 御恵み
よにあらわせる 世に著せる
そのふみは ほつまつたゑに その文は ホツマツタヱに
まさるなし いまよにのこる 勝る無し 今 世に残る
いゑいゑの ふみもそれそれ 家々の 文もそれぞれ
かはりある たれおまことと 変りある 誰を真と
なしかたし かれにひとつお なしがたし 故に一つを
あけしるす 挙げ記す
ふそむのあやに 二十六の文に
かもわれて とよたまひめも 『カモ破れて トヨタマ姫も
なきさにて たけきこころに 渚にて 猛き心に
およかせは たつやみつちの 泳がせば 竜や蛟竜の
ちからゑて つつかもなみの 力得て 恙も和みの
いそにつく 『磯に着く』
これおよそにて これを他所にて
ふねわれて たつとみつちの 『船 破れて 竜と蛟竜の
ちからゑて これあやまれる 『力得て』 これ誤れる
てにおはそ すへてななやの テニオハぞ 総て七家の
しるしふみ ことなりかちは 記し文 異なりがちは
これにしれ これに知れ
わかかみのをす 我が上の押す (先祖の記す)
みかさふみ ほつまつたえと ミカサ文 ホツマツタエと
わりうるり あわすことくの 割瓜 合わす如くの
こころなり よよのをきてと 心なり 代々の掟と
なるふみは ほつまつたえと なる文は ホツマツタエと
おもふゆえ ふかきこころお 思ふゆえ 深き心を
そゑゐれて あけたてまつる 添え入れて 上げ奉る
すえにをしてそ 末にヲシテぞ(御言宣:みことのり)
はなのそゑうた — 華の添歌 —
かかんなす はるのひとしく 『かかんなす 春のひとしく
めくりきて いそのまさこは 巡り来て 磯の真砂は
いわとなる よよのんてんの 岩となる 弥々のんてん (伸びて至る)の
ほつまふみかな ホツマ文かな』
まきむきの ひしろのみよに マキムキのヒシロの御代に
みかさとみ いせのかんをみ ミカサ臣 妹背の上臣
ををかしま ふもよそなとし ヲヲカシマ 二百四十七歳
ささくはなをし 捧ぐ花押
ホツマツタヱでは、物語の始まりは、イサナキ・イサナミの第一子ヒルコ姫の誕生から始まります。
天の巻1 きつのなとほむしさるあや【東西の名と蝕虫去る文】
それわかは わかひめのかみ それワカは ワカ姫の尊 (ヒルコ姫)
すてられて ひろたとそたつ 捨てられて 「拾た」 と育つ (葦船にて流されたのち、重臣カナサキ夫妻に拾われて 廣田宮で育てられる)
かなさきの つまのちおゑて カナサキの 妻の乳を得て (カナサキの妻の乳をもらう)
あわうわや てふちしほのめ アワウワや 長ぢ 初の目 (あわうわや:赤子をあやす時の言葉)
うまれひは かしみけそなえ 生れ日は 炊食供え (誕生日には赤飯で祝い)
たちまひや みふゆかみおき 立舞や 三冬 髪置き (立ち歩くようになって三年)
はつひもち あわのうやまひ 初日 十五日 陽陰の敬ひ (一月一日・十五日)
たなはたや きくくりいわひ 棚機や 菊・栗祝ひ (七月七日の七夕や桃の節句、九月九日・十三日は菊と栗を供えて祝い)
ゐとしふゆ をははかまきる 五歳冬 男は袴着る (五年目十一月、男子は袴)
めはかつき 女は被衣 (女子は着物を着て祝う)
ことはおなおす 言葉を直す (言葉を教えるには)
あわうたお つねにをしゑて アワ歌を 常に教えて (アワ歌を教えることで、正しい言葉と発音を教える。)
以下、アワのうた
あかはなま いきひにみうく 『アカハナマ イキヒニミウク
ふぬむえけ へねめおこほの フヌムエケ ヘネメオコホノ
もとろそよ をてれせゑつる モトロソヨ ヲテレセヱツル
すゆんちり しゐたらさやわ スユンチリ シヰタラサヤワ』
あわのうた かたかきうちて 和の歌 カダカキ打ちて (琵琶のような楽器を使い)
ひきうたふ おのつとこゑも 率き歌ふ 自ずと声も (事に合わせて歌うことで)
あきらかに ゐくらむわたを 明らかに 五臟六腑 緒 (正しい発音と言葉を覚える)
(語源は、人の魄(しい:体)を維持していく各機関五臟と人の魂(たま:精神性)をつくる6つの要素六腑を表すもの。臓器の種類でいう単純な意味での五臟六腑(ごぞうろっぷ)ではない。)
ねこゑわけ ふそよにかよひ 根隅分け 二十四に通ひ (二十四音ごと、内回りと外回りで、24音で折り返して歌う四十八音)
よそやこゑ これみのうちの 四十八声 これ身の内の
めくりよく やまひあらねは 巡り良く 病あらねば (体の循環よく病もない)
なからえり すみゑのをきな 永らえり スミヱの翁 (カナサキ)
これおしる これを知る
わかひめさとく ワカ姫聡く (聡明なワカ姫は)
かなさきに きつさねのなの カナサキに (東西南北の名の)
ゆゑおこふ 故を請ふ (由来を尋ねる)
をきなのいわく 翁の曰く
ひのいつる かしらはひかし 「日の出づる 頭は東 (日が登るのは東)
たけのほる みなみるみなみ 猛昇る 皆見る南 (日が昇れば皆みる)
ひのおつる にしはにしつむ 日の落つる 西は熟沈む (日が落ちると、煮え沈むので にし となる)
よねとみつ かまにかしくは 米と水 釜に炊ぐは (米を炊くには)
ひかしらや にゑはなみなみ 火頭や 煮え花 皆見(初めの炎、煮えたぎると皆が見る)
にゑしつむ ゑかひとたひの 煮え静む 回日一度の (火を弱めて次第に煮え静まってゆく様は日の巡りとおなじです)
みけはこれ 食はこれ
ふるとしふより 「経る年 古より 」(昔から)
つきみけの ひとはもよろに 月三食の 人は百万に (月に3度の食事をするようになると、人は百万歳まで)
つきむけの ひとはふそよろ 月六食の 人は二十万 (月に6度の食事をするようになると、人は二十万歳まで)
いまのよは たたふよろとし 今の代は ただ二万年 (今は毎日食べるので、二万歳まで)
いきなるる みけかさなれは 生き均るる 食 重なれば (職を取りすぎると)
よわひなし ゆえにをんかみ 齢なし 故に御神 (長生きできない、ゆえに大御神は)
つきにみけ にかきはほなや 月に三食 苦きハホ菜や (月に三度、苦みのある穂や菜っ葉を食し)
みなみむき あさきおうけて 南向き 朝気を受けて (南に向かう宮で、朝日の気を受け)(正面が南を向き 朝日の霊を受ける)
なかいきの みやのうしろお 長生きの 宮の後ろを (住む人を長生きさせるその後宮のことを)
きたといふ よるはねるゆゑ 北と言ふ 夜は寝る故 (きたと云います、夜は後宮で寝るゆえ)
きたはねそ 北は “ネ” ぞ (北を ね という)(東西南北:キツサネと読む)
もしひときたり もし人来たり
ことわけん あわねはきたよ 応わけん 会わねば北よ (合わないのならば、北)
あふはひて みなみにことお 会ふば日手 南に事を (南:日のあるうちの事を終え)
わきまえて おちつくはにし わきまえて 落ち着くは西 (さ:西 にはことが落ち着き)
かえるきた ねよりきたりて 帰る北 北より来たりて (北:ね 寝に帰る)
きははるわかは 「木は春 若葉
なつあおは あきにゑもみち 夏 青葉 秋 熟もみぢ
ふゆおちは これもおなしく 冬 落葉 これも同じく (春夏秋冬の巡りもこれに同じく)
ねはきたに きさすひかしや 根は北に 萌す東や (根:ね は北、青葉繁は東)
さにさかゑ つはにしつくる 南に栄え 果は西付くる (南の日差しに栄え、西に傾くは秋に果を成し 冬に枯れる そして根:北に帰る)
をはきみの くにをさむれは 「”ヲ” は君の 国治むれば (ヲは天君が治める中央)
きつをさね よもとなかなり 東西央南北 四方と中なり (四方をおさめるが故中央にヲ、東西央南北:キツヲサネは国中をおさめることの意)
きはひかし はなはもみなみ 「起は東 華栄 南 (木は東に 南に花咲き)
このみにし みおわけおふる 熟み 西 身を分け生ふる (木が身を分けて結ぶのが西)
きのみゆゑ きみはをめかみ 木の実ゆえ 木実は男女尊」 ( 木の実は君、きみ:夫婦をあらわす)
しかるのち いさわのみやに 然る後 イサワの宮に (成長されたワカ姫が、いさわの宮にいるときに)
はへるとき きしゐのいなた 侍る時 キシヰの稲田 (紀州にある田畑)
ほをむしに いたむおなけき 蝕虫に 傷むを嘆き (群生したイナゴに稲を食われる)
あるかたち つくるいさわの ある形 告ぐる結和の
ををんかみ あまのまなゐに 大御神 アマのマナヰに
みゆきあと 御幸後 (大御神がアマのマナヰ:高間殿に出掛けているとき)
たみのなけきに 民の嘆きに (民の助けに対して)
むかつひめ いそききしいに ムカツ姫 急ぎキシイに (瀬織津姫と共に紀州に向かう)
ゆきひらき たのきにたちて 行き翻らき 田の東に立ちて (そして、田の東側に立ち)
おしくさに あほくわかひめ 押草に 扇ぐワカ姫 (檜扇で仰ぎながら、(“田の起”を願う、呪(まじない)うたをうたう)
うたよみて はらひたまえは 歌詠みて 祓ひ給えば
むしさるお むかつひめより 虫去るを ムカツ姫より
このうたお みそめおまてに この歌を 三十侍を左右に (30人の青侍にも順番にうたわせ、虫を追い払うことができるといいます)
たたつませ おのおのともに たたづませ 各々共に
うたはしむ いなむしはらふ 歌わしむ 厭虫祓ふ
わかのましない ワカのまじない (これが、ワカ姫の呪いのまわりうた)
たねはたね うむすきさかめ 『種 畑種 大麦 小麦 盛豆
まめすめらのそろはもはめそ 大豆 小豆らの 繁葉も蝕めぞ
むしもみなしむ 虫もみな垂む』
(茂る葉も多少は傷むが 虫も一緒に衰える呪い歌)
くりかえし みもむそうたひ 繰り返し 三百六十歌ひ (これを360回繰り返す)
とよませは むしとひさりて 響動ませば 虫 飛び去りて
にしのうみ さらりむしさり 西の海 さらり蝕更り
(一転して蝕みは直り、虫たちは西へと飛び去った)
ゑおはらひ やはりわかやき 穢を祓ひ やはり若やぎ
よみかえる そろにみのりて 甦る 繁に実りて
ぬはたまの よのかておうる ヌバタマの 世の糧を得る
おんたから 御宝
よろこひかえす 喜び返す
きしゐくに あひのまゑみや キシヰ国 太陽の前宮 (紀州には、天日宮がありましたが)
たまつみや つくれはやすむ タマツ宮 造れば安む (瀬織津姫の為に、天日前宮を作った)
あひみやお くにかけとなす 太陽宮を 国懸となす (天君からの地方への連絡の拠点とする)
わかひめの こころおととむ ワカ姫の 心を留む (ワカ姫の素晴らしい歌を後世に残すため)
たまつみや かれたるいねの タマツ宮 枯れたる稲の (タマツ宮を建てた、一度は枯れかかった稲が若返るこのうたのことを)
わかかえる わかのうたより 若返る 沸の歌より
(“沸返(わかがえ)る”の意)
わかのくに 沸の国 (若返った:よみがえった邦:くにをワカ:現在の和歌山とした)
たまつのをしか タマツの御使 (タマツ宮への使い:勅使アチヒコのこと)
あちひこお みれはこかるる アチヒコを 見れば焦るる
わかひめの わかのうたよみ 沸姫の 沸の歌詠み
うたみそめ おもひかねてそ 歌見染め 思ひかねてぞ
すすむるお ついとりみれは 進むるを つい取り見れば
(ワカ姫の、一目惚れしたアチヒコに対する恋ごころを、回りうたにしてうたった。)
きしいこそ つまおみきわに 『キシイこそ 伴を身際に
ことのねの とこにわきみお 琴の音の 床に我君を
まつそこいしき 待つぞ恋しき』
(紀州においでの際は琴を引いてお迎えします 床に就くときはいつでもあなた様の事を想ってお待ちしております)
(アチヒコはどう返してよいのか悩み、高間殿に戻った後にカナサキに問うた。)
おもえらく はしかけなくて 思えらく 橋 架けなくて (仲人なし)
むすふやは これかえさんと 結ぶ和 これ返さんと
かえらねは ことのはなくて 返らねば 言の葉なくて
まちたまえ のちかえさんと 「待ち給え 後 返さん」 と
もちかえり たかまにいたり 持ち帰り タカマに到り
もろにとふ 諸に問ふ
かなさきいわく カナサキ曰く
このうたは かえことならぬ 「この歌は 返言ならぬ
まわりうた われもみゆきの 回り歌 我も御幸の
ふねにあり かせはけしくて 船にあり 風激しくて
なみたつお うちかえさしと 波立つを うち反さじと
まわりうたよむ 回り歌 詠む
(自分も、船で嵐にあったときは回り歌を歌ったものです)
(回りうたは呪い:まじないいのうたであり、激しい波風を打ち返すもの 断ることはできない)
なかきよの とおのねふりの 『長き夜の 絶の眠りの (眠れぬほどのあれ様に)
みなめさめ なみのりふねの みな目覚め 波乗り船の
おとのよきかな 復の良きかな (揺れなし)
(眠れぬほどの荒れ様にも、このようにうたうことで静まる)
とうたえは かせやみふねは と歌えば 風止み 船は
こころよく あわにつくなり 快く アワに着くなり
わかひめの うたもみやひお 沸姫の 歌もミヤビを
かえさしと もふせはきみの 反さじ と 申せば君の ( 覆すまいと)
みことのり かなさきかふね 御言宣 カナサキが船
のりうけて めをとなるなり 乗り受けて 夫婦なるなり
ちょっと纏めてみましょう。
アマテル神のオシカ(勅使)としてタマツ宮に遣(つか)わされたアチヒコ(オモイカネ:第6代タカミムスヒの嫡男)に会ったとたん、ワカ姫は恋焦れてしまい、胸の内を和歌に詠み、歌冊(ウタミ)に染めて思わずアチヒコに手渡した、アチヒコも何気なく手に取って見れば、
キシイ(紀州)こそ 妻を身際(みぎわ)に 琴の音(ね)の
床(とこ)に我君(わぎみ)を 待つぞ恋(こい)しき (逆から読んでも同じ、回りうた)
「紀州にいらっしゃい。私は貴方の妻になっていつも御身の近くで琴を奏でてさしあげましょう。寝床ではいつも我君を恋しい思いでお待ちしています。」
これを見たアチヒコは突然の告白にたじろいでしまいました、そして思えば仲人もなしにどうして愛を結ぶことができようかと、何とか返歌せねばと思えど焦りが先にたってついに返せず、言葉に詰まり、
「待って下さい。後日必ずお返しします」と言い、その場を何とかつくろって帰りました。
宮中に走り至ると諸臣(もろとみ)に相談しました。何しろアマテル神の美しい妹に恋されたのでは、うれしいやら困ったやらでただただ戸惑うばかりです。
一部始終を聞いていた重臣カナサキ(住吉神)が、「この歌は、受けたからにはもう絶対絶命、返事(カエシゴト)ができない回文歌(マワリウタ)です。
私もアマテル神の御幸(みゆき)のお供で船に乗っていた時のこと、暴風が激しくて波が高いのを打ち返そうと回文歌、
ながき夜(よ)の 遠(とお)の眠(ねぶ)りの 皆目覚(みなめざ)め
波乗(なみの)り船(ふね)の 音(おと)の良(よ)きかな
と詠ったところ、やがて風が止んで波は静かになり、船は心地よくアワ(阿波)の湊に着きました」と話されました。
しかしそれを聞いても、アチヒコの心は未だに乱れ「ワカ姫に返歌をしなければ。愛にどう答えればよいのでしょうか」と聞けば、ここでアマテル神の詔がありました。
「今こそ、カナザキの船に乗り受けて夫婦(メオ)となるなり」
この後、アチヒコとワカ姫はカナサキの船が縁をとりもち、今はヤス川(野州・やす)辺に宮(ヤスカワノ宮)を造り、名もアマテル神の妹シタテル姫となり幸せに暮らしました。(アマテル大御神の後継者オシホミミの養育係であり、和歌の奥義を極めた家元、琴・八雲打ちの達人。後にタカテル姫、シタテルオクラ姫にそれらを授ける)
(ワカ姫のまじないのうたは、相手の心を強くつかみ覆さない力を持っているようです。 カナサキが仲人となりました。言葉には、エネルギーが宿ること。)
やすかわの したてるひめと ヤスカワの シタテル姫と
あめはれて そのおしくさは 陽陰晴れて その押草は
ぬはたまの はなはほのほの ぬばたまの 花はほのぼの (夕闇に映える花のように)
からすはの あかきはひのて 明らす花の 赤きは日の出
ひあふきの いたもてつくる ヒアフギの 板もて作る
あふきして くにもりをさむ 扇して 国守り治む (ヒノキで作られた扇)
をしゑくさ 教え種
からすあふきは 明らす扇は
そふはなり ひあふきのはは 十二葉なり 檜扇の羽は
みなはらふ あわのよそやそ 穢 祓ふ 陽陰の四十八ぞ (アワ歌)
またみそふ みちなわすれそ また禊ふ 道な忘れそ (みそふ:三十二)
はなきねは ゐなにつつるお ハナキネは 五・七に綴るを
あねにとふ あねのこたえは 姉に問ふ 姉の答えは (姉:ワカ姫)
あわのふし 「陽陰の節」
またとふはらひ また問ふ 「祓ひ
みそふなり 三十二なり」
いまみそひとは 「今 三十一とは
このをしゑ あめのめくりの この教え 天の回りの
みむそゐゑ よつみつわけて 三六十五回 四つ・三つ分けて
みそひなり つきはおくれて 三十一なり 月は遅れて
みそたらす まことみそひそ 三十足らず まこと三十一ぞ
(短歌(うた)は、何故 五・七調の 三十一文字となるのかを尋ね、ワカ姫が答える。)
しかれとも あとさきかかり 然れども 後先かかり (陰と陽の掛り合いから)
みそふかも あるまうかかふ 三十二日も 粗る間うかがふ
(月によって日は 32日となる場合もある その陰陽が乱れる間を窺う。)
ソサ(熊野)で成長したハナキネ(ソサノヲ)は、母譲りの美貌と歌の才に恵まれた姉に、和歌について尋ねました。
「和歌はなぜ五・七調に綴るのですか」
姉ワカ姫は、「それは天地(アワ)の節(ふし)です」と答えました。
再びハナキネが、「それでは何故、祓(はら)いの歌は三十二文字で、一般には三十一文字なのですかと尋ねると、
姉は、「和歌の三十一文字は大変理にかなっていて、天を巡るこのクニタマ(地球)のメグリ(公転)は一年を三百六十五日で回ります。
この一年を四季に分け、又、上旬、中旬、下旬に分けると、約三十一となりますが、月の方は少し遅くて三十足らずです。(月の周期は、29.5日。この頃は、月の周期月読歴でした。)
しかし真(まこと)は三十一日です。五月から八月の間は約三十一日強となり、後が先に掛かるので三十二日にもなります。この変則の間(ま)を窺(うかが)う汚(けが)れや、災いを祓う歌の数が三十二です。
美しく四季られた敷島(しきしま)の上に人として生を受けた私達は、男子は三十一日目に産土神(うぶすな)にお礼参りをし、女子は三十二日目にお礼参りをするのも、この地の恵みに感謝するためです。これにより敷島を「和歌の道」と言います」、と答えました。
おゑものお はらふはうたの 汚穢モノを 祓ふは歌の (穢れを祓ううた)
こゑあまる 声余る
しきしまのゑに 直州の上に (平和で穏便な国)
ひとうまれ みそひかにかす 人生まれ 三十一日に活す
めはみそふ うたのかつもて 穢は禊ふ 歌の数以て
わにこたふ これしきしまの 曲に応ふ これ直州の (これが、安寧の国ヤマト)の
わかのみちかな 「沸の道かな」 (和歌の道)
ホツマツタヱ全文紹介! 天の巻 ②。天七代 床酒の文 原文ひらがなと漢字読み。
ひとこと
今回は、天の巻1~16までの 「1」 までしか書けませんでした。・
ホツマツタヱは、かなりの文量となりますので、すこしずつお話していきたいと思います。時間はかかりますが、定期的に書き加えていきたいと思います。
:カテゴリー( ドローン入門、無線技士資格、航空法・電波法解説 )
:カテゴリー( 山林開拓とヤマでキャンプ、生きると云ふこと )
YouTube/ひまわりGチャンネル (随時、動画を投稿しています。)
:カテゴリー( ホツマツタヱとあわのうた、正統竹内文書、カタカムナウタヒ )
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