八百万の神たちが世の万事を占うフトマニとは、モトアケの神を中心に四十八柱の神々を表す曼陀羅。
フトマニ四十八文字は、言霊であり 四十八柱の神の名を表している。
構成と文字の向きが重要で、仏教でいうところの曼陀羅(まんだら)の世界観と同じような考えに基づくものだと考えられます。
モトアケ神
中心にある円の中の3つの記号は、以下の事柄を表します。
「ア」 アメ(天:陽):左向きの渦、アメノミナカヌシノ神
「ウ」 アメミオヤ神の「ウイ」息吹(結むすぶを意味する)より生み出された世界、
「ワ」 ツチ(地:陰):右向きの渦、クニトコタチ神
「ア」、アメノミナカヌシノ神 と 「ワ」、クニトコタチ神 を結び合わせて一体化した 「アウワ=モトアケ神」と位置づけして中心に配置されています。
左向きの渦と 右向きの渦 は神の名であると同時に陰陽転換を表し、潜象界から現象界そしてそれがまた潜象界 へと常に循環している事象をあらわしています。
カタカムナ・ウタヒも同じように描かれていますね。
大御神の八人の御子 「アモト神 」
アワのうたを示す48文字に囲まれた「ア」「ウ」「ワ」で作られた世界から、外向きに配置されている「ト」「ホ」「カ」「ミ」「ヱ」「ヒ」「タ」「メ」の八文字は、クニトコタチの八人の皇子神 「アモト神 」を表します。
この八柱の神は、季節・方位を示す暦の神であり、人の魂(たま)と魂の緒(たまのお)を地上に降らせて人の寿命を司ります。
そしてこれは、最初にいた場所から八方(世界全体)へと、各々の神が広がっていったことを表します。
タマシイとは、本来「魂魄」このように書きます。
魂(たま)は目に見えない部分・心、魄 (しい)は見える部分つまり体を表します。
魂の緒がこの二つを結び付け、二つ揃った状態で初めて人(や人津神)が心身共に一体化し成り立つと考えられていました。
各々の神は、方角を示し、方角は季節を表します。( 旧暦です。)
「ト」:南、5月中から 6月
「ホ」:東北、7月から8月中。
「カ」:西、8月中から9月
「ミ」:東南、11月から12月中
「ヱ」:北、11月中から12月
「ヒ」:西南、1月から2月中
「タ」:東、2月中から3月
「メ」 :西北、4月から5月中
天並神 (あなみかみ)
その外側には、「ア」「イ」「フ」「へ」「モ」「ヲ」「ス」「シ」
この八柱の神は「天並神:あなみかみ」と呼ばれ、人に言葉を発する機能を授けてくださいました。
人は与えられた言葉によって、天の御心を知ることができるのです。
天並神 は、その名である一文字ごとにそれぞれの役割と意味を持っています。
ミソフ神(三十二神)
天並神の外側に配置されているのが、人間の姿かたちを形成し顔の表情をつくることで、人間社会を円滑にし調和をとる働きを司る 十六組・三十二柱のミソフ神です。
「ヤ・マ」「ハ・ラ」「キ・ニ」「チ・リ」「ヌ・ウ」「ム・ク」「エ・テ」「ネ・セ」「コ・ケ」「オ・レ」「ヨ・ロ」「ソ・ノ」「ユ・ン」「ツ・ル」「ヰ・サ」「ナ・ワ」
二柱が一組となり、天並神の後に控えています。
五臓六腑の機能や自律神経系など、ひとの生命維持機能を図る神とされています。
五臓六腑 は、イクラムワタと表現されており、これは単なる人間の臓器の事ではなく、心と心臓そしてそれらを結ぶ一連のエネルギー循環、タマシイと生命の維持機能、いわばネットワークのようなものを指していといわれます。
ミソフ神も天並神 と同様に、その名である一組の文字ごとにそれぞれの役割と意味を持っています。
これらの音・文字が一つ一つ意味を持ち、その連なりで意思を伝えるのが日本語の起源でもあります。
「アワのうた」 48音は、神の名前
アウワの神と、そこを中心に四十八の神がおわす世界を、「サコクシロ」と呼びます。天上界の世界観を表す、まさに曼陀羅ですね。
この四十八柱の神々の名(音=発音)を唱えたのが、「アワのうた」と呼ばれるものなのです。 これは呪いうた(まじないうた)になっているのです。
アワノウタ歌詞
ア カ ハ ナ マ ・・あかはなま
イ キ ヒ ニ ミ ウ ク ・・いきひにみうく
フ ヌ ム エ ケ ・・ふぬむえけ
ヘ ネ メ ヲ コ ホ ノ ・・へねめおこほの
モ ト ロ ソ ヨ ・・もとろそよ
ヲ テ レ セ ヱ ツ ル ・・をてれせえつる
ス ユ ン チ リ ・・すゆんちり
シ ヰ タ ラ サ ヤ ワ ・・しいたらさやわ
ホツマツタヱでは、「ア」で始まり、「ワ」で終わるこれらの文字は次のように表されます。
上段のア・イ・ウ・エ・オ(母音)は発音した時の口の形であり、それぞれが独自の要素(状態)をあらわします。
ア:ウツホ(気体、天にあるもの)
イ:カセ(冷たく降りる、変化を与え地上へ)
ウ:ホ(暖かく昇る、原初の状態)
エ:ミツ(液体、変化し重力によって集まる)
オ:ハニ(個体、かたまり地にあるもの)
この五音・五要素とは、気体、液体、個体の三要素とそれらに変化を与える二つの要素を表現している訳です。
右縦段の子音は、「ア:始まり」から「ワ:終わり」までの変化を表す。
ア カ ハ ナ マ
イ キ ヒ ニ ミ ウ ク
フ ヌ ム エ ケ
ヘ ネ メ ヲ コ ホ ノ
「ア」から「ノ」、ここはじまる、天から地へ・・次第に変化してゆく。
モ ト ロ ソ ヨ
ヲ テ レ セ ヱ ツ ル
ス ユ ン チ リ
シ ヰ タ ラ サ ヤ ワ
「モ」から「ワ」、が 地から天へ・・地にあるものもやがて変化し天へと還る。
こうして、一つのエネルギー(生命)の循環が成り立ちます。
この世の理(ことわり)を文字にしてうたった、呪いうた(まじないうた)です。
イザナギとイザナミの二神は、四十八柱の神の名で作られたこの「アワのうた」を唱えながら、モトアケの神にならい イザナギは左回りに、イザナミは右回りにアメノミハシラ(天御柱)を回り、あまたの神々を生み、国をつくり、人々に教えを広めていったのです。
人々には幼いころから このアワ歌を覚えさせうたわせることで、文字や言葉を学ばせたと ホツマツタヱには書かれています。
「アワのうた」 を唱えることで、国中のすべての人々が共通の言語や文字をこの二神より学び、人と国が等しく繁栄していくようにと・・。
それ故に、縄文上古代には争いもなく人々は平和に暮らしていたとされています。
日本語の発音の元である、この48音48文字は「一字一音一義」で、カタカナや漢字が充てられる前、ヲシテ文字いわゆる神代文字で書かれていたとされています。
この神代文字は、日本各地の国ごとにたくさんの種類が存在していたと書かれていますが、現在の国語・歴史教育においては、何故か一切これらについて語られることはありません。
因みにこういう文献や発掘資料があるということすら私たちは知らされませんでした。 なぜなのでしょう・・・。
漢字を導入してからは神代文字が使われなくなってしまい、それらの事実さえ消し去ってしまおうとするのは何故でしょうか。
フトマニと和歌
三貴神について
ここで先ずは、三貴神といわれる三柱の神について説明してみたいと思います。
古事記・日本書紀においては、イザナギが黄泉平坂(よもつひらさか)より戻った後筑紫の日向かの橘の小戸乃阿波岐原で禊を行ったときに生まれたのが
天照大神(女神)、月読命(男神)、須佐之男命(男神)
となっていますが、ホツマツタヱや竹内文書、宮下文書などそれ以外の古史古伝といわれるものでは、三柱の神はともに男神となっています。
イザナギとイザナミの長子は 天照大御神 (アマテルオオミカミ:齋名(いみな)はワカヒト)ですが、実は最初に生まれたのが 「日孁子(ヒルコ) 姫 」ですが、 この年は イザナギとイザナミ の二神にとっては厄年であったため、災いが子に及ぶのを避けるために手放したのです。
といっても捨てたわけではなく、重臣のカナサキ夫妻にその養育を任せたわけです。
そして、無事に成長された後再び宮に戻り、 アマテル大御神の 齋名ワカヒトに因んで名付けられた妹神、和歌の女神和歌姫(ワカ姫)とよばれるようになりました。
ワカヒト の後に生まれたのが、ツキヨミノ命・スサノオ命となっています。
フトマニと和歌・・どんな関係なのか
ワカ姫は、 五七調の長歌で表される 呪いうた(まじないうた)を使って人々に降りかかる災いを打開していったとされています。
因みに、このような歌です。
たねはたね うむすきさかねめ まめすめらの
そろはもはめそ むしもみなしむ
これは、稲穂にとりついた穂虫(イナゴですね)の被害に困り果てていた人々を助けるためにうたった、稲虫祓いのまじないうたです。
フトマニには、128の卦(ケ)とそれらに対応したうたがあります。
天並神とミソフ神 の各々の組み合わせとなる、8人×16組=128通りの、それぞれの文字が持つ意味の組み合わせの 「 うた」からその意味が導き出されるというものです。
その「うた」というのが、五七調の長歌体である 「和歌」なのです。
そして天上の神たちは、国に災いが起きた時にはフトマニを使い導き出された卦(け)に対応する和歌の意味を解くことによって 、その吉凶と対策を講じていたのです。
例えば・・
第一首 アヤマの卦(アとヤマの組み合わせ)
あのやまの なかうつろゐか あわのすな こほしのゑなの むねそあけみる
第二首 アハラの卦(アとハラの組み合わせ)
あのはらは かみのあつまる ひとのはら しつくにわさの みちそうけみる
これらが、128首ある訳ですね。
イザナギとイザナミの厄年に生まれたとされる ワカ姫 の処遇も、天上の神によるフトマニの占いによって決められたわけです。
出雲の国譲りのお話をご存じの方は多いと思いますが、この時もフトマニの占いにより、シとチ・リが重なった「シチリの卦」が出たことから、端を発することとなったんですね。
※ シは、西北の方角を司る「シの神」そして チリは、争いや崩壊などを司る「チ・リの神」 で、 アマテル大御神 の宮から西北の方角(出雲の国)にておおきな災いが起きようとしているという卦。
このように、フトマニは アウワを中心に八柱の皇子神と四十柱の神たちの名がヲシテ文字で描かれており、 128の卦による 128首の和歌と組み合わせて国の行く末を占う大切な物だったのです。
因みに、
和歌の始まりとして有力なのが、スサノオノミコトが詠んだものとされています。
スサノオノミコトとは、古事記・日本書紀に登場する神様で、ヤマタノオロチを退治したことでよく知られています。
また、彼が詠んだ日本初の和歌というのが、以下のようなものとなります。
やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)
スサノオは、数々の乱暴・狼藉を働き最終的には高天原を追い出されてしまいましたが、ワカ姫に諭され心を入れ替えた後は、クシナダヒメとともに出雲の地を治め平和に暮らしました。
そして、 アマテル大御神 にも許しを得ることができ、立派な八重垣の宮を建てることができました。この歌は、その時に詠んだとされるものです。
もちろんこれは、和歌がこういった形で始まったという説の一つです。
一方、和歌といえば、「万葉集」を思い浮かべる方も多いしょうね。
万葉集には、貴族をはじめ防人(さきもり)などの、自由な思いを詠った和歌が多く残っていますし、770年~780年頃に大伴家持によって編集されたことが分かっており、当時の天皇もその思いを和歌にしています。
実に約4500首が収められているというこの万葉集は、日本最古の歌集でもあるとの説もあるのです。
その後平安時代になると、さらに和歌の地位は確立されたとそのように教科書には書かれているのですね、それをもって古史古伝などが長歌体で書かれているのは後世に創作されたものだという見方も一部にはありますが、的外れもいいとこです。
ヤマトの国は古来より、言葉はすべて五七調で書かれていたのです。
カテゴリー:ホツマツタヱとアワのうた
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